法 話

(124)「神祇不拝(じんぎふはい) 
   

()(どう)(つか)うることを得ざれ
(てん)(はい)することを得ざれ
鬼神(きじん)(まつ)ることを得ざれ
吉良(きちりょう)(にち)()ることを得ざれ

         『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』より
   

大府市S・E氏提供


神祇不拝(じんぎふはい)


 

 わが真宗の宗祖・親鸞聖人は、源氏・平家争乱のまっただ中の鎌倉時代に生を享けられ、9歳で出家得度し比叡山に登り仏門に入られました。伝教大師開山の比叡山延暦寺は、大乗菩薩道修行の根本道場であるとともに、当時の日本の最高学府。例えが悪いかもしれませんが、現代の国立大学・国立研究所と国立国会図書館が合体したようなもの。

 ところが、聖人が入門された当時の比叡山延暦寺は、開山以来400年を経て伝教大師の願いとは異質な方向へ向かっていたようです。いろいろな局面があったようですが、あえて例示すれば観念化と世俗化いえるかと思います。仏教が現実の生活とは無関係な学問として扱われ、観念化された学問の場になりはてていたという一面。一方、世俗化の問題としては、奈良仏教と同様現世の祈祷にエネルギーを傾注していたこと。

 親鸞聖人が自分を含めて特に問題視したのが後者の現世の祈祷。当時の比叡山では、社会の上層部を占める人々の依頼による加持・祈祷の請け負いが真っ盛り。また、死者の追善供養に明け暮れしているという状態でもありました。聖人は、一山の世俗化・堕落化を目の当たりにして嘆き悲しまれたことでしょう。上山後10年、聖人は生死の迷いを離れる道がどこに開かれるのかを求めて聖徳太子廟に籠もられたと伝えられています。苦悶の毎日だったのでしょう。

 その後も生死の迷いを離れる道を求めて悶々の日々が続きます。比叡山は名利の場で、もはや仏道修行の場でないと絶望。そして聖人は29歳の建仁元(1201)年、比叡山を下りて聖徳太子の建立と伝えられる六角堂に百日参籠を志願。95日目に夢告を得て法然上人を訪ねることになり、一筋の光に出会うことができました。法然上人の「ただ念仏して弥陀に助けられまいらすべし」のことばに出会い、親鸞聖人の信心が大転換しました。聖人のライフ・ワーク『教行信証』の「後序」には「建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す」と著されています。

 かくした聖人は、法然上人の教えを聞いて新たな教えの世界を切り拓いたのですが、そのことが母山・比叡山の逆鱗に触れ、師法然上人ともども時の権力者によって流罪に処せられたのです。法然上人は四国へ、そして親鸞聖人は越後の国へ。僧籍を剥奪され俗名藤井善信を名告った聖人は、遠流の地で現地の人々へ念仏の教えを説かれました。流罪の逆縁を教化の勝縁に転化し、精力的に各地を巡化されたのです。現在も北陸の地では浄土真宗の教勢が大きく維持されていますが、その発端は皮肉なことに聖人の配流だったのです。

 39歳の11月流罪は赦免になったものの、聖人は辺地の民衆に仏法を説き続けられました。その後聖人は越後から関東の地へ。上野の国から常陸の国へと教化の旅は続けられ、関東の地に念仏の教えが弘まりました。そして1235年、63歳の年に聖人は帰洛されました。京都では、先師たちの著作を書写し、自らも浄土和讃や高僧和讃を著作されました。そうした執筆活動の集大成が『教行信証』。中には、経典や高僧の著作の中から数多、しかも崇高な内容の引用文が収録されています。

聖人は、ご自身の求道遍歴の中から「神祇不拝」には格別の思いがあったようです。『教行信証』「化身土巻(けしんどかん)」には、『般舟三昧経』を引用して次のように記されています。

「自ら仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。()(どう)(つか)うることを得ざれ、天を拝することを得ざれ、鬼神を(まつ)ることを得ざれ、吉良(きちりょう)(にち)()ることを得ざれ。」

親鸞聖人の教えは「神祇不拝」。苦悩している状態から何とかして抜け出そうという発想の延長線上に神・仏を拝むことを徹底的に否定されたのです。われわれは迷いの世界・苦しみの世間を生きていますが、その迷い・苦悩の元は無明による我執(がしゅう)で苦悩そのものは存在しません。我執の世界を肯定することによって苦悩が生まれるのです。病気そのもの、死そのものが苦しみではなくて、病気×健康、死×生に対する我執が苦痛を招いているのです。

しかし、そうした我執の心に振り回されている自分自身に私たちは気づいていない。何か大きな力を借りてその苦しみを払いのけようとしたり、目に見えない力(例えば霊)によって自分が苦悩の世界に追い込まれているのではないかと右往左往したりしてしまうのです。そこで、何か大きな力を頼って神頼み・仏頼み(祈願)…無病息災・延命長寿・家内安全・商売繁盛・受験合格・ガン封じ・ポックリ信仰etc.が大流行。

現代人の神祇観は、神を拝しお(はら)いをすることによって自分の欲望がかなえられるものと錯覚しているようです。真実を宗とする親鸞聖人の教えにおいては、拝むことによって苦悩を払いのけるのではなく、拝むことによって苦悩の実態が掘り下げられ、その病根を掴みだすことができるのです。苦悩そのものはなくならないけれども、苦悩のメカニズムが明らかになってくる。人間の頭でいくら考えてもそのメカニズムは明らかになりません。拝むことによって、人知ではなく仏智の光に照らされて初めて明らかになってくるのです。

苦悩の仕組みが明らかになると、祈祷によって病・死払いのけるのではなく、自分のものとして受け入れることができる世界が開かれてくるのです。病気から逃げていた姿が180度ひっくり返って病気が苦悩の意味を失って引き受けられる―そういう世界が開かれてくるのです。「不死の法」という言葉がありますが、これはこの肉体が死なないということではなくて、死を引き受けていける世界が開かれてくるということです。仏法を聞くことによってそういう真実に目覚めることができるということをお教えいただくのです。

合掌

2011.5.15 前住職・本田眞哉・記》

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