法 話
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大府市S・E氏提供 |
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親鸞聖人より数えて23代目、明治から大正期の東本願寺の門主だった彰如上人(光演)が作られた句。彰如上人は「句仏上人」ともいわれ、俳聖として知られています。明治8(1875)年生まれ、昭和18(1943)年2月6日寂。句で仏教を広めようとの願いをお持ちになり、膨大な句をお作りになったと伝えられています。「散る時が浮かぶ時なり蓮かな」の句も。
何気なく脳裏に浮かんだ句仏上人の俳句を記してしまいましたが、この句からは親鸞聖人の質素で素朴な面影が窺知されるようです。しかしながら実態は然に非ず、聖人は意志強固で知的で行動力に溢れた求道者だったのです。流罪に遇い困窮に耐えながらも、辺地の人々とともに道を求め、聞き拓いた教えを伝え、広めていかれたのです。そして、晩年には数々の著作を残されました。
還暦を過ぎられた親鸞聖人は、関東から懐かしき京都に帰られ、以後、多くの時間を著作にあてておられます。76歳の時『
そうしたなか、最大の規模で最高の内容が納められているのが、浄土真宗の根本聖典『教行信証』。親鸞聖人が常陸国稲田の草庵で大綱をまとめられ、京都にお帰りになられてから、お亡くなりになるまで加筆修正を重ねられた畢生の大著です。正式には、『顕浄土真実教行証文類』といい、親鸞聖人の正しいみ教えか否かの基準となります。教巻・行巻・信巻・証巻・真仏土巻・化身土巻の6巻構成。多くは釈迦の説かれた経典と、それを解釈した高僧の書物からの引用です。「文類」とは、それらの経釈から文章を集めたものということです。
ここに親鸞聖人のライフ・ワーク『顕浄土真実教行証文類』の「総序」を引用させていただき、本稿「親鸞聖人のご生涯」の締めくくりとさせていただきます。
【原文】『教行信証』(総序)
竊かに以みれば、難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり。
しかればすなわち、淨邦縁熟して、調達、闍世をして逆害を興ぜしむ。淨業機彰れて、釈迦、韋提をして安養を選ばしめたまえり。これすなわち権化の仁、斉しく苦悩の群萌を救済し、世雄の悲、正しく逆謗闡提を恵まんと欲す。
かるがゆえに知りぬ。円融至徳の嘉号は、悪を転じて徳を成す正智、難信金剛の信楽は、疑いを除き証を獲しむる真理なりと。しかれば、凡小修し易き真教、愚鈍往き易き捷径なり。大聖一代の教、この徳海にしくなし。穢を捨て浄を欣い、行に惑い、心昏く識寡なく、悪重く障多きもの、特に如来の発遣を仰ぎ、必ず最勝の直道に帰して、専らこの行に奉え、ただこの信を崇めよ。
ああ、弘誓の強縁、多生にも値いがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。もしまたこのたび疑網に覆蔽せられば、かえってまた曠劫を径歴せん。誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ。
ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃・月支の聖典、東夏・日域の師釈、遇いがたくして今遇うことを得たり。聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。真宗の教行証を敬信して、特に如来の恩徳の深きこを知りぬ。ここをもって、きくところを慶び、獲るところを嘆ずるなりと。
(『教行信証』総序)
【現代文】
ひそかにおもいみれば、難思の久誓は、迷いの海を渡す大きな船であり、無碍の光明は、無明の闇を破る太陽である。
そうであればこそ、浄土の縁が熟して提婆達多、阿闍世に逆害を起こさせ、浄土を願う機があきらかになって、釈迦、韋提希に安養浄土を選ばせたもうたのである。これはまさに、我々のためにあらわれてくださった人々をとおして、苦悩するものをひとしく救おうとしているのである。これはまさに、世にあらわれた仏陀の大悲であり、逆謗闡提をまさしく恵もうとしているのである。
であればこそ今わかった。円融至徳の嘉号は、悪を転じて徳と成す正智であり、難信金剛の信楽は、疑いを除き証を得しむる真理であると。そうであってみれば、それは凡夫のおさめやすい真実の教えであり、愚かなものの往きやすいちか道である。釈尊一代の教えは、この功徳の海につきるのである。穢を捨て浄を欣い、行に迷い信に惑い、心くらく識少なく、悪重くさわり多いものよ、特に如来のすすめを身に受け、かならず最勝の直道に帰して、もっぱらこの念仏の行に奉え、ただこの信を崇めよ。
ああ、ひとえに私のためであった如来の本願は、いくたび生まれ変わっても遇いがたく、真実の信心は億劫にもえがたい。たまたま行信をうれば、とおく宿縁をよろこべ。もし、このえがたい機会が、疑いでおおわれるならば、さらにまた永い時をむなしくへめぐるであろう。まことにまことに摂取不捨の真言、超世希有の正法ひたすら聞思してためらうことなかれ。
ここに愚禿釈の親鸞、よろこばしいことには西方インドの聖典、中国・日本の師釋に、あいがたくして今遇うことを得た。真宗の教行証を敬信して、特に如来の恩徳の深いことを知った。ここをもって、聞くところよろこび、うるところをたたえるのである。
《2016.5.3 前住職・本田眞哉・記》