法 話
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大府市S・E氏提供 |
今から10年前、知人からライオンズクラブに入らないか、と誘いを受けました。「いや、私にはそんな資格もないし、お金もありません」と断り続けました。当時の情報としては、ライオンズクラブのメンバーは人品卑しからず、しかもお金持ちというのが一般常識であったと思います。ライオンズクラブでは、ウン十万円の年会費を納め、高級ホテルで例会を開き、高級クラブでお酒を飲み、ゴルフに興じるお金持ち集団…といったイメージを抱いていたのは私だけではありますまい。
したがって、お誘いを受けても遠いところの話だと決め込んでいました。ところが、よくよく聞いてみますと、現在活動中のライオンズクラブが新しい方式のライオンズクラブを生み出そうとしている、そのメンバーになって欲しいとのお誘いだったのです。勧誘の話を再々聞いてその目指す方向が徐々に分かってきました。
その新しい方式とは、現役を退いた“シニア世代” のメンバー構成で新しいクラブを立ち上げるのだそうです。したがって、会費も“お値打ち”とのこと。あゝそうか、シルバー世代によるライオンズクラブ活動か、なるほどと納得。確かに長寿社会となり、定年退職後も健康で時間に余裕がある人材が多いことは事実。
高額の寄付金を集めて市町の公共施設にモニュメントを寄進するというのが従来のライオンズクラブの典型的奉仕方式。それに対して、シニア・ライオンズクラブはお金でなく、「身体で奉仕」がメイン・テーマとのこと。また、“シニア”の名のごとく会員の資格年齢が男性60歳以上、女性は50歳以上ということで、リタイア世代。したがって、年会費も年金生活で賄える金額に設定。
そうした説明・説得を受けて私も入会することにしました。知多半島北部の三市一町それぞれのライオンズクラブの会員が地元でシニアの会員を募集。強力な募集活動の結果、合計31名の新入会員を得て「知多シニア・ライオンズクラブ」が発足することになりました。2002年12月8日「認証状伝達式」を挙行して正式スタート。
スポンサー・ライオンズクラブは、東海LC・知多LC・大府LC・東浦LCの4クラブ。これら知多半島内のライオンズクラブのエリアは行政区域と一致していますが、知多シニア・ライオンズクラブのエリアは上記三市一町にまたがっています。しかし、既存のクラブのメンバーが60歳以上になっても知多シニア・ライオンズクラブに転籍することはできないことになっています。
いよいよ我が知多シニア・ライオンズクラブ、出発・進行となりましたが、メンバーは初心者ばかり。手探りで日常活動を進め、親ライオンの指導を受けて奉仕活動を展開。幸い、各方面で長年にわたって活躍し、知識・技能豊かな人材が数多。国家公務員・地方公務員・医師・教員・会社経営・商社マン・農業団体幹部・僧職・商店主etc.の元職・現職。
そうした人材を生かして、「げんきに 楽しく 奉仕は汗で」のテーマのもと、今まで取り組んできた奉仕活動(アクティヴィティ)を以下に記してみましょう。まずは各市町の「産業まつり」「福祉まつり」「秋まつり」「福祉バザー」等への出店活動。菓子製造店経営のメンバーが業務用餅つき機を会場に持ち込んで菓子作りを実演して即売。セイロで蒸した餅米を石臼に入れ杵で搗く餅つきを披露。
今は石臼や杵を保有する一般家庭は殆どないでしょう。ましてや家庭内でこうした餅つき風景は見られません。若い世代にとっては未知の風景。飛び入り参加で杵を振り上げた若者も、“手返し”とのタイミングがなかなか合わずリズムに乗れません。見ている方がハラハラ。
