法 話

(12)「揺れる日本語」

  先日、あるシーフード・レストランへ行く機会がありました。玄関を入ると、「いらっしゃいませ。コートのほうお預かりします」。席に着くと、「料理のほうは何がよろしいでしょうか」と、ウエートレス。さらに、「デザートにコーヒーが付きますが、コーヒーのほうは、お食事が終わってからお持ちします」と、鄭重に接客してくれました。が、私はこのウエートレスのことば遣いが何か気になりました。私の感覚が古いのでしょうか。皆さんはいかがでしょうか。

 気になったのは、「のほう」。このことばはなくてもいいのではないか、いや、むしろない方が“正しい日本語”ではないかと思います。強いてあってもいいといえるのは、「コーヒーのほう」の「のほう」ではないか、と。もともと「ほう」は、二つのことやものを対比して、一つを取り上げる時に使う単語。したがって、料理に対してコーヒーを取り上げて「コーヒーのほう」というのはよろしいかと思います。

しかし、別に対比しなくて「コーヒーは、お食事が終わってから……」といっても充分意味は通じると思います。コートについても、対比するものがあれば「のほう」が生きてくると思われます。例えば、「傘は傘立てに入れてください。コートのほうはお預かりします」ならば違和感はありません。

しばらくして、注文した料理が運ばれてきました。スープの皿をテーブルに置き、「クラムチャウダーとなりま〜す」とウエートレス。その後も「……となりま〜す、熱いうちにお召し上がりください」というように、メニューに解説を加えながら料理を出してくれました。なぜ「……となりま〜す」といわなければいけないのでしょう。「……でございます」でよろしいと思いますが。「……となります」といわれると、「あなたの注文した料理、結果はこうなりますよ、よろしいですか?」と念を押されているようで、威圧感を感じるのは私のひがみ根性でしょうか。

そうそう、もう一つ気になる日本語がありました。それは「お召し上がりください」。いや、別に気になりません、みんな普通に使っていますよ、とおっしゃる向きもおありかと思います。いささか古いデータで恐縮ですが、1995年に文化庁が行った調査によれば、この「お召し上がりください」の表現について85.4%が気にならないと答えたそうです。正しくは「召し上がってください」。「お召し上がりください」は二重敬語になるのだそうです。

因みに、「とんでもございません」の表現は間違いなのです。正しくは「とんでもないことでございます」とのこと。78.7%の人が気づいていなかったと報告されています。私自身も「とんでもございません」は正しい日本語だと思いこんでいました。「とんでもないことでございま」した!

さて、美味しい料理をいっぱいいただき、満腹の腹をたたきながらレジへ。ここでまた例の不可思議な日本語が耳に入ってきました。「一万円からお預かりしま〜す」。すでに拙著『(うてな)』でも取り上げましたこの表現、レストランをはじめ、スーパー・マーケット、コンビニエンス・ストア、書店、果てはホテルに至るまで蔓延しているようです。

「一万円からお預かりします」は、決して正しい日本語とは思えません。「一万円、お預かりします」とか、「一万円をお預かり……」というのが正しい日本語ではないでしょうか。もし、「から」を生かすとすれば、「お預かりした一万円からお代をいただきます」というべきでしょう。でも、こんな長ったらしいことを言っていたのではレジの実情にあいますまい。そこで誰が考えたのか、どなたが教えたのか、レジ嬢はきょうも語尾を上げて「一万円からお預かりしま〜す」。いまや堂々たる“全国共通語”。

いやはや、一軒のレストランでこれほどまで日本語の“乱れ”にあおうとは思いもよらないできごとでした。が、よくよく気をつけてみると、日常生活のなかで不適切な日本語の表現に出くわすことがよくあります。「ら抜き」ことばの乱用も不適切な日本語の例でしょう。数年前文化庁が調査したデータが手許にありますが、状況は今も同じと思われます。特に若い世代に急速に広がっているようです。

「食べる」の可能の意味のことば「食べられる」を正しく使う人は全体では67.3%。逆に、十代男性では54.4%、同女性では46%の人が“ら抜き”の「食べれる」を使うとのこと。また、「来る」については、「来られますか」が全体で58.8%、「来ますか」は33.8%。しかし、十代男性の61.8%、同女性の51.4%が“ら抜き”。一方、「考える」の“ら抜き”「考える」は、全体で6.7%と意外と低率。十代男性でも19.1%しか“ら抜き”を使っていないと報告されています。

そのほか気になるのが「見る」「着る」の“ら抜き”。「見られる」「着られる」が正しいのに、「見れる」「着れる」をよく耳にします。私もついうっかりすると“ら抜き”に流れてしまいます。名古屋地区では、訛りといいますか、一音一音きちんとアタラ(声明(しょうみょう)用語)ずに短絡して発音する癖があります。例えば、「大根」を「でぁこん」、「大会」を「てぁゃきゃぁ」、「どえらい」を「でりゃぁ」というように。

したがって、「食べられる」「見られる」の一音一音を拾って歯切れよく発音するのが苦手。つい短絡して「食べれる」「見れる」と発音する方へと安易に流れてしまうのではないかと思います。その点巻き舌を常とする江戸っ子の人は、容易に「食べられる」「見られる」と発音できるのではないでしょうか。以上は私の独断と偏見。合掌。【次回へ続く:2002.3.3.住職・本田眞哉・記】

  

  to index