法 話

(159)日泰親善 
 

 

 

   



大府市S・E氏提供


日泰親善

  

 

 

このところ、アジア地域の国々ではではゴタゴタ状態が発生し、ギシギシした雰囲気が漂っています。南沙諸島をめぐっては日本と中国がにらみ合い、西沙諸島の領有権ではベトナムと中国が小競り合い。「ウィキペディア」によれば、西沙諸島は現在中華人民共和国が支配しているようですが、ベトナムと中華民国(台湾)も領有権を主張しているとのこと。去る26日には中国の漁船がベトナムの漁船に体当たりをする“実力行使”も。

また、韓国では高校生・教員339名を含む全乗客476が乗った船が沈没。発生から一か月余を経ても遺体の収容が完了しない状況が続いています。世界を驚愕させたこの事故の後も韓国では悲惨な事故が連続発生。報道によれば、高齢者向け療養型病院で火災が発生。入院患者や看護師など21人が死亡、8人が負傷。ソウル近郊の総合ターミナルビル撤去中のビルが崩壊し火災が発生し7人が死亡、20人が重軽傷。加えてソウルでは地下鉄事故が発生、負傷者は200人に上るとか。

一方、タイでは内政問題で政府派・反税府派のデモが頻発。プラユット陸軍司令官は5月20日午前3時(日本時間同5時)、タイ全土に戒厳令を発令したと発表。戒厳令の下では、国軍が治安維持に関する全権を掌握。一方、治安維持に係る分野を除き、政府は平常通りの機能を維持するとのこと。戒厳令の発令は、国軍がクーデターによってタクシン政権を追放した2006(平成18)年以来8年ぶり。戒厳令を布告したプラユット陸軍司令官は翌日、首都バンコクの軍施設に政府派、反政府派を招き政治混乱の打開策を協議。

その後も司令官の仲介で、両派により度重なる協議が続けられていましたが不調に終わり、司令官は22日午後5時(日本時間午後7時)「全権を掌握した」と発表しクーデターを宣言。インラック政権は崩壊。司令官は、政府派・反政府派の出席者に打開策をそれぞれ検討するよう求めていたようですが、折り合わなかったため、クーデターに踏み切ったものと思われます。8年前のタクシン政権崩壊の時と同じパターンを踏んだ感じ。

ところで、タイは仏教国。私も4回ほど訪れたことがあります。目的は仏教遺跡探訪や仏教寺院参拝、仏教教義・布教活動などに関する意見交換や協議。そうした中で異色の事業の企画・推進に参加する機会がありました。それは「ラタナコシン王朝200年祭慶讃演奏旅行」。主催は同朋学園名古屋音楽大学。当時私は、名古屋音楽大学の嘱託の職にあったため、宇治谷祐顕学長指揮のもと音楽学部長ともども事業計画を立ち上げました。

単なる見学・鑑賞旅行とは違い、派遣団編成から王朝事務局との日程調整・演奏会場・演奏曲目・舞台設備等々の事前打ち合わせが大変。当時はまだe-mailはもちろんインターネットもなく、連絡・調整は音質の悪い国際電話か国際郵便に頼らざるを得ませんでした。そうした中、コンサートの題名は「日本の歌と舞」、英文名「CONCERT FOR CHARITY NAGOYA COLLEGE OF MUSIC」、開催日時は、1982(昭和57)年8月24日(火)午後6時30分と決定。会場はthe National Theatre of Thailand(タイ国立劇場)。主催はNagoya College of Music(名古屋音楽大学)。

演奏旅行の眼目部分が纏まったことを受けて、演奏団員・参加団員の編成や旅日程の検討を始めなければなりません。まず団編成。慶讃演奏団は、コーラス班(第1・2班)48名と雅楽・筝曲・班(第3班)の36名で構成。慶讃参加団員は、(第4班)34名、(第5班)36名。団員総勢は154名で一大デレゲーションが現出することになりました。私は、キャセイ航空で22日出発の慶讃演奏団員84名の団長を仰せつかりいささか緊張気味。コーラス班は白色のブラウスと黒色のロングスカート、そして楽譜を持っていけばよろしいわけですが、雅楽・筝曲班は大荷物を運ばなければなりません。

