法 話

(147)奉仕活動 

    



大府市S・E氏提供
           





奉仕活動
 
 
 
 
 
 

 昨日は知多シニアライオンズクラブの創立10周年の記念行事がありました。私もメンバーの一人として行事の中で担当分野に力を注ぎました。夜8時に全てのイベントが終了してホッとすると同時にドッと疲れが出ました。私の担当は、セレモニーと記念行事の写真撮影。もう一人のメンバーと二人でカメラのシャッター・ボタンを押しました。

 そもそもライオンズクラブとは何ぞや。過去の一般的な常識では、お金持ちの集まりで派手に飲んだり食ったりする団体と思われていました。いや、今でもそう思っていらっしゃる方がおありかも。そして会員が多額の金銭を拠出して公共の場などにモニュメントや施設を寄付する活動をメインとする富裕層の団体というのが“通り相場”でした。

 現在でもそうした伝統を保持している金持ち集団のクラブもあるようですが、私が属しているシニアクラブはそうしたクラブとは対極的で、金のかからないクラブ。年会費も10万円ほど。したがって地元の施設などへ金品を寄付することは殆どなく、スローガンも「元気に 楽しく 奉仕は汗で!」。

 その典型が「楽農広場」での活動。2ヘクタール以上の広さの休耕地を活用して、さつま芋やジャガイモ、そして玉ねぎを作付けして栽培。さつま芋の収穫時には、近隣の幼稚園児や保育園児を招待して「芋掘り体験会」を開催。今年はCN10周年記念行事の一つとして、寒風吹きすさぶなか子ども達が玉ねぎ苗の植え付けをしました。6月初旬には、子ども達が自分の植え付けた玉ねぎを穫り入れる予定です。

 10周年記念事業の一環として企画した今年の「芋掘り体験会」は、昨年10月下旬4日間に亘って開催。この特別企画は、東浦町にある「楽農広場」でなく、大府市の「げんきの郷」近くの特設農場で実施。東海・大府・知多・東浦の三市一町の幼稚園児・保育園児、合計3,000名が参加して大盛況でした。

小さなスコップを手に不慣れな手つきで一生懸命掘りますが、作業はなかなか進みません。先生やクラブ員がお手伝い。完全に掘れていないのに気早に蔓を引っ張って芋が欠けてしまい泣き出す子も。おそらく先生も保護者も芋掘りは初体験の方が殆どでしょう。珍しさも手伝って、芋の掘り出しに成功した子は芋を高く掲げて大歓声。特大の芋を掘り当てて持ち上げるのが精一杯の子も。

 クラブ員は園児を指定のいも畑区画へ案内したり、子ども達の芋掘りを手助けしたりしてお忙し。まさに汗を流しての奉仕活動。おそらく既設の富裕層のライオンズクラブでは想像もできない奉仕活動ではないでしょうか。加えて、こうした収穫作業ができる背景には、クラブ員による作業が数倍の規模で求められるのです。芋畑の場づくりから植苗、除草、施肥に至るまで。

 7~8年前、私が会長を務めさせて頂いた年度も「元気に 楽しく 奉仕は汗で!」のモットーに則った奉仕活動を企画・実施しました。但し、「手づくり」で流す「智恵の汗」。それは冊子『伝承』の出版。サブタイトルは「シニアの戦争・災害・生活体験からの教訓を次世代へ―」。シニアだからこそできる取り組み。その趣旨を巻頭の「プロローグ」から一部引用してみましょう。

    終戦から60年、戦争を知らない世代が急速に増え、戦争の悲惨さも風化しつつあります。特に最近、イラク戦争との関わりの中で、戦争体験のある世代と無い世代との間で、平和に対する認識のギャップがかなりあることが分かりました。言い換えれば、戦争の悲惨さ・残酷さが世代間であまり語り継がれていないということでしょう。

    一方東海地方では、近未来に巨大地震が発生すると報道され、対応策が講じられつつあります。一般家庭での耐震意識も昂揚してきているものの、今一つの感があります。この地方では、戦時下に東南海・三河の連続激震が発生し、1959年9月には伊勢湾台風が襲来し未曾有の被害をもたらしました。しかし、年月が経つにつれ、過酷な体験の伝承も途絶え、災害に対する備えも薄れてきています。(中略)

