法 話

(184)硬膜下血腫顛末記 
 
 

 

 

   

 


大府市S・E氏提供



                 硬膜下血腫顛末記(こうまく か けっしゅてんまつき)
 

 

 2016(平成28)年325()日。午後1時ごろ自坊を車で出発し、名古屋市南区又兵ヱ町のご門徒宅へ。月参りの読経を済ませ守山区へ車を向けました。先ずは内環状線で桜本町一丁目へ。ここで右折して天白区野並へ。野並から鳴子北→相生山→神沢へと進み、名2環の鳴海ICで高速道路へON。高速道路を北進し、引山ICで下り一般道へ。

 名2環一般道を1㎞余北進し、大森IC南の信号で左折、西進。二つ目の信号を右折。一方通行をしばらく進み左折、西進して目的地到着。ご門徒宅で法要を終えてお茶をいただき、仏壇のお荘厳の話などしてお暇。時計の針を見ると午後340分ごろでしたか、次のお宅は春日井市ですが、時間は充分。車に戻り別れを告げ発進。

 1車線幅しかない名鉄瀬戸線の踏み切り。対向車を遣り過ごして渡り、瀬戸街道へ。西進して瀬戸線小幡駅前の信号を右折、守山区役所前を通り北進。小幡IC西を通り過ぎ、小幡緑地で“ゆとりーとラインに合流。竜泉寺前から吉根東の交差点までは、起伏が大きくカーブの多い街道。左手西方には、製紙工場と思われる大きな工場の煙突、眼下には街並みの遠望。上下・左右に揺れながら車は進みます。

今から5758年前、学生時代にサイクリングでここを通って森林公園へ行ったことを思い出しました。今は道幅が片側23車線、当時は1車線でカーブもきつく。ただ、通過する自動車の台数はほんのわずかなので、余り危険を感じなかった記憶。左側、今も川向こうにそびえる工場の煙突は、脳裏に残るイメージとピタリ一致。

吉根東の信号で左折。庄内川に架かる橋を渡り春日井市へ。JR中央線を陸橋で越え篠木町へ。篠木町の信号を右折、南城中学校前に到着。ここにお参りするご門徒のお宅があります。午後4時半ごろから月参りのお経を拝読させて戴きましたが、どうもこのころから私の体調がおかしくなっていた模様。後からお聞きしたところでは、足下がふらついていた…とか。

その後、平常通り車を運転し国道19号線へ。市の中心部を過ぎた辺りで、旧国道からバイパスへ。あとで分かったことですが、旧国道で接触トラブルを起こしていた模様。それには全く気づかず、国道302へ乗り入れ高架下を楠ジャンクションへ。ここで名古屋高速1号線に乗り入れたところ…、ここで事故発生。

記憶が定かでありませんが、カランカランという音を聞いてバック・ミラーを見ると、後のバンパーが…。後続車のドライバーが外れ落ちたバンパーを抱えて持ってきて下さったのです。相手に怪我もなく、高速道路のランプということもあり、取り敢えず名刺を交換。こちらの運転ミスをお詫びして現場を離れました。

再び車に戻り名古屋高速本線へ。高速1号線を南下。以後、環状線(R)を経由して高速3号線に乗り入れたことは間違いないと思いますが、全く記憶にありません。今思い出してもゾッとします。多分、名古屋高速3号線を大高ICで下り、知多高速には乗らず下道で自宅へ向かったと思います。これまた覚えておりません。

名古屋高速の大高出口から、通り慣れた道を自宅に向かって走り始めたと思います。名古屋市緑区大高町から大府市共和町に入り、長草町・明成町・柊山町・江端町・月見町を経てわが東浦町に到達…。と、突然ガチャン!! 衝撃で目が覚めました。眠っていたのか、意識がなかったのか、はたまた夢の中なのか。大府市より町内に入って約500mの地点。

信号交差点。目の前にはバイクと人が倒れ、その前には黒いワゴン車。いや!事故ったのか?こりゃ大変だ。名刺入れから損害保険の担当者の名刺を取り出し架電。しかし、あとは全く記憶がありません。おそらく、その後保険屋さん・警察・救急車の方々がいらっしゃったと思いますが、私の脳裏には全く残っておりません。

後で聞いた話をつなぎ合わせてみると、以下のような顛末だったようです。家族は、事故現場で意識を失った私を、自宅まで1.5㎞ほど、何らかの方法で連れ帰ったようです。その後食事をとり、助けられながらも入浴したとのこと。しかし、手足の動き、表情、発声等々が尋常ではないということから、病院へ行かなくちゃ…。

かかりつけの病院へ問い合わせたところ担当医がいないということで、5㎞ほど離れた刈谷豊田総合病院で診察してもらうことに。救急車でなく、娘婿の車で病院へ。予診やら検査やらいろいろあった後に手術をすることになった模様。私自身は何も覚えていません。採血もあっただろうし、CTスキャンやレントゲン撮影もあったでしょう。

ギーン、ギーン、ガリガリガリ… ギーン、ギーン、ガリガリガリ… の音で目が覚め、手術台にいる自分に気が付きました。どうも、ドリルで頭蓋骨に穴を開けている様子。額の右上、髪の生え際より少し下の位置かな? 麻酔はかかっているのかな? 不思議と痛みは全くありません。その後、また眠りについたのか、以後の記憶はありません。

目が覚めたのは翌朝。何がどうなったのか、さっぱりわかりません。気が付いてみると額からビニール・チューブが下がってきて胸元のビニール袋に繋がっています。そして、左腕には点滴のチューブが…。そうか、昨日手術を受けたんだ。身体を動かしてみる…。全身がこわばった感じ。とにかく余り身体を動かさない方がいいかな…。

明るくなってきて、院内に人の動き。しばらくすると「いかがですか?」、看護師さんの声。「痛いところありませんか?」。少しずつ身体を動かしてみる。「痛いところはありません」。しばらくすると先生が回診に。「術後の痛みはありますか?」「今のところりません」「寝たままでいいですから、右手を挙げてください、左手を挙げてください。右足を上げてください、左足を上げてください。ハイ結構です」。

手術は成功裡に終わったようで、後遺症も一切ないとのこと。病名は「硬膜下血腫」。頭蓋骨と脳の間に血腫が出来ていたとのこと。いつごろ出血したかは不明。23ヶ月前か、1年前か、23年前かわかりません。記憶を辿っても思い当たるフシがありません。徐々に徐々にジワジワと頭蓋骨の中に出血していたということです。

CTスキャナーで撮影した画像を見せてもらいましたが、手術前の写真では、頭蓋骨の中はノッペラボウ。脳みその皺は何もありません。手術後の写真では、頭蓋骨内血腫のあった部分は脳みそが凹んでいます。血腫で圧迫されていた様子がアリアリ。他の部分の脳みそには皺。この皺が記憶を司っているのかな?

術後23日過ぎたころでしたか、点滴がはずされ、起き上がることも許され、徐々に日常生活を回復できる方向へ。何よりも有り難かったのは、術後の痛みが全くなかったこと。また、飲み薬・注射はも一切なく、食事も最初から“病人食”はなく、美味しい普通食が充分食べられたことです。退院後も普通の日常生活を送ることができ、術後3カ月余を経た現在も再発の兆もなく、安堵するとともに有り難く感謝の念一入です。                                    合掌

 

2016.7.3 前住職・本田眞哉・記》

 

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