法 話

(158)ITからICTへ 
 

 

 

   



大府市S・E氏提供


   

ITからITCへ

  

 


 今日では携帯電話を利用しない日は一日もないといっても過言ではありますまい。しかし、私が現在使っている「ケータイ」の「形態」は昔ながらの「携帯」。「iPhone」といったようなスマートフォンではありません。以前の携帯が故障して現在の携帯に買い替えたのが2007年。爾来7年余にわたって「愛用」しているのが現在の携帯。用途は文字通り「停滞電話」のみ。

 今や携帯も優れものが普及していているにも拘らず、私の携帯はいまだに「スマホ」に乗り換えていません。その訳は、携帯端末はあくまでも「電話」のみで充分。mail などの通信機能はパソコンの通信機能e-mail を使うべきだというのが私の持論。この機能を活用すれば一行の文章から数ページにわたる書類や写真などの大きなデータも送信することができます。また、着信したデータの閲覧もスマホのディスプレーよりはるかに大きい画面で見ることができます。

 こうしたモバイル技術の開発は日進月歩、いや“時進日歩”といえるのではないでしょうか。「スマホ」はウエブサイトの閲覧や電子メールの送受信といったインターネット利用のみならず、スケジュール管理や書類ファイルの閲覧もでき、ほぼ、“携帯PC”といえるほどに進化。小粒でも機能豊かな優れものになってきています。私の持論など蹴散らかされそう。

 その元を尋ねればIT技術の急速な進歩があります。「IT」は言うまでもなく「Information Technology = 情報通信技術」の略。200011月に「IT基本法(高度情報通信ネットワーク社会形成基本法)」が制定されたことから「IT」の語が広く使われるようになりました。そして20011月「e-Japan戦略」が策定され一層「IT」の語が一般化したようです。いうまでもなく「IT」はコンピュータやデジタル通信に関する「情報技術」を意味し、パソコンやインターネットの操作方法からハードウエアやソフトウエアの応用技術に至るまでの総称。

そうそう「IT」といえば、最近は「ICT」というのだそうですね。2005年に総務省は「IT政策大綱」を「ICT政策大綱」に改称。「ICT」=「Information and Communication Technology」。ITの間に「Communication」というキーワードを挿入。そして、今までの「e-Japan戦略」を「u-Japan政策」に転換。

 文部科学省は、公立学校においてパソコンやデジタルTVを導入し子供たちの情報活用能力の育成と向上を図るための「ICT環境整備事業」を展開。世代や地域を超えたコンピュータの利活用や人と人、人とモノを結ぶコミュニケーションを重要視して「IT」を「ICT」に転換したのでしょう。ところが、他の分野では「ITパスポート検定」とか「IT経営応援隊」など、まだ「IT」を使うところも多く、まだ完全に「ICT」に統一されたとはいえないようです。因みに、HP上では政府や自民党でも「IT」を使っているのが散見されます。たとえば「IT総合戦略本部」「IT担当大臣」「IT基本法」「IT戦略特命委員会」etc.

 語句の変転のみならず、技術面・政策面・内容面においてもIT分野の変革は急速のようです。前述「e-Japan戦略」の後継として「u-Japan政策」が設定されました。この「u」は「Ubiquitous」のu、「いつでも、どこでも、だれでも、なにでも」の意。したがってu-Japan政策」は、簡単にネットワークの恩恵を受けることが できる社会「ユビキタス社会」を実現しようとするもの。

 翻って、我が家の「ITの?歴史”や如何。正確なデータは残っていませんが、最初にワードプロッセッサーを導入したのは1986(昭和61)年だった記憶。ポータブルの英文タイプライターを平たくしたようなフォルムで、手前にキーボード後ろにローラー式のプリンターが乗っかった形式。ディスプレーは液晶で、キーボードとプリンター間に幅数センチで横たわっていました。長文の場合は打ち込んだ文章を見るにはスクロールしなければなりません。

プリントアウトは英文タイプライターと同様にローラーと抑えの間に紙をはさみこみprintボタンを押す。ハード・ディスクのデータ信号がヘッドへ送られ、ヘッドはインクリボンを紙に圧着して印字ができるというシステム。したがって、ローラー部分は一行ごとに回転しながら左右に高速で往復運動を繰り返します。幅数mmのインク・リボンはカーボン紙のように数回使うというわけにはいかず、カセットの中をone way 方式で1回通り過ぎればお役目完了。ただ、「感熱紙」にヘッドから直接印字すればインク・リボンは必要ありません。ただ、時間を経過すると印字が消えてしまうので、複写機などでcopy を取っておく必要があります。

 その後、ブラウン管ディスプレーとハード・ディスクとプリンターが一体になり、キーボードが切り離された上位機種に乗り換えました。このワープロは現在も事務所の机上でほこりを被って鎮座ましましています。一方でパソコン(PC)が急速に普及し始め、新しい物好きの小生の食指がピクピクし出しました。そして、1990(平成2)年10月遂にパソコン導入を決定。

 地元のPC専門店にお願いして納入していただくことにしました。何せ初体験なので全て業者任せ。ゼロからのスタートなので、まずはラックの選定から。次に導入機種の選定。といっても何もわからない状態。カタログで説明してもらってもチンプンカンプン。ただ、キーボードなどの操作性とかデータ容量とかフロッピーディスクなどについてはワープロで経験しているのでほぼ理解できました。

