法 話

(153)泰のことあれこれ 

 

 

   



大府市S・E氏提供
           


泰のことあれこれ」




 タイの首都バンコクでは、今月1日デモが激化して大混乱を呈している模様。反政府派と政府支持派が対立して双方のデモ隊が衝突し、3人の死者が出たとのこと。デモを主導する野党民主党のステーブ元副首相らデモ隊幹部はタクシン元副首相の政治体制を根絶するまで徹底抗戦する構え。

 一方、政府を支持するタクシン派も数万人の集会を開催し、反タクシン派と衝突。銃撃などで死傷者が出たのち解散。しかし、反政府デモ隊の勢いは衰えず、政権打倒の宣言をして財務省や政府総合庁舎を占拠。首相府では約23,000人のデモ隊が敷地を包囲して強行突破を試みたが、警官隊が催涙ガスを発射するなどして阻止したと報道されています。

 さらにデモ隊は国営放送に侵入し、ステーブ氏の演説を中継するように要求し、国営放送側はその要求を受け入れ放送したとのこと。バンコク全域には非武装の軍兵士約2,700人が派遣され、治安維持に当たっているという。デモ隊側は、インラック氏側からの対話の呼びかけを拒否しているようです。

 続報ではプミポン国王の86歳の誕生日である12月5日に国王が何らかの解決策を提示するのではないかと期待が寄せられているようです。過去にも政治的混乱が発生した時に国王の提案・助言・調停等によって収拾されたことが私の記憶の中にもあります。今回も国王の何らかのメッセージを受けて125日には事態は集束に向かうのではないでしょうか。

 バンコクのデモ激化情報を伝えるテレビ中継報道の背景に、聳えるパゴダが見え隠れしバンコクのことが懐かしく思い出されます。バンコクへはいく度か訪れていますが、最も印象に残っているのは1982(昭和57)年8月の訪問。それは、名古屋音楽大学が「ラタナコシン王朝200年祭」を慶して企画・実施した演奏旅行で、演奏団長の委嘱を受けて訪れた時のこと。当時、私は名古屋音楽大学の海外研修の担当を仰せつかっていましたので。

 参加団員は、名古屋音楽大学の演奏団学生45名、並びに雅楽・筝曲・詩吟のメンバー40名を中心に総計150名。823日午後、バンコクの国立劇場小ホールで現地の民族音楽奏者との交歓演奏会。タイ側は、タイ芸術局員による伝統音楽・伝統舞踊を披露。わが演奏団のプログラムは、名古屋音楽大学生による合唱と雅楽・詩舞・筝曲の演奏。

 翌24日は午前中水上マーケットや王宮を見学し、午後は暁の寺院とエメラルド寺院に参拝。そして夕刻には、公開演奏会に臨むため国立劇場の大ホール入り。リハーサルを済ませ、いよいよ本番。大ホールの観客席は千数百名の聴衆で満席。午後630分、いよいよ「日本の歌と舞」の開演。

まずは雅楽。管弦は羽塚尚明氏率いる17名の雅楽団。舞は大原誉子さん他3名が出演。演目は、1.管弦「越天楽」2.舞楽「万歳楽」3.舞楽「還城楽」。続いて筝曲。「さらし風手事」を羽塚禎子さん他5名が演奏。三番手は、安倍秀風氏他2名による詩吟の吟詠。メリハリのある声が会場内に響き渡りました。演目は扇舞「宝船」・「京の花」、独吟「祝賀詩」。

舞台はガラリと転換して「女声合唱」。出演は名古屋音楽大学の学生。指揮は楠光男教授。テーマは「日本の四季」。曲目は「花」・「早春」・「ひばり」・「もりのよあけ」・「川」・「夏の思い出」・「ねむの花」・「荒城の月」・「冬の星座」・「雪の降るまちを」の10曲。すばらしいハーモニー。さすが音楽専門大学生のコーラスだとの声しきり。

ロイヤルボックスには、シリンドーン王女やソムサワリ王妃ほか多くの貴賓のお姿。日泰有友好親善の象徴的演奏会となりました。演奏終了後、シリンドーン王女はじめ王族の方々に日本から持参した品々を私からプレゼントさせていただきました。感動の一場面でした。プレス各社の取材もあり、現地の英字紙も交歓演奏会を大きく取り上げてくれました。

A rare cultural treat from Japan」と大きな見出しを掲げて報道。「The graceful dance accompanying  “Ga-Gaku”  music is called  “Bugaku”.  Both arts were introduced to Japan in the 7th and 8th centuries from China, but now remain alive in japan only.《優美な踊りとともに奏でられる〝雅楽〟は〝舞楽〟呼ばれる。両者は78世紀に中国から伝来した芸術で、日本にのみ残存している。》雅楽を演奏する舞台を写した80mm×110mmの大きな写真も添付され、A performance of Ga-Gaku by the Nagoya College of Music」《名古屋音楽大学による?雅楽の演奏》のキャプションも。

 なお、この演奏会を企画・主催したのは任意団体「アジア文化交流センター」。その前身は1978(昭和53)年発足の「ボブドゥール修復支援会」。両会の発起・主宰はいずれも宇治谷祐顕名古屋音楽大学長(当時)。ボブドゥール修復支援会の発端は、1976(昭和51)年7月に実施した「ボロブドゥール仏教遺跡巡拝と東南アジア文化研究調査」ツアー。47名の参加団員を得て研修旅行が行われ、ボロブゥドールの修復支援の必要性を痛感。東京のユネスコ・アジア文化センターを訪れて伊藤良二理事長(当時)の指導を仰ぎ、修復支援活動を始めることを決定。

 以後、国内では展示会や講演会などをあちこちで開催して募金キャンペーンを展開。加えてB707機を4機チャーターして、寄付金付き現地研修踏査ツアーを企画・実施。700名に垂んとする参加者を得て現地踏査研修は大成功。最終的には1979(昭和54)年714日、ボロブドゥール演壇上で、ボロブドゥール修復公団のスビヤントロ氏に35,000ドル(当時のレートで約2,000万円)の寄贈目録を手渡すことができました。

 ボロブドゥール修復支援事業の円成を受けて、ボロブドゥール修復支援会はその使命を終え「アジア文化交流センター」に生まれ変わりました。同センターは、国内で「アジア文化の集い」を企画・実施するとともに、海外でも各種演奏会・文化交流会を開催。前述のバンコクの国立劇場で開催した「ラタナコシン王朝200年祭協賛演奏会」もその一環。

 また出版活動としては、1987(昭和62)年7月に『甦るボブドゥール』を出版。最初に訪れた時には、ボブドゥールの回廊壁面に設置された1,460面の壁彫の大半が傾いたり崩落したりしていましたが、ユネスコの修復事業により完全とまではいかないまでも見事に復活し。その壁彫を一面毎カメラに収め、B5判変形・アート紙422ページの写真集として出版することができました。そのほか、小冊子や研修報告満載の会報等を数多く出版。

 1999(平成11)年に宇治谷祐顕会長が亡くなられた後、私が会長を務めさせていただきましたが、高齢化したこともあり昨年会長職を辞し、ご長男の宇治谷顕氏に後任をお願いしました。会員の高齢化ということもあり会の活動はイマイチの感を免れませんが、私としては陰ながら活動を支援していく所存です。

合掌

《2013.12.3 前住職・本田眞哉・記

 

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