法 話

(167)不断煩悩得涅槃 
 

 

 

   



大府市S・E氏提供


不断煩悩得涅槃

 

 

 「光陰矢の如し」除夜の鐘からはやひと月が経過。除夜の鐘について撞き数、由来等お尋ねがありましたので、私の知る範囲で情報を提供させていただきます。私なりの解釈で記しましたので、誤謬がありましたらお許しください。

 そもそも「除夜」とは何ぞや? 旧年を除く日(除日)の夜。旧年の煩悩を除くおおみそか、おおつごもりの夜。撞き数のカウント方法はいろいろ。ネット上に展開されている古寺・有名寺の除夜の鐘のカウント情報は種々。総数は108ですが、①年内に108撞く。②年内に107撞き、明けて1撞き。③大晦日から新年をまたいで108撞く。当山了願寺は③の方式。

今さら言うまでもなく、除夜の鐘の撞き数108の根拠は「百八の煩悩」。人間には「身を煩わせ心を悩ませる」煩悩があります。その数108、これが撞き数の根拠。では、その108の煩悩とは何ぞや、そして何を根拠に108の数が弾き出されたか、といぶかられるムキもおありかと…。諸説あるようですが、下記はその一例。

108の煩悩  六根(ろっこん)(げん)()()(ぜつ)(しん)()    六境(ろっきょう)(しき)(しょう)(こう)()(そく)(ほう)

        (認識する感覚器官とその働き)   (感覚器官に対応する対象)              

           × 好・悪・平            × 苦・楽・捨

        (良い・悪い・どちらでもない)    (苦しい・楽しい・どちらでもない)

               6×3=18      +     6×3=18

               =36×三世(過去・現在・未来)=108

 次に了願寺の梵鐘(ぼんしょう)の故事来歴。初代は1767(明和4)年3月(今から248年前)鋳造されました。口径:2尺5寸≒75.75cm、丈:4尺≒121.2cm、重量:96貫≒337.5㎏。この梵鐘は1943(昭和18)年2月19日大東亜戦争のために供出。同時に喚鐘や本堂備え付けの仏具も供出。記録によりますと、供出された仏具は、真鍮製の花瓶6個、同じく鶴亀型の燭台6台、同じく香炉5個等々。

 梵鐘とこれらの仏具を鐘楼に集めてお別れの法要を厳修。数日後、これらの梵鐘・仏具を牛車の荷台に乗せて寺を後にして行きました。当時は、自動車はもちろんオート三輪車さえ少なかったのです。その光景は、70余年経た今日でも私の脳裏にはっきり浮かんできます。1941(昭和16)年「金属回収令」が施行され、「撃ちてし止まん!」「欲しがりません 勝つまでは!」の戦意高揚のキャッチ・フレーズのもと、金属類が回収されたのです。

政府は戦局の悪化と物資の不足、特に武器生産に必要な金属資源の不足を補うため、不要不急の金属類の回収を呼びかけました。昭和17年には、各県が資源特別回収実施要綱を定め大々的な回収に乗りだし、全ての役所と国民学校・中学校の暖房器機から二宮尊徳像まで回収。家庭の鍋釜・箪笥の取手・蚊張の釣手・店の看板なども回収されたとのこと。

更に「まだ出し足らぬ家庭鉱」のスローガンのもと回収が強行され、火箸・花器・仏具・窓格子・金銀杯・時計側鎖・煙・置物・指輪・ネクタイピン・バックルに至るまで根こそぎ回収されました。宗教施設も例外ではなく寺院の梵鐘も数多く供出。鐘楼は梵鐘の重量でバランスを保つ構造になっているため崩壊の危険があるということで、土嚢が「代替え梵鐘」として吊り下げられました。吊り下げられた土嚢の上に乗って遊んだことが思い出されます。 

その「代替え梵鐘」が新しい本物の梵鐘に掛け替えらえる時が来ました。1948(昭和23)年に梵鐘再鋳の話が持ち上がったのです。同行組の報恩講勤行後のお斎の席上、アルコールの力を借りてか、ある同行が「お鐘を作らなきゃ!」と発言。この発言がきっかけとなって梵鐘再鋳の機運が盛り上がっていきました。役員会を度々開き鋳造業者のこと、梵鐘の大きさ・意匠のこと、予算のこと、寄付金集めのこと、委員会組織のこと等々を検討・審議。

太平洋戦争の敗戦からわずか3年後のこと、審議は難航しましたが、この事業を推進することで合意。事業計画推進のため、役員の方々が献身的に取り組んでいただき、最大の難関寄付金集めもクリアすることができました。委員・役員の方々が京都の鋳造業者の工場を見学し、大きさ・意匠を最終決定し発注。

そして、1950(昭和25)年10月、2代目の梵鐘が再鋳されました。口径:2尺7寸 ≒81.8cm、丈:4尺7寸≒142.1cm、重量:120貫≒450㎏。新しい梵鐘を吊るした鐘楼で鐘供養法要が厳修されました。法要費を含めた梵鐘再鋳の総事業費は370,236円83銭と記録されています。今から 65年前のこと。お蔭で、今では街を見下ろす鐘楼に甦った鐘の音が色とりどりの屋根の上に響き渡っています。

さて話を「除夜の鐘」に戻しましょう。本文冒頭で、除夜の鐘は旧年の煩悩を除くためと記しましたが、それは一般論。親鸞聖人の教えとは馴染まないものです。聖人の教えでは「不断(ふだん)煩悩(ぼんのう)(とく)涅槃(ねはん)」。煩悩断ぜずして涅槃(悟り)を得る。『歎異抄(たんにしょう)』では、弥陀の本願は「煩悩具足の凡夫」を助けるために起こされている、とお教えいただいております。「煩悩具足の凡夫」とは煩悩100%の人間のこと。まさに私自身のこと。従って、真宗寺院では元来「除夜の鐘」は撞かない。「新春初鐘」と銘じる当派御寺院も。当山も戦前、旧梵鐘の時は18撞きだったとのこと。東本願寺鐘楼からのTV中継ないのも当然でしょう。

毎年12月31日から元旦にかけてお勤めする法要は修正会(しゅしょうえ)といいます。旧年午後11時半過ぎ、NHKの「紅白歌合戦」が最終盤に差しかかるころ、前住職・私が本堂で準備を開始。総灯・総香(内陣:中尊前・祖師前・御代前、余間:蓮師前・法名前すべての尊前の燈明・ローソクに点火し、香を焚く)を完了。阿弥陀経読誦を開始。5回目読誦中の頃、鐘撞きが終了。鐘撞き担当の住職・寺族も加わり、3家族15人が揃って本堂で修正会の勤行を声高らかに厳修。いよいよ2015年がスタート。

合掌

《2015.2.3 前住職・本田眞哉・記》

 

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