法 話

(17)続「他力本願」

 もちろん、言葉は時代とともに変化するということを否定するわけではありません。日本に仏教が伝来して以来、1500年に垂んとする間に本来の意味が転化して第二義、第三義が辞書にも登載され市民権を得てきたわけです。関係者の中には、広告主の光学機器会社のみならず辞書の出版社にも抗議すべきだとおっしゃる方もあるようです。

 それよりも、真宗教団連合の抗議文の中にあります「本当の意味を啓発できなかったわれわれの課題であるとも受けとめます」という謙虚な心と、これを勝縁として本来の意味はもちろん、教団がよって立つ教義の宣布に力を尽くさなければいけないと思うや切であります。

 折しも真宗教団連合発行の『法語カレンダー』20025月の法語は「他力というは 本当の事実に目ざめる力」。因みに「真宗教団連合」とは、真宗十派の教団が加盟する連合組織。十派とは、本願寺派(西本願寺)/大谷派(東本願寺)/高田派(専修寺)/仏光寺派(仏光寺)/興正派(興正寺)/木辺派(錦織寺)/出雲路派(毫摂寺)/誠照寺派(誠照寺)/三門徒派(専照寺)/山元派(証誠寺)。カッコ内は本山の寺号。

 教団連合の事業の一つに『法語カレンダー』の出版があります。柱掛けサイズにまとめられた法語とイラスト・写真のデザインで好評を博しています。毎年220万部を超えるベストセラーズ。

 さて、話を5月の法語に戻して、「江戸と背中が見て死にたい」というフレーズを思い出しました。おそらく江戸時代の話でしょう。今では江戸(東京)を見ることはさほど難しいことではありません。新幹線を利用すれば2時間足らずで東京を目の当たりにすることができます。

 しかし、自分の背中は、科学技術文明の発達した今日でも見ることはできません。鏡やテレビカメラを使えば見えるじゃないかとおっしゃる向きもおありかと思いますが、見えてもそれは「像」であって本物ではありません。偽物です。

 だいたい人間の眼は外を向いて付いているので、外のこと、他人のことはよく見えます。ただし、それは自分のメガネを通して、自分の物差しで見ますから本当の事実か否か判りません。

 「自分のことは自分が一番よく知っている」などといいますが、これほど当てにならないことはありません。内が見えない眼で自分自身を見ようとすれば、屈折は甚だしく焦点はボケてしまいます。利己心いっぱいのメガネや我愛に満ちた物差しで見るのですから客観性があろうはずがありません。もっとも、人間の考える客観性なんてものは本物ではありませんが…。

 姿かたちの段階ではまだこんなのんびりしたことをいっておれますが、人間の心の深奥に迫る問題ともなりますと、ことは深刻です。自己を見つめるといってもせいぜい「反省」のレベル。本当の自己の事実に目ざめるのは至難のわざ。

 自分の眼(自力)で自己を見究めようと努力してみても、所詮立っているところが自分かわいやの我愛、自分の都合第一のエゴの場。知恵を振り絞って見ても、我が身大事の「自力」の心、そうしたメカニズムにも気づかない。それもそのはず、あたかも自分の身を自分で持ち上げようとしているのに似たり。

 「自力」がダメなら他人に相談して客観性をもって心の閉塞性から抜けだそうと「他力」をたのむ。が、所詮は「人知」の「他力」、相対的な妥協か慰めの答えしか出てきません。この「人知」の「他力」が広告のキャッチフレーズに使われた「他人まかせにする」の意味の用例と同じ「他力」。

 「人知」による「自力」「他力」はいずれも打算と妥協の域を出ることができず、心の深奥の問題の根本解決の領域には至りません。いつまでたっても堂々めぐりで「本当の事実に目ざめる力」にはなりえません。

 こうした自力・他力を超えた他力が阿弥陀如来の「他力」、「他力本願」の「他力」なのです。阿弥陀如来の本願の「用(はたら)き」ともいいます。この用きは仏の智慧の光に譬えられます。この光は常に私たちを照らしてくださっています。が、私たちはなかなか気がつかない。ちょうど、私たちの周りに電波がいっぱい漂っていても受信機の周波数が合わないと何も受信できないように。

私たちが救いを求める受信機と阿弥陀如来の光の波長が合った瞬間、本願力が私たちにはたらいてくださいます。その瞬間、私たちの自己中心の煩悩の闇が破られ、同時に本当の身の事実に目ざめさせていただくことができるのです。その本願力を「他力」といい、さらには「絶対他力」ともいいます。

「自力」では明らかにならなかった自己存在の身の事実とそのメカニズムが、「他力」によって浮彫となり、自分自身の力では持ち上げることができなかった我が身が「本願他力」によって軽々と持ち上げられ、身も心も軽く新しい世界“浄土”に生まれ変わることができるのです。これまさに「往生(おうじょう)」でありましょう。 合掌。   【2002.6.28.住職・本田眞哉・記】

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