知多シニアライオンズクラブのメンバーは文字どおりシニア、戦争や災害の体験、子育ての苦労の中から学んだ教訓等、さまざまな経験・知識を持っている世代です。奉仕活動の一環としてこの“財産”を次世代・次々世代に語り継ぎ、非戦・平和の意識と災害に対する危機管理意識、あるいは子育てや衣食住に関わる文化・日本の心を少しでも伝承したいと思っています。(後略)

 こうした趣旨のもと『伝承』出版事業がスタート。まずは原稿集め。33名のクラブメンバー全員に原稿執筆を依頼。戦争・災害・生活体験と、そこから得られた教訓をしたためて頂くことにしました。当時の写真の発掘もお願いしました。中には“身体で奉仕”は得意だが文章を書くのは…というメンバーもいましたが、原稿用紙1枚でもよろしいからと、無理なお願いをしたことも思い出されます。

 3か月ほど要しましたが、メンバーから35編の原稿が寄せられました。早速我が家のパソコンのキーボードを叩いて入力作業。また、4市町の首長からはメッセージ、教育長からは特別寄稿をいただきました。これらの原稿に当時の写真やイラストを加え、編集会議で割り付けをしたところ、ちょうどA4判100ページに収まる見通しとなりました。

 Adobeのパブリッシングソフト「PageMaker」を使って版下の作成作業に入ります。このソフト、1行の字数セットや行間の設定、そしてページのセッティングが容易にできるうえ、作動も安定していて非常に便利。ページ送りも自動的にできるため、10行文他原稿からコピーしてきて「挿入」すると、挿入ポイントより先のデータは自動的に先送りされ、逆に、不要部分を「削除」すれば、それより先の行数が繰り上がってきます。

 さて、版下ができあがれば次は「製版」から「印刷」への手順となります。印刷機はRisoの簡易印刷機。プロ仕様の8丁がけ16丁がけではなく、A3用紙にA4判2ページを印刷する簡易印刷方式。PCのdataを特殊な「原紙」に焼き付け、それを輪転機に装着して印刷するというシステム。表面の印刷ができあがると、裏返して裏面にも印刷。都合1枚のA3用紙にA4サイズが4ページ印刷され、二つ折りにして25枚積み重ねると100ページの本になるという寸法。

 PC上に版下を呼び出しRiso印刷機へdataを送ります。数秒後カタ、カタッと印刷機が作動し始めます。ブーンという製版の音のあと、テスト印刷された紙が排出されます。文字・写真・行間・列間レイアウトが間違いないかを確認して印刷作業スタート。自坊の狭い事務所に数人のメンバーが集まって作業分担して進行。A3用紙のパッキングを開く人、印刷機に用紙をセットする人、版下の取り替えをする人、刷り上がった紙を取り出してそろえ、製本屋向けに梱包する人…等々みんな力一杯仕事をしました。

 発行冊数は2,500冊、1冊は100ページ、A3用紙1枚に4ページですから100/4=25枚。1冊は25枚のA3印刷紙で成り立つことになります。ということは、A3用紙の必要枚数は2,500×25=62,500枚。輪転印刷機の印刷回数は表裏なのでその2倍、実に125,000回。全て正常に働きました。Risoの印刷機は大したものです。2,500枚印刷する所要時間は約20分ですが、用紙の入れ替え等を含めと約30分。10人足らずのメンバーで2日間ほど“労働奉仕”をして印刷は完了。

 製本屋さんに印刷を終えた63,000枚ほどを集荷にきていただき『伝承』の手作り出版事業は完了。出来上がった『伝承』冊子を東海・知多・大府の3市と東浦町の小中学校56校に寄贈。ただ、児童・生徒全員に配布となると膨大な数になるので、各校とも学級数+役職者用5冊をプレゼントしました。また、ライオンズクラブ関係では、キャビネットの役職者と5R1Z・2Z(知多地域)の10クラブの会員に贈呈。

 こうした手作り奉仕活動に対して、ライオンズクラブ内のみならず各方面から沢山の賛辞を頂戴しました。会員が多額の拠出金を出して地域社会に豪華なモニュメント等を贈るという従来方式のライオンズクラブの記念事業活動について、立ち止まっていささかなりとも考えるご縁になれば幸甚の至りです。我々シニアは人生の終章の中でできる奉仕活動を発案し展開することで生き甲斐を感じたいと思っています。

  合掌

《2013.5.30 前住職・本田眞哉・記

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