法 話

(128)本山経常費完納表彰

   


  


大府市S・E氏提供
              

本山経常費連続50ヵ年完納表彰を受章




 「連続50ヵ年 経常費御依頼額完納寺院 表彰状及び記念衣体贈呈式」の招待状を拝受しましたので、去る10月14日(金)京都の本山・東本願寺へ赴き列席させていただきました。当日はどんより曇った重い空でしたが、本山到着時には傘不要でした。式典名が“じゅげむ”のような長い名前ですが、その趣旨と「経常費御依頼額」のシステムについて、式典の進行状況と併せて筆を進めて参りたいと思います。

 我が真宗大谷派教団は総寺院数8,900ヵ寺で、全国30の教区で構成されています。当山・了願寺が属しているのは、その中の尾張地区をテレトリーとする名古屋教区。同教区には672ヵ寺が所属しています。そして同教区は32の「組(そ)」分けられていて、その中の「第2組」に了願寺は所属しています。第2組の所属寺院数は30ヵ寺。

 「経常費御依頼額」の各寺への「割当(かっとう)御依頼」もこの組織の流れに沿って行われます。2010年度についてみますと、宗派経常費の総予算額は9,300,000,000円。その内の5,303,000,000円が「全国御依頼額」。名古屋教区への「割当御依頼額」はその12.1%、642,685,000円。その御依頼額を基にして教区内32ヵ組に、寺院数に応じて割当される金額が決められます。わが2組に対しては31,450,000円の割当御依頼がありました。

その割当御依頼額を2組内の各寺院へ再割当して納めて戴くのですが、総額を単純に寺院数で割った金額を割当御依頼するわけにはまいりません。何故かといえば、30の寺院はそれぞれ門徒数も、経済力も、寺院規模も、風土も全く違うからです。長い伝統の中で受け継ぎ伝えられてきた、寺院規模とか寺格とか門徒数などを基準にしてそれぞれの寺院の割当額が計算されます。こうして得られた数字に対しては当然異論も出ますが、なかなか全寺院が納得できるように公平に割当することは至難の業です。

2010年度の当山への割当御依頼額は1,315,000円也。2組内30ヵ寺の割当額の最高は1,951,000円、最低は377,000円。当山のランキングは金額の多い方から8番目。全体の上位3分の1内にカウントされているという状況のようです。いずれにしてもこの割当御依頼額の納入は、住職一人でできるものではありません。御門徒の懇念の賜です。

古来、真宗教団は「懇志教団」といわれています。御門徒一人ひとりの御懇志によって成り立つ教団です。他教団では、寺領から得られる年貢・家賃などを財源にして財政面が賄われていた教団もあったようですが、真宗教団においてはそうした財務体質はありませんでした。したがって、太平洋戦争終結後社会党政権が実施した「農地解放」も、真宗教団の寺院には深刻な影響はなかった記憶です。

したがって当山の場合も、私が住職に就任した今から五十余年前の昭和30年代、組長から割当御依頼額の札紙が届けられると、世話係の役員さんに集まって頂いて懇志集めの準備をして集金して頂きました。割当額を若干上回る金額を、本山の地方行政事務所である「名古屋教務所」を経て本山へ上納したことを思い出します。ただ、一年だけ上納できなかった時がありました。

それは、未曾有の台風「伊勢湾台風」が当地に襲来した年。昭和34年9月26日、午後4時ごろから吹き出した強風は時を追って強くなり、午後6時ごろには庫裡の瓦がカラカラと音を立てて飛び始めました。本堂は大揺れに揺れ、4本のガラス戸は連結したまま強風に吹き飛ばされ本堂内に強風が入り、内陣の20㎝厚の畳は宙に舞いました。死者・行方不明者5,000人余。高潮による被害も甚大で、護岸堤防はズタズタに壊され1ヵ月以上も水が引かないゼロメートル地帯もありました。

そうした状況下、御門徒の方々への懇志の御依頼もできず、事情ご賢察賜り上納を免除いただくよう本山へ嘆願書を提出しました。しかし、本山の方からはそうした事情に対して特別なお取りはからいもなく、その年度は「未納」扱いとなりました。したがって、今回の「50年連続」はその翌年・昭和35年から起算した数字のようです。愛知県内の他の寺院にもこうした事情に当てはまるケースも多いようで、今回の表彰式にも東海地区の寺院の方が多く同席されていました。

10月14日当日朝9時少し前、本山・東本願寺の大玄関で受付をすませて大寝殿へ。大寝殿ではお抹茶の接待がありました。北海道から沖縄まで日本全国からの参集ですので、前泊された方もあり当日新幹線で駆けつけた方も。また、私同様車で来山された方もありました。お茶をいただいた後ゆっくりと御影堂へ。宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要も円成して4ヵ月余、当時の賑やかさも消え今や落ち着いた雰囲気の中、御遠忌記念事業で修復成った堂内をゆっくり拝観することができました。

阿弥陀堂にもお参りして式場の御影堂へ戻ると時計の針は10時半間近を指していました。10時30分定刻に開式。真宗宗歌斉唱、門首挨拶のあと式次第は表彰状・記念衣体贈呈へと進みます。受章寺院は、今年宗祖親鸞聖人の御遠忌法要が厳修されたため2ヵ年分となり全国で231ヵ寺。その内91ヵ寺が欠席でしたので、140ヵ寺が参列したことになります。

典礼の寺院名呼び出しに応じて各寺2名が前へ進み、表彰状と記念衣体を受領しました。そうそう、「衣体(えたい)」とは何だろう?聞き慣れない言葉だなあ、思われるムキもおありかと思います。衣体とは、宗内法に則った僧衣のこと。今回の記念衣体は、連続50ヵ年宗派経常費御依頼額完納を称えて特別に制定された「畳袈裟」。畳袈裟というのは、外見は「輪袈裟」の形になっていますが、五条袈裟を畳んだもので広げると五条袈裟になる袈裟のこと。

受章台は2箇所設けられていてダブル・トラックで進められましたが、140ヵ寺が受章を完了するには50分ほどの時間を要しました。戴いた衣体を着用して宗務総長のお話を聞き、お勤めをしました。差定(さじょう=法要次第)は、正信偈(しょうしんげ)・同朋奉讃。全国各地からの参会者にもかかわらず、語句も節も全く乱れることもなく声高らかに唱和。堂内に勤行の声が響き渡り感動的でした。

式典終了後、懇談会場のホテル・グランヴィア京都へ徒歩で移動。ホテル・グランヴィア京都はJR京都駅の駅ビルの中。あいにく雨が降り出したため、東本願寺東南角から地下道へ。駅まで歩きましたが、近いようで遠い道のりでした。午後1時から会食・懇談。参会者が300名に垂んとする会食・懇談会場は圧巻。飲むほどに酔うほどに声が大きくなり、会場の雰囲気は盛り上がっていきました。

と、見知らぬ?住職らしき御仁が私に声をかけてきました。いぶかりながら拝顔すると「照元興園です」。「おーッ、照元君か」と思わず大きな声を出してしまいました。そう、高等学校の教員をしていたころの教え子だったのです。こちらも老けましたが、彼の頭も白髪、一見したところでは分かりませんでした。彼の結婚式で会って以来ですから40年ぶりの再会かな? 現在は高山教区荘川組の浄念寺の住職をしていらっしゃるとのこと。教え子に再会できて望外の喜び、ご縁の有り難さを痛感したひとときでした。【関連:当山HP「TOPIGS」ページ】         

合 掌

2011.11.2 前住職・本田眞哉・記》


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