法 話

(155)節分談義 
 

 

 

   



大府市S・E氏提供


   

節分談義

  

 

 23日(月)は「豆撒き」が慣例の節分。しかし、「節分」は23日に限ったわけではありません。文字通り季節を分けるその日の前日のこと。24日の立春の前日・3日の節分は「節分」の代表格。立夏・立秋・立冬の前日も節分とされ、四季の始めそれぞれにあって年4回ある勘定。しかし、何といっても江戸時代以降人口に膾炙しているのは立春の前日23日の節分。

 オッ~と、その23日の日付、絶対的なものではないようです。インターネット上の「Wikipedia」によれば過去に24日であったこともあり、2025年からは閏年の翌年は22日になることもあるようです。いずれにしても、節分は立春の前日で、立春は太陽黄経が315度となる日。天体の運行に基づいた日付なので人知で動かすことはできませんが、毎年必ず巡ってくることには間違いありません。

 節分に限らず昔から日本の社会では、年に一度巡ってくるこうした日付に何らかの意味づけをした年中行事が執り行われてきました。『延喜式』によれば、季節の変わり目には邪気(邪鬼)が生じると考えられ、それを追い払うための悪霊払い行事が立春の日の前夜(節分)に宮中で行われていたといわれます。室町時代には炒った豆を撒き「鬼外福内」と唱えて鬼を追い払ったと伝えられているようです。そうした宮中行事が庶民に取り入れられ、節分当日寺社で豆撒きをするようになったようです。

 近ごろ「恵方巻き」が節分の話題に加わってきました。恵方巻きとは? 何のことはない巻き寿司のことでした。その巻き寿司を節分の日にその年の「恵方」の方角を向いてかぶりつき、目をつむってものも言わずに1本を食べきらなければならない、ということのようです。噛む力飲み込む力が強くないと、救急車のお世話になることになるかも。今年の方角は東北東とのこと。蛇足ながら、「当店では××寺でご祈祷された海苔を使っています」とする店も

 ネット上の節分のページには「開運」「恵方」「吉」「縁起物」等々の文字が踊っています。いずれにしてもこれらの単語の裏側には自分にとって都合のよい、利益(ごりやく)をもたらす目に見えない力が働いていると思い祈願する心を生じさせるのではないでしょうか。いわゆる現世利益を求める心から出発した行     為というべきでしょう。

 そうした願かけによって幸せが得られたらそれはそれでいいじゃないか、とおっしゃるムキもおありかと思います。が、親鸞聖人はそういうことを願うこと・祈ること、そうした行為を徹底的に否定されました。聖人が残された著作の中にもそうした数多くの言葉が残されています。

愚禿悲嘆述懐和讃(ぐとくひたんじゅっかいわさん)』には

     かなしきかなや道俗の

     (りょう)()吉日(きちにち)選ばしめ

     天神(てんじん)地祇(じぎ)をあがめつつ

     卜占(ぼくせん)祭祀(さいし)つとめとす

 とあります。

 古来言い伝えられている言葉に「門徒ものもの知らず」「門徒もの忌まず」があります。「もの忌み」とは、不吉として物事を忌み嫌うこと。もの忌みと神祇信仰は表裏一体の関係。天神-=天の精霊 地祇=地の精霊 卜占祭祀=霊の祟りや支配から逃れるため占いに頼りお祓いすること。親鸞聖人は、自分も含めて人間が霊の祟りや支配を畏れ逃げようとする実態を見極め、その元凶はどこにあるのか明らかにしなければ苦悩は解消しないとおっしゃっています。

 元来私たちは「外物他人」によって己を満たそうとしているのです。そうした体質が限りなく霊や祟りを畏れ、諸々の神々を生み出し作り出しているのです。そしてまた、その作り出したものによって呪縛されていくのが私たちの実態です。いわば私たちに内なる霊が生まれてくるわけです。そして、この内なる霊の実態が明らかにならなければ、祟りの問題は解決できません。

その唯一の解決方法は真宗の教えによってその体質が透視されること。私の体質が弥陀の本願の光によって透視されることにおいてのみその実態が明らかになるのです。自己の体質を明らかにするのには、自己自身の力に頼ってはできません。それは、あたかも自分の頭の上の池に飛び込んで自殺しようとする落語の噺のように

 阿弥陀仏の本願の光明に照らし出されることによってのみ、私が外物他人によって己を満たそうとしている状況であり、だからこそ霊に振り回され祟りを畏れた生き方しかできない、そういう私であることを知らしめられるのでしょう。私たちは、真の教えとの出会いによってのみ、そうした私の生き方が透視される尊いご縁に遭わせていただけるのです。

合掌

 

2014.2.1 前住職・本田眞哉・記》

 

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