法 話

(188)五十年前を振り返って(3)」 
 
 

 

 

   

 


大府市S・E氏提供

                 

五十年前を振り返って(3)



 

 真宗門徒の「年回法要」は、一周忌・三回忌・七回忌・十三回忌、以後三回忌・七回忌毎にお勤めし、五十回忌で一区切り。その後は、百回忌・百五十回忌・二百回忌… と、50年間隔。宗祖親鸞聖人の「年回法要」は、聖人没後間もなくは三回忌・七回忌を基準に年回を繰り出していたかもしれませんが、近代では50年間隔でお勤めする「御遠忌法要」の時代に至っています。

当山に於いて前回お勤めした「七百回御遠忌(ごえんき)法要(ほうよう)」は、1964(昭和39)年1211日~13日。「本堂修復落慶法要」と併せてお勤めしました。「御遠忌法要」等といった大法要を勤修する場合、まず住職の発願からスタート。そして、責任役員・門徒総代の賛同を得て、まず計画委員会を立ち上げます。計画策定と募財のためには必須。地区とか講組織とかの代表で組織して組・班等を編成。

住職の発願を基に事業計画を計画委員会で検討・策定。委員各位の意見が忌憚なく披瀝され、混乱状態に陥ることも。委員会の回数を重ねて腹蔵無く意見を吐露していただき、無理の無いように結論を導き出すことが必要。他寺院の事例を拝聴して参考にするのも一つの方法かも

さて、私こと当山十六世の教化事業活動のスタートは1959(昭和34)年。同年3月大学卒業と同時に本山へ住職任命申請。4月からは名古屋市内の私立高等学校の教員に。夏休みも終わり秋の運動会シーズンの924()、伊勢湾台風襲来。自作携帯ラジオによる台風情報顛末記は先月の本欄で報告の通り。台風被害の惨状を目の当たりにして、住職就任の初仕事が台風災害の復興事業なのだと、半ば負担を感じ、半ばやり甲斐を感じ複雑な思い。

いずれにしても、私に課せられた一大事業、やるっきゃない。と自分自身に言い聞かせ、台風から2年後の1961(昭和36)年12月、甚大な被害を被った本堂の大修復を発願。とはいえ、すぐに御門徒のご理解・ご賛同を得て修復工事が始められるものではありません。先ずは責任役員・総代に現状を見ていただき、修復工事の方法・規模を検討。概算見積もりも回を重ね、工法・規模・工事費の概要が見通せた時点で工事委員を選出。

そして第1回委員会。責任役員・総代で策定した事業計画案もすんなりとは認められません。計画案に検討を加え議論し修正。23回と回を重ねて計画を見直し、見積もりも取り直して議案を提出。そうしたなか、中途半端な修繕では却って無駄になるという意見が多く、屋根の葺き替えもすることに決定。その代わり計画実施期間を23年とし、最初の2年間は募財、最後の1年間で工事をすることに決定。

1962(昭和37)年78日午後2時より総代・世話人・委員合同会議を開催。建築事務所より提出された工事費見積書を審議。見積総額は2,7404,900円。審議の結果、見積額が余りにも膨大なため、一度では結論が出ず、各組で意見をまとめて8月上旬に再び会合を持つことにし、散会。しかし、予定通りに意見集約ができず、会議は遅延。923日の会議では、工事費の見積もりより寄付金額の記帳を優先すべき、ということに。

1216日開催の世話人会議では各組の募財状況を報告。各組とも、一部記帳を済ませた程度。翌年1月の世話人の任期満了までには記帳を終えることを確認。310日新旧世話人会議。各組より寄付金の記帳額の報告。全記帳者の一覧表を作成。中間集計の結果、総額2,850,000円に達し目標額まであと一歩。331日新旧世話人会議。記帳額の集計が目標の3,000,000円に到達。

1963(昭和38)年53日、総代・世話人・委員合同会議。募財記帳額が3,000,000円達成の報告。今年中にその3分の2の集金ができるように努力することを確認。集金については、新・旧の世話人が責任を持って努力することも併せて確認。一方工事については、今年中に3分の2の募金ができれば来年3月末に着工し、同年の台風時期までに完工できるようにする。

1020日、総代・世話人・委員合同会議。諸物価高騰の折、できることなら早期に着工した方がよいのではないか、とのご意見。あるいは、せめて材料だけでも早く買っておくべきではないか、との発言も。今年中に記帳額の3分の2の納金が見込まれる状況からみて、直ちに材料を購入し、来年2月着工と決定。最初の見積もりにつき、物価高騰のこともあり、同業他社同席の上再検討した結果、材料費はほぼ見積もり通り。ただ、人件費が3割方高騰。その分をカバーするために同行各位の勤労奉仕をお願いすることに。

1964(昭和39)年130日、総代・世話人・委員合同会議。いよいよ着工を目前にして修復委員長に久米嘉和助氏を、工事委員長に河合兵弌郎氏を、同副委員長に高木敏夫氏・戸田直助氏・野村忠次氏を委員の中より選出。そのあと、工事を進める具体策を検討。そして24日、本堂修理工事はいよいよ着工の運びとなりました。

24日、予定通り着工。足場丸太運搬・足場掛け。手伝い世話人・委員7人。26日、屋根足場掛け・建て起こし。29日、建て起こし・壁落とし。211日、屋根足場掛け・大工筋交い工事。214日、屋根足場掛け・大工筋交い工事。壁土搬入。216日、屋根足場掛け・役物瓦下ろし。219日、棟瓦下ろし・南側破風修理・補強梁入れ。220日、平瓦下ろし・瓦掃除・天井の修理。

工事日誌は以下延々と続きますが、途中割愛し以下ポイントのみをピックアップ。補強構造材として直径数十㎝、長さ10メートル以上の松木十数本を屋根裏に投入。一方寺庭では、壁塗り替え用と屋根葺き替え代え用の壁土を、ご門徒の奉仕により耕耘機を使って練り上げ。その壁土を使って左官職が壁塗り作業。一方、屋根葺き職は瓦の下地にその壁土を活用。419日には屋根葺き職最大の仕事である大鬼瓦の据え付けと大棟葺きも完了。

本堂の大修理工事も大詰めを迎え、秋には完工の運びに。67日、総代・世話人会議。議題は落慶法要について。河合工事委員長の工事進捗状況の報告を受けて、本年中には落慶法要が営めるとの見通しに。折角の勝縁であるので、親鸞聖人の七百回御遠忌法要を勤修したら、とのご意見も。一方では、本堂修理の名目でご寄附を集めたのだから、いかがなものか、とのご意見も。そこで結論を保留し、再検討することに。

712日再び会議を持ち落慶法要について再検討。いずれ親鸞聖人の七百回御遠忌法要を勤めなければならないなら、折角のご縁を生かしてこの際併せてお勤めした方がよろしいのではという結論に至りました。法要期日は1211日、12日、13日と決定。なお、726日現在の総収入・総支出・残高は以下の通り。

総収入 2,545,989円  総支出 1,778,854円  差引残高 767,135

2016.10.3 前住職・本田眞哉・記@》

 

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