法 話

(115)「記念出版」
  

大府市S・E氏提供


記念出版

    

  

 「暑さ寒さも彼岸まで」とか言いますが、今年は例外、彼岸過ぎても暑さが続いています。10月に入って3日目、きょうも法事の席でびっしょり汗をかきました。振り返ってみますと、梅雨明けから8月末~9月上旬にまで、来る日も来る日も異常な暑さの連続。「歴史的な暑さ」と表現した報道もありました。とにかく今夏の気候は異常でした。

正確なデータは覚えていませんが、温度計が最高気温38℃~39℃を示す日はほぼ毎日だったと思います。この原因についてはいろいろ取り沙汰されていますが、今のところはっきりしたものは掴めていないようです。熱中症も例年になく多発し、79月昨年比3.3倍の熱中症患者搬送した、との新聞報道もありました。「記録的な猛暑」と表現する記事も。そうした暑さの中、私は出版のための原稿整理に追われました。

時計の針を戻して41日。本山・東本願寺の「御影堂」で執り行われた式典において、私は住職在任50年の功で宗務総長より記念畳袈裟を受領しました。「光陰矢の如し」。住職就任の書類を、タイプ印字して法務局に提出したのがついこの間という感じなのに、もう50年が経過してしまいました。その間“土木建築住職”といわれるほど伽藍の修復・新築工事、参道開設・駐車場新設などの土木工事を手がけました。そうした工事が竣工するたびに大法要を勤修。在任50年間のことを思い起こすと感無量です。

一方、平成22年春の叙勲で、私は旭日双光章受章の栄に浴しました。去る511日、国立劇場において勲章・勲記の伝達を受け、引き続き皇居に参内し天皇陛下に拝謁の栄を賜りました。地元東浦町の教育委員を28年間勤め、地方教育行政に貢献した功労ということで受章しました。以上二つの慶事に遇わせていただいたことを勝縁として、その記念出版として自著第3冊を出そうと思いついた次第です。

振り返って、第1冊目の著作は199610月に出版した『葩(はなびら)』(全329ページ)。学校法人同朋学園の理事長在職中に著したもの。19916月に理事長職に就いてから、理事長の経営方針や学事情報などを学園の全教職員に直に届けようと、ミニコミ誌の発刊を思い立ちました。今から20年前の当時のことですから、B5版裏表2ページに2300字ほどの文をワープロで打ち込んで事務局へ渡し、輪転機で印刷したものを理事・評議員・教職員に配布してもらいました。

標題は『D JOURNAL 』で、毎月ゼロの日発行で、1995年の2月には100号を数えています。そのミニコミ誌に掲載した記事をジャンル別にして『葩』に収録。内容は、建学の精神のこと、学園改革、教育・文化・時事に関するエッセイ等々。加えて、国際親善交流に関することや海外研修紀行なども盛り込んで彩りを添えました。

 第2冊目は『萼(うてな)』(全234ページ)。199910月出版。内容は『D JOURNAL 』続編(最終218号)を4章に分けて収録。第1章は「まことの教えに聞く」、第2章は「ことばと文化にこだわる」、第3章は「激動の中、教育も変わる」、第4章「マルチメディア考」。そして第5章に「異文化交流の旅に学ぶ」と題して海外研修紀行を載せました。

 そして今回が第3冊目、目下印刷中です。書名は『蘂(ずい)』。第1冊の「葩」から葩を支える第2冊の「萼」へ。そして萼から花の芯に入って「蘂」へ、という流れで第3冊の書名が決まりました。内容は、今ご覧いただいている了願寺ホーム・ページに掲載した「ホーム・ページ法話」を中心に、他紙に執筆したエッセイ等を加えたもの。

このホーム・ページは10年前に開設し毎月更新しています。したがって執筆した「ホーム・ページ法話」も100編を超えています。その中から20編余を抽出して『蘂』に収録。それに海外研修の紀行文を付加。私が会長を務める「アジア文化交流センター」では毎年1回海外研修を実施。ここ数年は「ヨーロッパに“アジア”を訪ねる旅」をテーマとして研修旅行を実施しています。その紀行文を3編ほど最終章に載せました。

猛暑のさなか、100余のエッセイから20余編を抽出し、ジャンル別に分けるのは大変な作業。自分で書いた文とはいえ、読み返してみると他人が書いた文ではないかと思われる部分も多々。この作業を終えて、パソコンのホルダーから該当するデータを取り出します。そして、ページの行数・字数を設定したページもの編集ソフト「Adobe PageMaker」にそのデータを貼り付けます。

ページ組ができたところへ必要な写真を本文の中へ貼り付け、ラフ編集した原稿をDVD―Rにコピーして印刷所に送るという段取り。オン・ラインで送れればもっと手間が省けるのですが、版元をお願いした京都の法蔵館の編集担当者のパソコンは、少し重いデータを送るとはじかれるということがあったため、ディスク・メディアに書き込んで郵送することにしました。

以後、初校・再校と校正を繰り返し、表紙の装幀、プロローグ、エピローグ、目次、奥付など本文以外の部分も最終チェックを終わり、9月中旬には印刷に取りかかっているはず。ページ数は『萼』とほぼ同じで230240ページ。出版業務は、手書き原稿の時代に比べれば格段の進歩を遂げ簡易になりましたが、その立役者は何といってもパソコン・ITの普及。元号が平成に変わったころは、ワープロ専用機の時代で、私自身こんなにパソコンを使いこなすようになるとは予想だにしなかったこと。余談はさておき、1020日『蘂』の出版出来上がりが楽しみです。     

合掌

2010.10.3 住職・本田眞哉・記》

 

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