法 話

(161)宇羅盆 
 

 

 

   



大府市S・E氏提供


()()(ぼん)

  

 

 

 当地方のお盆の期間は8月13日~16日、いわゆる「8月盆」。「月遅れ盆・旧盆」とも。元来お盆は7月13日~16日。これは、私のような古い人間に言わせると「新盆(しんぼん)(にいぼんではない)」。さらに、太陰暦の8月13日~16日に執り行われるのが「旧暦盆(私説)」。太陰暦ですから15日は必ず十五夜の満月。今年の旧暦盆は8月8日~8月11日で、月遅れ盆と逆転現象。閏月のある年(1年が13か月)などは太陽暦に対して大幅にずれ、お盆が9月になることも。例えば、2025(平成37)などは9月4日~7日。私の若いころにはこの旧歴盆で仏事をしたこともありました。

 ところで、「盆」という言葉はどこから来たのでしょう。語源は何なのでしょう。それは「盂蘭盆(うらぼん)」。さらにその源を尋ねると、サンスクリット語の「Ullunbana(ウランバナ)(倒懸の意)」。釈尊の弟子目蓮尊者が、亡くなった実母が天上界に生まれ変わっているかを確認しようと天眼で観たところ、母は餓鬼(がき)(どう)に堕ちて倒懸(とうけん)の苦しみに遭っていました。驚いて供物を捧げたところ、供物は炎を上げて燃え尽きてしまい母の口には入りませんでした。困り果てた目連尊者は釈尊に相談。釈尊は亡者救済の秘法を伝授。目連尊者は教えに従って(しゅう)(そう)供養(くよう)をした結果、母はたちまちのうちに地獄から浮かび上がったといわれます。このことからお盆と先祖供養・祖先崇拝の習わしが結びついたのでしょう。

 他宗派では、こうした故事になぞらえて、亡父母やご先祖様の霊が、苦しみの地獄から我が家へお帰りになって寛がれるという教えなのでしょう。したがって、我が家が暗くて分からないといけないということで迎え火を炊きます。それからお乗り物。タクシーというわけにも参りませんので、キュウリやナスに割り箸で足を付けて馬や牛を作ります。いらっしゃったらお接待をしなければいけません。盆棚を設え、そこにはお供え物や(れい)()(ぜん)。料理のメニューも定められていて、お夜食まであるようで、担当のお嫁さんは大変。余談ながら“生き仏”さまも帰省されますので…。お坊さんを招いて「(たな)(ぎょう)」をいただき、16日には「送り火」を焚いてお送りします。この送り火の名残が大文字はじめ五山の送り火。

 親鸞聖人開宗のわが真宗の教えにおいては「霊」は存在しません。したがって、霊がお盆に帰ってくることはありません。迎え火も送り火も必要なし。霊供膳も供養棚も不要。真宗では盆提灯も依用(えよう)しません。代わって「切子(きりこ)(とう)(ろう)」を用います。当山の切子灯籠は、2cm角ほどの骨材でできた一辺50cmほどの正六面体の四面上下の角を斜めにカットし、上下に形成された一回り小さい正方形に高さ10cmほどの枠を付け加えて躯体を形成。その枠材の内面に赤色や青色の和紙を張り付けると火袋が出来上がります。火袋の下端に赤・青・白色の和紙でできた幅30cmほど、長さ2m余の帯状の飾りを取り付けます。一方、火袋の角々からは幅2cmほどの赤・青・白色の和紙10条ほどでできた帯状の飾りを垂らします。

 この切子灯籠を南北両余間(よま)に吊り下げ、内陣中心部の本尊・阿弥陀如来の尊前の上卓(うわじょく)前卓(まえじょく)打敷(うちしき)を掛け、仏花を立て換えて荘厳(しょうごん)。そして右脇奥厨子(ずし)内の宗祖親鸞聖人絵像、左脇奥の大谷派本山歴代門首の絵像の前卓にも同様の荘厳。さらに、切子灯籠を吊るした左右の余間の荘厳もしなければ。右(北)余間の中心には厨子内に本願寺第八代蓮如上人の絵像、その左には聖徳太子立像の掛け軸、右側には(しち)高僧(こうそう)の掛け軸。因みに、七高僧とは親鸞聖人が真宗開顕に至った浄土教相承(そうじょう)の流れの中で聖人が祖師と定められた三国七人の高僧。龍樹(りゅうじゅ)(てん)(じん)(印度)・曇鸞(どんらん)道綽(どうしゃく)善導(ぜんどう)(中国)・源信(げんしん)(げん)(くう)(日本)の(しち)()。翻って左(南)余間には、中心に私の先代・第十五世住職、両脇に第十四・十五世(ぼう)(もり)(住職の妻)の三幅が掛けられ、中心に前卓。この前卓にも打敷を掛け立花します。

 内陣の荘厳が完了したところでもう一度清掃してお盆を迎える準備完了。真宗大谷派では、お盆の法要は定例法要の中の「盂蘭盆会(うらぼんえ)法要」として定められ14日の逮夜から16日の晨朝まで。内陣余間に吊り下げられた切子灯籠に灯が入ると幻想的な雰囲気が醸し出されます。平生のお勤めの時は本尊前の(りん)(とう)に灯をともし、線香を焚くのみ、蝋燭に灯をともすことはありません。しかし、宇羅盆会の場合は「総灯・総香」。堂内全ての燭台に立てた蝋燭に点灯し、中尊前のを始めすべての燈明台に点灯し、すべての香炉で線香を焚きます。上卓・前卓上香炉には火種を入れ、導師が焼香。導師はじめ全員が着座。念珠をかけ本尊・阿弥陀如来を瞻仰(せんごう)し合掌。キン二打あって導師調声(ちょうしょう)、そして声高らかな助音(じょいん)がこれに続き勤行(ごんぎょう)スタート。

 当山の本尊は阿弥陀如来立像。『真宗大谷派宗憲』第九条には「本派は阿弥陀如来一仏を本尊とする」と謳われています。したがって、本山はじめ全国に10,000か寺近くある真宗大谷派の寺院の本尊は全て阿弥陀如来立像。時折当山に来山参拝される方の中に、集印帳に印をいただきたいとおっしゃる方があります。集印帳を開けてみますと、本尊名と寺院名が書かれ、大きな赤い印影が隙間のないほどビッシリ押されていました。仮令同じ宗派であっても個々のお寺の本尊はそれぞれ違うようです。ということからしても、当派の寺が本尊名を書いて押印してもあまり意味がないでしょう。それに、直径10cmもあろうかと思われる大きな印は自坊にはありません。多分そういった巨大印を備えていらっしゃる当派のお寺はないでしょう。

 本尊談義が長くなってしまいましたが、親鸞聖人の開顕された教えは、奈良仏教や平安仏教とは大きな差があります。また、親鸞聖人とほぼ同時代に開かれ、現在の日本の大方の家庭で信奉されている仏教各派の教えに対しても親鸞聖人の教えは似て非なるものがあります。卑近な言葉で言えば「一味違う」のです。その違いの分かりやすい例が上記の「お盆」の意味のいただき方と行事への関わり方だと思います。若し納得がいかない部分があればあるほど聖人の教えに聞き開いていくご縁になり、延いては正しい信心を得る足掛かりになろうかと…。

2014.8.2合掌

《2014.8.2 前住職・本田眞哉・記》

 

  to index