法 話
(177)「
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大府市S・E氏提供 |
わが身に、誇りも自信ももちえなかった人々は、親鸞聖人の教えに遇いえて、もはや善も必要とせず、悪をもおそれることのない生き生きとした日々を生きる道を知ったのである。それは、われわれこそ人間なのだという自覚を、人々によびおこしていきました。
しかしそれだけに、一部には、どんな悪事をおかしても救われるという教えに歓喜するあまり、非行にはしるものもあらわれました。そうしたことが、しばしば念仏を誤解させ、領家・地頭など土地の支配者による、念仏弾圧への口実をあたえることともなりました。そのため、聖人は、念仏に生きるものの姿勢を、くりかえしくりかえし、さとされたのです。
【原文】『御消息集』第一通
もとは、無明のさけにえいふして、貪欲・瞋恚・愚痴の三毒をのみ、このみめしおうてそうらいつるに、仏の御ちかいをききはじめしより、無明のえいも、ようようすこしずつさめ、三毒をもすこしずつこのまずして、阿弥陀仏のくすりをつねにこのみめす身となりておわしましおうてそうろうぞかし。
しかるに、なお無明のえいもさめやらぬに、重ねてえいをすすめ、毒もきえやらぬに、なお三毒をすすめられそうろうらんこそ、あさましくおぼえそうらえ。
煩悩具足のみなれば、こころにもまかせ、身にもすまじきことをもゆるし、口にもいうまじきことをもゆるし、こころにもおもうまじきことをゆるして、いかにもこころのままにあるべしともうしおうてそうろうらんこそ、かえすがえす不便におぼえそうらえ。
えいもさめぬさきに、なおさけをすすめ、毒もきえやらぬものに、いよいよ毒をすすめんがごとし。くすりあり毒をこのめ、とそうろうらんことは、あるべくもそうらわずとぞおぼえそうろう。
仏のちかいもきき、念仏ももうして、ひさしうなりておわしまさんとひとびとは、この世のあしきことをいとうしるし、この身はあしきことをいといすてんとおぼしめすしるしもそうろうべしとこそおぼえそうらえ。
【現代文】
もとは無明の酒に酔いつぶれて、貪欲・瞋恚・愚痴の三毒ばかりをこのんで食べあっておられたのに、仏の御ちかいを聞きはじめてからは、無明の酔いもようやくすこしずつさめ、三毒をもすこしずつこのまなくなって、ともに阿弥陀仏の薬をつねにこのんで飲む身となっておられるのでありましょう。
ところが、まだ無明の酔いもさめてしまわないのに、さらに酔いをすすめ、毒も消えてしまわないのに、なお三毒をすすめておられますことは、あさましく思われることであります。
煩悩をかけめなくそなえている身なのであるから、こころにもまかせ、身にもしてはならないことをもゆるし、口にも言ってはならないことをもゆるし、こころにも思ってはならないことをもゆるし、どのようにでも思いのままであるべきだと申しあっておられることこそ、かえすがえす不憫なこととに思われるのであります。
酔いもさめないうちにさらにさらに酒をすすめ、毒も消えてしまわないものにますます毒をすすめるようなものであります。薬あり、毒をこのめ、といわれるようなことは、あるはずのないことだと思われます。
仏のちかいをも聞き、念仏も申すようになってからすでに久しくなっておられる人々には、この世のわるいことを厭うしるし、この身のあしきことを厭いすてようとお思いになるしるしもあるにちがいないと思われるのであります。
関東教団の動揺を鎮めようとした善鸞は、親鸞聖人と親子であるという、“世間の義理”をたよりにしましたが、聖人はその義理を自ら断ち切られたのです。
ただ、義理は切れても、“血”を絶つことはできません。親鸞聖人は善鸞の父であり、善鸞はその息子だと言うことを止めることは出来ないのです。義絶という世間の上での対処は、同時に“縁切りの親子”となるのです。聖人の苦悩はいかばかりであったでしょうか。そのような厳粛なる事実に直面し、身を引き裂かれんばかりの“生身の親鸞”を思わずにはいられません。
しかしまた、そのような苦悩にこそ再出発の一歩が歩み出されるのではないでしょうか。今、私の身の上を考えますと、やめたい現実、引き受けたくない事実の連続であります。それらを前に、自分勝手な考えで解決したものと思い込み、自己満足に立ち止まっている私がそこにいるのです。歩けばつまずく。つまずのを恐れ、いつの間にか歩くのを止めているのです。実は、そのつまずきこそが私をよみがえらせるのです。
思うに、80歳を過ぎてなお現実に悩み迷いながら、その苦悩を抱えて道を求める行者こそ、我が宗祖親鸞聖人であったのです。
合 掌
【次号へ続く】
《2015.12.3 前住職・本田眞哉・記》