法 話

(182)親鸞聖人のご生涯(完) 
 
 

 

 

   

 


大府市S・E氏提供



親鸞(しんらん)聖人(しょうにん)ご生涯(  しょうがい)(完)


 

 勿体(もったい)なや 祖師(そし)は (かみ)()の 九十年」

親鸞聖人より数えて23代目、明治から大正期の東本願寺の門主だった彰如(しょうにょ)上人(しょうにん)(光演)が作られた句。彰如上人は「句仏( く ぶつ)上人」ともいわれ、俳聖として知られています。明治81875)年生まれ、昭和181943)年26日寂。句で仏教を広めようとの願いをお持ちになり、膨大な句をお作りになったと伝えられています。「散る時が浮かぶ時なり(はちす)かな」の句も。

 何気なく脳裏に浮かんだ句仏上人の俳句を記してしまいましたが、この句からは親鸞聖人の質素で素朴な面影が窺知されるようです。しかしながら実態は然に非ず、聖人は意志強固で知的で行動力に溢れた求道者だったのです。流罪に遇い困窮に耐えながらも、辺地の人々とともに道を求め、聞き拓いた教えを伝え、広めていかれたのです。そして、晩年には数々の著作を残されました。

 還暦を過ぎられた親鸞聖人は、関東から懐かしき京都に帰られ、以後、多くの時間を著作にあてておられます。76歳の時『浄土和讃(じょうどわさん)』『高僧和讃(こうそうわさん)』、78歳の時『唯信鈔(ゆいしんしょう)文意(もんい)』、83歳の時には『浄土文類聚鈔(じょうどもんるいじゅうしょう)』『愚禿鈔( ぐ とくしょう)』『一念(いちねん)多念( た ねん)文意(もん い )』の3編。『往相廻向還相(おうそうえこうげんそう)廻向(えこう)文類(もんるい)』『西方(さいほう)指南鈔( し なんしょう)』は84歳の時、『浄土三(じょうどさん)(ぎょう)往生(おうじょう)文類(もんるい)』『正像末和讃(しょうぞうまつわさん)』は85歳、そして『尊号(そんごう)真像(しんぞう)銘文(めいもん)』は86歳、『弥陀(みだ)如来(にょらい)名号(みょうごう)(とく)』は88歳の時にそれぞれ執筆されました。

 そうしたなか、最大の規模で最高の内容が納められているのが、浄土真宗の根本聖典『(きょう)(ぎょう)信証(しんしょう)』。親鸞聖人が常陸(ひたちの)(くに)稲田(いなだ)の草庵で大綱をまとめられ、京都にお帰りになられてから、お亡くなりになるまで加筆修正を重ねられた畢生の大著です。正式には、(けn)浄土(じょうど)真実(しんじつ)(きょう)(ぎょう)証文類(しょうもんるい)といい、親鸞聖人の正しいみ教えか否かの基準となります。教巻・行巻・信巻・証巻・(しん)仏土(ぶつど)巻・化身土(けしんど)巻の6巻構成。多くは釈迦の説かれた経典と、それを解釈した高僧の書物からの引用です。「文類(もんるい)」とは、それらの経釈(きょうしゃく)から文章を集めたものということです。

ここに親鸞聖人のライフ・ワーク『(けn)浄土(じょうど)真実(しんじつ)(きょう)(ぎょう)証文類(しょうもんるい)』の「総序(そうじょ)」を引用させていただき、本稿「親鸞聖人のご生涯」の締めくくりとさせていただきます。

【原文】『教行信証』(総序)

    (ひそ)かに(おもん)みれば、難思(なんし)()(ぜい)難度(なんど)(かい)()する大船(だいせん)無碍(むげ)の光明は無明(むみょう)(あん)()する()(にち)なり。

しかればすなわち、淨邦(じょうほう)縁熟(えんじゅく)して、調達(じょうたつ)(じゃ)()をして逆害を興ぜしむ。淨業(じょうごう)()(あらわ)れて、釈迦(しゃか)韋提(いだい)をして安養(あんにょう)を選ばしめたまえり。これすなわち権化(ごんけ)(にん)(ひと)しく苦悩(くのう)群萌(ぐんもう)()(さい)し、()(おう)の悲、正しく逆謗闡提(ぎゃくほうせんだい)を恵まんと(おぼ)す。

