法 話

(131)氷おおきに水おおし

   

  罪障功徳の體となる

  こおりとみずのごとくにて

  こおりおおきにみずおおし

  さわりおおきに徳おおし



大府市S・E氏提供
              

氷おおきに水おおし




 「こおりおおきに みずおおし さわりおおきに 徳おおし」

 真宗十派で発行している『法語カレンダー』の2012(平成24)年2月のページの法語です。出典は親鸞聖人制作の『高僧和讃』。更に詳しくは聖人が崇める七人の高僧の時代順第二番目の高僧・曇鸞大師の論議や徳を讃嘆した讃歌。

 因みに、親鸞聖人は主著『教行信証』をはじめ、数多の著作を残されました。ライフ・ワークの『教行信証』の正式名称は『顕浄土真実教行証文類』。『顕真実教 一』『顕真実行 二』『顕真実信 三』『顕真実証 四』『顕真仏土 五』『顕真仏土 六』の6巻から成り立っている浄土真宗立教開宗の根本聖典です。

 内容は、親鸞聖人の信心によって「経」「論」「釈」を類聚配列した一大体系の書。制作された年代は、『顕真仏土 六』(化身土巻)の中に元仁元(1224)年の年号があることから、聖人が常陸の国稲田に在住されていたころ一応まとめられ、帰洛後加筆補訂されたものと思われます。全巻は膨大なボリュームで、活版印刷されている手元の『真宗聖典』(A5判)でも250ページ余を占めています。門徒の皆さんがお内仏の勤行で読誦される『正信偈』は、『顕真実行 二』の中に収録されている韻文。

 わが真宗のバイブルともいえる『真宗聖典』には、『教行信証』に続いて次のような聖人の著作が収録されています。『浄土文類聚鈔』『愚禿鈔』『入出二門偈』『浄土三経往生文類』『如来二種回向文』『三帖和讃』『尊号真像銘文』『一念多念文意』『唯信鈔文意』。これらの中で、前述の『正信偈』とともに寺院およびご門徒の家庭で勤行に依用されているのが「和讃」。「和讃」とは、読んで字のごとく「和語(日本語)」の讃歌。漢語の讃歌を「偈」と呼ぶのに対しての呼び名です。

 親鸞聖人制作の『三帖和讃』は文字通り3帖で構成されています。『浄土和讃』『高僧和讃』『正像末和讃』の3帖。なお、「正像末」とは何なのかとおたずねの向きもおありかと思いますが、釈尊は自らの入滅後の未来について経文の中で三つの時代を説いていらっしゃいます。それは正法・像法・末法という三つの時代で、「三時」ともいいます。

正法時代とは、釈尊の仏法が正しく伝えられ、これを修行する民衆が盛んに証りを得る時代。像法時代とは、民衆の仏法に対する素養は正法時代より劣るけれども、仏法を修行する姿は正法寺代に似ており、形式化されて仏法が伝えられる時代。末法時代は、修行する姿もなく釈尊の仏法の利益が全て失われてしまう時代といわれています。三時の期間については諸説ありますが、一般的には釈尊滅後千年が正法時代。続く千年が像法時代。その後の末法時代は万年とされています。

 『真宗聖典』に収録されている三帖和讃を見てみますと、浄土和讃が118首、高僧和讃が117首、正像末和讃が114首、合計349首。話が随分遠回りしてしまいましたが、頭書のカレンダーの法語に戻しましょう。法語の原典とされる和讃は、収録されている『真宗聖典』や『大谷声明集』では次のように示されています。

  罪障功徳の體となる

  こおりとみずのごとくにて

  こおりおおきにみずおおし

  さわりおおきに徳おおし

 大意は、仏になるのに罪になり障りとなる悪業煩悩が、そのまま功徳になる。ちょうど氷が解けて氷となる関係のように、氷が多ければ解けた水も多い。同様に罪障深き者ほどその罪障が転じて成る功徳が甚大である。ということなのです。『教行信証』信の巻に「転悪成善益」という文言がありますが、まさにそのものズバリ。他力の信心を得ればこのご利益に与れるのです。

「廃悪修善」ではありません。「廃」ではなく「転」なのです。私たちが仏になる罪障も阿弥陀如来のお慈悲(本願)に触れることによって善に転じることができるのです。罪障が消えてなくなるのではなく、そのままで善に転じることができるのです。ちょうど渋柿の渋(罪障)がそのまま甘さ(善)に転じるように。渋(罪障)の度合いが高ければ高いほど転じられた甘さ(善)の度合いが高くなるのです。

合掌

《2012.2.3 前住職・本田眞哉・記


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