そして、当山のPC導入については、檀信徒名簿の管理と郵送事務、法人会計の処理、寺報の編集・発行、各種法要の案内状の作成と発送等々の事務を効率化することが目的であるとお話ししました。また、近い将来にはHPを立ち上げたい、と。こうした説明を受けて、業者の方から機種選定について提案がありました。記憶が定かではありませんが、その機種は確かNEC9801だったと思います。かくして機種は業者提案のとおりに選定。当時この98シリーズが人気を博し話題になっていました。

いよいよ納品。寺務所に機材が運び込まれ、まずはラックの組み立て。ラックの最上段にプリンターを設置。パソコンはワープロ機に比べれば大きくどっしりとしたシステム機。ラック中断にCPU、そしてその上にディスプレー。CPU本体には5インチのフロッピーディスクのドライブが2基。ディスプレーはブラウン管方式で12inchぐらいではなかったかなと思います。奥行きが30cmほどあり、現在使用中のディスプレーの厚さと比べると10倍ほど。

プリンターも奥行きが20cm以上あり高さや幅も大きく、ラックの最上段で存在感タップリ。インクはカセットに入った液体を噴出するインクジェット方式だった記憶。インクの噴出口が詰まって文字がかすれたりしたことを思い出します。噴出口をブラシで掃除したり、捨て刷りをしたりして調整をしたかと思います。あるいはカセットに入ったインク・リボンだったかな?ちょっと記憶が曖昧。いずれにしてもプリントアウトした紙面はモノクロ。もちろん絵や写真はありません。

まだこの時期は「Windows」が登場する前。マイクロソフト社のOSOperating System)を使っていました。その名は「MS-DOS」。2つあるフロッピーディスクドライブにまず5インチのシステムディスクを挿入してシステムを立ち上げる。もう一つのドライブにデータディスクを挿入してデータを読み込む。キーボードで作成した文書や修正したデータや書き足したデータをフロッピーディスクに保存。プリンターを起動してデータをプリントアウトする。文書が完成。システムディスクを抜き取り、データディスクも抜き取り作業完了。

パソコン教室に通うこともなく、家庭教師に教えを乞うこともなくすべて「我流」でパソコン技術を“研究・実習”。でも、まぁ何とか仕事ができるようになりました。ただ、5inchのフロッピーディスクは磁気ディスクの一種ですが、薄いペラペラのプラスチック製で、紙の保護ケースに包まれています。したがってパソコン本体の狭いスロットに入れたり出したりする時ヒヤヒヤ。「floppy disk」のfloppyはもともと「柔らかい」という意味だから、むべなるかな。

試行錯誤を繰り返しながら98に慣れ親しみ、独学で文書作成などもできるようなって数年、新兵器「Windows」が出現。1995(平成7)年1123日、その名も「Windows95」の日本語版が発表されました。日本のPCブームの幕開けでした。Windowsはその後、982000MeXPVISTA Windows7 Windows8 とバージョンアップして、最新はWindows8.1。先日XPのサポート終了が伝えられましたが、残ったOSもいずれ消される運命にあるのでしょう。

一方、当山のPCもハードウエア、ソフトウエアとも幾多の変遷を繰り返してきました。前述のように1990(平成2)年10MS-DOSでスタートしましたが、1997(平成9)年8月にはWindows95の導入に伴ってハードも入れ替え。2001(平成13)年11月には動画編集の必要性もあって第3台目はSONY製のPCに乗り換え。第4台目は2005(平成17)年11月購入。同じくSONY製品でしたが、プレインストールされた動画編集ソフトは前バージョンよりもさらにハイレベルになっていました。そして現在活用中の第5台目は2011(平成23)年3月に使用開始。爾来3年を経過していますが今のところ正常に作動してくれています。

こうして来し方を振り返ってみますと、私自身電子機器激変の時代を生きてきたのだな、と改めて実感し感無量の思いです。そしてその間の日本・世界の電子工学技術の進歩・発展は前代未聞のこと。こういった時代に生を享け、さまざまな経験をさせていただいたことに感謝の念一入です。ガリ(孔)版印刷にのめりこみ、技巧の研究と実践に励んだ大学時代。

教員時代にはタイプライターを活用し、住職になってからはガリ版と邦文タイプを駆使して寺報などの印刷に取り組みました。そうそう、「謄写ファクス」という製版方式もありましたっけ。回転ドラムの左半分に原稿を巻き付け、右半分にカーボンとビニールでできた?原紙を巻き付け回転させると、電気的に左側の原稿を読み取って右側の原紙に電子針?でスパークを起こさせ「孔版」を作るという仕掛け。

印刷機も、ガラス板の上でローラーを転がしてインクをつけ、1枚ずつ紙をめくって手刷りする、いわゆる謄写版印刷機から謄写原紙を張り付けた手動式回転印刷機、そして現役の電動輪転印刷機へと変遷しております。現在使用中のRISOの輪転印刷機では、最高速で印刷すると、1分間に130枚印刷できます。しかも原版の製販は、PCからデータを輪転機に送信して自動製版。年4回発行しております当山の寺報『受教』は900部印刷しておりますが、2ページ1面を刷るのに8分とかかりません。自坊の教化活動にもこうした電子事務処理の発達が大いに寄与してくれております。有り難いことです、謝謝。

合 掌

2014.5.3 前住職・本田眞哉・記》

 

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