法 話

(111)「旭日双光章を受章
  

大府市S・E氏提供


旭日双光章を受章  

  

2010年5月11日、東京は“赤プリ”こと「グランド・プリンス・ホテル赤坂」の23階。朝まだきと思いきや、時計の針はもう7時30分を指しています。カーテンの隙間から見える窓ガラスには水滴。「春の叙勲」受章の日は皮肉にも長期予報がぴったり当たって雨天。道理で暗かったのです。誰かの心がけが悪かったのでしょうか?

家内と二人でグランド・フロアーへ下りようとエレベータのボタンを押して待つこと30~40秒。ドアが開いて私の目に飛び込んできたのは、真宗大谷派(本山・東本願寺)の小林潤一総務部長。元・大谷派名古屋教務所長で、昨年7月には安原宗務総長ともども拙寺にご来山された大物宗務官僚。エッ?どうして? まず私の頭の中をよぎったのはこのクエスチョン。

 小林総務部長によれば、きょう「真宗大谷派関係国会議員同朋の会」が開催されるとのこと。その準備のためか、何か忙しげな様子。「先生は何ですか?」の問いかけに「春の叙勲の受章です」とお答えしたところ、部長からは「それはおめでとうございます」のお言葉をいただきました。エレベータは目的階に到着し、ほんの20秒間ほどの会話は終了。

 朝食をすませ、間衣・畳袈裟に袴を着けた装束を整え、午前10時ごろホテルをチェック・アウト。タクシーを駆って勲章伝達式会場の国立劇場へ。ホワイエでは、特異な衣装のため衆目の視線を集めているような気がしてなりません。ところが、しばらくして僧衣姿は私だけでなく他にも2人いることが分かりました。1人は「下がり藤」の紋の輪袈裟を掛けていらしたので、多分浄土真宗本願寺派の方。もう1人は我が大谷派の畳袈裟姿。

どこかで拝見したお顔だと思ったら、何と元大谷派参務の藤野 護氏。私が学校法人同朋学園の理事長職をお預かりしていた頃かそれ以前か、本山の教育担当参務として来学いただいた記憶が脳裏を過ぎりました。いただいた名刺には「青森県私立幼稚園連合会副会長」等の肩書き。藤野氏のそうした役職の功労に対する叙勲とのこと。では、なぜ私が旭日双光章をいただくことになったのかといえば、地元の教育委員を28年間勤め、人口22万人ほどの知多地区連合会の役職等も歴任し、地方教育行政に寄与したと認められたことに依るようです。

奇遇の重なり合った出会いのなか、何かご縁の不思議さを感じざるを得ません。また、劇作家・脚本家の倉本 聰氏のお姿も拝見。倉本氏には今から20年前の1990(平成2)年、名古屋東別院の御遠忌に講演に来ていただきました。私が御遠忌法要の行事部を担当し「讃仰の夕べ」を企画。その中で倉本氏に記念講演をお願いしました。そんなことを思い出している間に受章者の皆さんは式場内へ。私も座席番号405番を探して着席。1階客席のほぼ中央の島の最後列。

1階席は受章者のみで、配偶者および付き添い者は2階の自由席。ただ、車いすの方には配偶者・付き添い者の同席が許されていた模様。ところで服装ですが、男性受章者はモーニングコートが圧倒的多数。紋付き羽織袴という古典的スタイルの方も数名散見されました。前述のように私たちの法衣姿は極少数派ですが、キリスト教牧師の詰め襟服の方も一名お見かけしました。

女性配偶者はほとんどが和装。女性のコスチュームのことはよく分かりませんが、和服には留袖、訪問着、付下げ等があるとか。家内の話によると、明るい色の訪問着と付下げが多数派だったようです。洋装の女性受章者・配偶者は少数でした。因みに、ホテルでは“叙勲あやかり商法”が展開されます。記念品類の販売、記念写真の撮影はもち論ですが、貸衣装・着付け・美容等の分野での商魂は猛烈。例えば、モーニングの借り代は21,000円、色留袖は52,500円、バッグ・草履が10,500円。着付けは17,325円、ヘアーセットが6,825円、メイクは5、775円といった塩梅。家内は着物も着付けもメイクもすべて自前で費用0。

式典は午前11時40分ほぼ予定どおりスタート。舞台上手に受章者代表が8名、下手には川端達夫文部科学大臣を筆頭に文部官僚等が12~13名。「開式の辞」、「国歌斉唱」に続き「勲章伝達」。演台中央、授与者は川端達夫文部科学大臣。上手に着席した勲章種別の代表者が順次演台正面へ出向いて勲章・勲記を受章。トップは「旭日中綬章」、続いて「瑞宝中綬章」。以下「旭日小綬章」「瑞宝小綬章」「旭日双光章」「瑞宝双光章」「旭日単光章」「瑞宝単光章」の順にそれぞれ代表が進み出て受章。前述の藤野 護氏(弘前大谷幼稚園理事長)は瑞宝双光章を代表受章されました。

伝達式が終了すると客席で個々の受章者に勲章と勲記が手渡されました。ところが、作業が遅々として進まず、一同やきもき。特に私たちの島は進行が遅く、その中でも私は最後列でどん尻。ようやくいただいてホワイエに出た頃にはもうバスに乗車している方も。胸に勲章を着けおにぎりを頬張るのですが、慌てているためかご飯がのどにつかえる始末。午後1時10分出発予定のバスに滑り込み。しかし、他のバスでトラブルがあったのか、バスはなかなか動き出しません。33台のバスが皇居へ向けて出発したのは午後1時半を過ぎた頃でしたでしょうか。

相変わらず強く降る雨の中、バスは皇居長和殿前の広場に到着。正月に一般参賀が行われるあの広場。しばらくバスの中で待ったのち、豊明殿へ。豊明殿は、和風入母屋造りの外観で、室内面積は915平方メートル、宮中の宴会場。立食の形式で最大600名の席が可能とのこと。壁面には、つづれ織りによる豊幡雲(とよはたぐも)の装飾。分厚い段通を踏みしめて受章者は7列縦隊、配偶者・付き添い者は5列縦隊で整列。何せ総員1、500名余ですから、入場完了までにはずいぶん時間を要しました。

 全員入場後7列横隊に変換。その後もかなりの時間立ったままウエイティング。午後3時半ごろでしたか、正面向かって左側の襖が開いていよいよ天皇陛下のご入場。陛下は正面の演壇に上がられ、お言葉を述べられました。お言葉の内容は詳しくは記憶にありませんが、受章者の功労を称える内容だったと思います。続いて受章者の代表のお礼の言葉。降壇後陛下は7列横隊の受章者に軽く会釈をしつつ右遶され、2~3名の受章者に声をかけていらっしゃいました。拝謁を終えて階下へ。エントランス・ホールでバスの号車ごとに記念撮影をし叙勲受章の全日程を終了。“the longest day”の1日でした。

翻って本年4月1日、「住職在任五十年記念畳袈裟」を本山・東本願寺で受章。私が真宗大谷派・了願寺の住職を拝命したのは大学を卒業した1959(昭和34)年の秋。弱冠23歳でした。ついこの間のように思えるのですが“光陰矢の如し”、あっという間に50年が過ぎ去りました。さらに時計の針を逆に回して、本年3月25日は私ごとで恐縮ですが金婚記念日。まさにトリプル・ハッピー。しかし、こうした慶事は私一人で得られた訳ではありません。その背景には地域の方々、ご門徒の皆さん、先輩、知人、寺族のご支援・ご協力があったればこそ。ただただ感謝のみ。   合掌

2010.6.3 住職・本田眞哉・記》
  
 

  to index