かるがゆえに知りぬ。(えん)(にゅう)()(とく)嘉号( か ごう)は、悪を転じて徳を()正智(しょうち)、難信(こん)(ごう)信楽(しんぎょう)は、疑いを除き(さとり)()しむる真理なりと。しかれば、(ぼん)(しょう)修し易き真教、愚鈍(ぐどん)()き易き捷径(せつけい)なり。大聖(だいしょう)一代の教、この徳海にしくなし。()を捨て(じょう)(ねが)い、(ぎょう)(まど)い、心(くら)(さとり)(すく)なく、悪重く(さわり)多きもの、特に如来の発遣(はっけん)を仰ぎ、必ず最勝の直道(じきどう)に帰して、専らこの(ぎょう)(つか)え、ただこの信を(あが)めよ。

ああ、()(ぜい)(ごう)(えん)多生(たしょう)にも(もうあ)いがたく、真実の(じょう)(しん)億劫(おっこう)にも獲がたし。たまたま(ぎょう)(しん)()ば、遠く宿縁を(よろこ)べ。もしまたこのたび疑網( ぎ もう)覆蔽( ふ へい)せられば、かえってまた曠劫(こうごう)(きょう)(りゃく)せん。誠なるかなや、摂取不捨(せっしゅふしゃ)真言(しんごん)超世(ちょうせ)希有(けう)正法(しょうぼう)聞思(もん し )して遅慮( ち りょ)することなかれ。

ここに愚禿釈( ぐ とくしゃく)の親鸞、(よろこ)ばしいかな、西蕃(せいばん)月支(がっし)聖典(しょうでん)東夏(とう か )日域(じちいき)の師釈、()いがたくして今()うことを得たり。聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。真宗の(きょう)行証(ぎょうしょう)敬信(きょうしん)して、(こと)に如来の恩徳の深きこを知りぬ。ここをもって、きくところを(よろこ)び、()るところを嘆ずるなりと。

(『教行信証』総序)

    【現代文】

   ひそかにおもいみれば、難思の久誓は、迷いの海を渡す大きな船であり、無碍の光明は、無明の闇を破る太陽である。

   そうであればこそ、浄土の縁が熟して提婆達多、阿闍世に逆害を起こさせ、浄土を願う機があきらかになって、釈迦、韋提希に安養浄土を選ばせたもうたのである。これはまさに、我々のためにあらわれてくださった人々をとおして、苦悩するものをひとしく救おうとしているのである。これはまさに、世にあらわれた仏陀の大悲であり、逆謗闡提をまさしく恵もうとしているのである。

   であればこそ今わかった。円融至徳の嘉号は、悪を転じて徳と成す正智であり、難信金剛の信楽は、疑いを除き証を得しむる真理であると。そうであってみれば、それは凡夫のおさめやすい真実の教えであり、愚かなものの往きやすいちか道である。釈尊一代の教えは、この功徳の海につきるのである。穢を捨て浄を欣い、行に迷い信に惑い、心くらく識少なく、悪重くさわり多いものよ、特に如来のすすめを身に受け、かならず最勝の直道に帰して、もっぱらこの念仏の行に奉え、ただこの信を崇めよ。

   ああ、ひとえに私のためであった如来の本願は、いくたび生まれ変わっても遇いがたく、真実の信心は億劫にもえがたい。たまたま行信をうれば、とおく宿縁をよろこべ。もし、このえがたい機会が、疑いでおおわれるならば、さらにまた永い時をむなしくへめぐるであろう。まことにまことに摂取不捨の真言、超世希有の正法ひたすら聞思してためらうことなかれ。

   ここに愚禿釈の親鸞、よろこばしいことには西方インドの聖典、中国・日本の師釋に、あいがたくして今遇うことを得た。真宗の教行証を敬信して、特に如来の恩徳の深いことを知った。ここをもって、聞くところよろこび、うるところをたたえるのである。

2016.5.3 前住職・本田眞哉・記》

 

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