いずれの会場も数千人の来場者で賑わい、仮設テントに出店した数十店舗の前はいずれも大勢の人だかり。メンバーはつきたての餅で餡を包んだり、逆に餅に餡をまぶしたりしてできあがった“商品”を店頭へ。10個入りのパックが積み上げられ、売れ行き上々。単価は安いものの、数量が多かったため売上高は相当額あり、益金の中から毎回10万円を福祉施設や市町に寄付。
一方、我が知多シニア・ライオンズクラブがここ数年間に亘り実施している労力奉仕活動があります。それは休耕農地を活用しての農耕栽培活動。農協関係のメンバーの指導よろしきを得て、先ずは休耕地の開墾。そして、さつま芋やジャガイモ、玉葱などを植え付け。収穫時には、近隣の幼稚園や保育園の園児を招待して芋掘り体験。掘り採った芋はそれぞれ「お持ち帰り」。
2012年度は当クラブ創立10周年ということで、活動の規模を拡大して「いも掘り体験アクティヴィティ」を企画・実施。10月下旬の1週間に2,979名の参加者を得て大盛況。招待の中心は3市1町の幼稚園児・保育園児で施設数は85。近隣の特養関係者など、一般の参加者もありました。作柄は良好で、一株に数個の大きな芋がぶら下がり園児の力では持ち上げられないものも。
社会奉仕活動はライオニズムのモットーですが、既存のクラブではメンバーからの拠出金で寄付行為を行うのが通例。シニアライオンズクラブは、現役引退ということで金銭的に余裕がないため、そうしたかたちでの寄付行為は無理。そこで身体を使っての社会奉仕がシニアの身の丈にあった活動といえましょう。 我がシニア・ライオンズクラブは、そのテーゼを実践しているのです。
最近は経済情勢に鑑み、一般のライオンズクラブでも“金銭奉仕”から“労力奉仕”に活動の重点が移行しているようです。世界に広がるライオンズクラブの基本理念は「奉仕」。ライオンズクラブ国際協会のモットーは「We
Serve !」。我がシニア・ライオンズクラブが重視する労力奉仕の方が金力奉仕より一層真意を表しているように思えるのですが手前ミソでしょうか。
そんなことを考えている私の頭に、フッと平安・鎌倉時代の日本仏教の流れが浮かびました。唐突ながら、“金銭奉仕”と“労力奉仕”のあり方の中に似て非なるものを感じたのです。ご存じ、中国から日本へ仏教が伝来したのは6世紀の初め。それからほぼ300年間は奈良仏教の時代。聖徳太子の十七条憲法の第二条には、「篤く三宝を敬へ。三宝は仏法僧なり。(中略)其れ三宝に帰りまつらずば、何を以ってか枉れるを直さむ。」と記されています。仏教を拠りどころとして施政が行われ、飛鳥・白鳳・天平、三時代の仏教文化の花が咲きました。
9世紀の初めになって最澄が天台宗を、空海が真言宗を開宗。以後、両宗は教線を拡大し平安仏教が開花。朝廷や貴族をパトロンとし、富裕層を中心に信仰を集め、経済的にも社会的にも権勢を増大しました。その象徴的双璧が伝教大師最澄の比叡山延暦寺と弘法大師空海の高野山金剛峰寺。いずれも平安仏教の総本山ですが、貴族階級や豪商の加持・祈祷の請負業者といった一面もあり、一般庶民にはほど遠い存在でした。
そうした比叡山のあり方に疑問を抱き修行途中で下山し、一般庶民に救われる道を説いたのが我が宗祖親鸞聖人。同じように中途下山したのが法然・道元・日蓮の3上人。いわゆる鎌倉仏教の祖師たち。親鸞聖人の師である法然上人は浄土宗を開き、道元禅師は曹洞宗を開宗。また、日蓮上人は独自路線で日蓮宗を開宗。いずれも現在の日本仏教界主流教団の祖師たち。天台・真言の「貴族派」に対して「庶民派」といえるのではないでしょうか。
さて、話をライオンズクラブに戻しましょう。知多シニア・ライオンズクラブに10年間在籍し、所属するライオンズクラブ国際協会334-A地区5R.2Zの各種会合に出席してつくづく感じたことは、いささか乱暴ながら、既存のライオンズクラブは“平安仏教”方式、シニア・ライオンズクラブは“鎌倉仏教”方式といってもよろしいかと思いますがいかがでしょうか。
合掌
《2013.5.3 前住職・本田眞哉・記》