1982(昭和57)年8月22日午後4時55分キャセイ航空CX751便はバンコク国際空港に安着。レストランで夕食を摂ったのちマンダリンホテルへ。翌日午後、国立劇場小ホールにて交歓演奏会。タイ側からは、タイ芸術局員によるタイガムランの演奏や、演奏に合わせてのタイダンス。日本側からは、かの有名な管弦「越天楽」等の雅楽演奏や、雅楽に合わせて古式豊かな舞楽が披露されました。また、筝曲の演奏や詩吟に合わせて袴姿の男性が扇を回して踊る姿にタイの人たちの目を見張っていました。最後は、名古屋音楽大学生45名による女声合唱の演奏。

一夜明けて24日、午前中の空き時間を利用して一同市内見学。水上マーケット、ワット・アルン、エメラルド寺院、王宮etc. 殆どの名音大生はバンコク訪問初めてと思われ、行く先々あらゆるものに目を見張っていました。特に、船からの水上マーケットの見学は印象的だった模様。バンコクは「東洋のベニス」ともいわれ、水上交通の盛んな都市。小舟に商品を載せて売り回る光景を船上から間近に見て、学生たちは異文化に接する初体験に肝をつぶしたことでしょう。

見学を終えて市内のレストランで昼食。学生たちは演奏会のリハーサルのため国立劇場へ。宇治谷祐顕学長はじめ演奏に関わらない団員はPoon Pismai Diskul (プーン ピスマイ ディスカル)王妃殿下を私邸に訪問。殿下は小柄ながら笑顔を絶やさず、同じ仏教徒の遠来の訪問を喜ばれ、快く迎え入れてくださいました。持参した記念品を差し上げ、同じ仏教徒として何のわだかまりもなく歓談することができました。当時殿下は85歳ぐらいだったでしょうか、WFB(世界仏教徒会World Fellowship of Buddhists)の会長を務めていらっしゃいました。

さぁいよいよ公開演奏会。午後6時開演を前に1,600人収容の国立劇場の大ホールは満席状態。定刻午後6に緞帳が上がり開演。最初の演奏は雅楽。先ずは“管弦”、曲目は「越天楽」。最もポピュラーな曲。11世紀ごろ日本で流行した曲とか。次は“舞楽”「万歳楽」。8世紀ごろ中国から伝えられた古典舞踊。舞楽なので笙・篳篥・太鼓などによる管弦の演奏に“舞”が加わります。“面”や古式豊かな“装束”をつけてゆったりしたテンポで舞われます。優雅な宮中の雰囲気。舞楽2曲目は「還城楽」8世紀ごろインドから中国を経て伝えられた舞踊とのこと。

舞台は改まって“筝曲”。お琴の演奏。箏は、雅楽の中のリズム楽器として、中国から日本に伝えられ、その後日本独自の音楽として発展を遂げました。6人による“連弾”でリズミカルな琴の音が広い会場内に響き渡りました。曲目は宮城道雄作曲の「さらし風手事」。“Koto Music”のあとは“詩吟”。プログラムは、吟詠と舞の「扇舞 宝船」「扇舞 京の花」と吟詠のみの「独吟 祝賀詞」、合計3曲。4人の出演者はいずれも男性で袴姿に扇子。タイ人の聴衆のほとんどの人にとっては初体験のことだったでしょう。

演奏会のFinalは“女声合唱”。メインタイトルは『日本の四季』。曲目は「花」「早春」「ひばり」「もりのよあけ」「川」「夏の思い出」「ねむの花」「荒城の月」「冬の星座」「雪の降るまちを」の10曲。名古屋音楽大学の楠光雄教授指揮のもと、音大生45名によるハーモニーが広い会場に響き渡りました。舞台上バックグラウンドには中央にラタナコシン王朝200年記念のシンボルマーク。シンボルマークの下には「Rattanakosin Bisentennial 1982」「Charity Concert」「By Nagoya College of Music」の大きな三行の文字列。

かくして演奏会は無事、しかも成功裏に大団円を迎えることができました。演奏会終了後、ご臨席いただいたシリンドーン王女とシリキット王子妃に私から日本人形をプレゼントし、お礼の意を表させていただきました。この演奏会開催が日泰親善の一端になれば幸甚の至り。なお、この企画の推進に当たりバンコクにあるWFBの小谷事務局長はじめ、現地在住の日本人会の皆さんや博報堂の関係諸氏の絶大なご支援・ご協力をいただきました。遅まきながら関係各位に深甚の謝意を表したいと思います。 

合 掌

《2014.6.3 前住職・本田眞哉・*記》

 

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