法 話

(19)続「学力」とは?

 ところで、いうところの「学力」とはいったい何なのでしょう。先日の教育委員会会議の席上でも意見が交わされました。いわゆる「知識力」が「学力」あるという“伝統的価値観”に引きずられている人がまだまだいるのではないだろうか、との意見も出ました。 いや、新指導要領や週五日制が実施されてから、むしろそういう伝統的価値観が復権し出しているのではなかろうか、と懸念の声も。

 820日の『中日新聞』には、「愛知の中3 業者テスト復活へ」のヘッドライン記事。えッ? 10年ほど前へ戻ったような話に私は目を白黒。記事によりますと、「愛知県私塾協同組合は2003年度から、県内の中学3年を対象にした共通テスト(仮称・愛知県統一テスト)を年に数回行う方針を決めた」とのこと。

 ご存じのように、新指導要領の実施にともない、学習の評価が今までの「相対評価」から「絶対評価」に変わりました。したがって、原簿である「学習指導要録」に記載される評価も「絶対評価」となるため高校入試の内申書ももちろん「絶対評価」になります。愛知県の高校入試が04年度から絶対評価に基づいて実施されるのを見込んで、業者が共通テストを計画したようです。

 「相対評価」は他人との比較で示す評価ですが、「絶対評価」は個人の目標達成度を示す評価。絶対評価に基づく内申書では学校間にバラツキがあり,生徒間の比較がしにくいという、学校側の戸惑いのすき間に入り込もうとするのが、この業者テストのねらいかも知れません。特に私立学校においてはこの「物差し」欲しいところでしょう。「物差し」となれば客観性が必要なわけで、私塾協同組合では県内7万人の現中学2年生の約4割の3万人の参加を見込んでいるという。

 かつて「中部統一テスト」というのがありましたっけ。私が私立高校の教師をしていたころ、中学校の先生方への説明会で、入試合格の目安を「中部統一テストy点以上、通知票の主要5科目平均x点以上」、などとお話ししたことを思い出します。当時は県内中学3年生のほとんどが統一テストを受けていたので、テスト結果のリストで生徒一人ひとりの全県下での順位がバッチリ出たものです。したがって、私学にとっては中学校間の“学力差”が読めない相対評価の通知票の成績より、統一テストの偏差値の方が正確に個人の“学力”が把握できたのが実情でした。

 そうしたなか、偏差値により生徒を輪切りにして進学高校を決める進学指導方法に対する批判が高まり、業者テストを利用しないという方向へと進路指導が改善されました。そうした状況下、「中部統一テスト」はたまたま業者の内紛もあって、1989年に廃止となりました。全国的には1993年の業者テストについての文部省通知で中学校が取り扱わなくなり、廃止に至ったようです。

 そうした流れに竿を差すかのように、業者テスト復活の計画が明らかになり、愛知県教育委員会がどう対応するか注目されるところです。願わくは、偏差値偏重による輪切り進学指導が復活しないようにしていただきたいものです。

かつて通知票の評価を「電信柱の並び」とか「アヒルの行列」とか蔑まれた子どもたちも、ここ10年間の教育改革の歩みの中で、個々それぞれに認められ、居場所を見つけられるようになってきました。一人ひとり、それぞれにピカリと光るものを持っているはずであります。その一点を育み、「生きる力」を引き出すことこそ教育の果たす役割ではないでしょうか。

学習の評価の観点もいろいろありましょうが、乱暴に断じれば「知識力」のみが、「記憶力」のみが「学力」ではないと私は思います。基礎的な「知識力」はもちろん必要でありますが、21世紀のグローバルな時代を生き抜くには、それにも増して「創造力」「判断力」「総合力」が必要陀と思います。

一人ひとりの「個」を尊重することにより、子どもたちが興味・関心を抱くとともに、自ら学ぶ意欲を引き出す教育こそ新しい時代に求められている教育ではないでしょうか。詰め込み式画一的教育、知識力偏重教育、偏差値一辺倒教育の失敗を再び繰り返してはならないと思うや切であります。

『仏説阿弥陀経』に「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光(しょうしきしょうこう・おうしきおうこう・しゃくしきしゃっこう・びゃくしきびゃっこう)」という一節があります。青色は青色の光を放ち、黄色は黄色の光を放ち、赤色は赤色の光を放ち、白色は白色の光を放つ、という意味です。

ごく当たり前のことですが、人間の思いはこれに逆らう。青色の者が、できもしないのに黄色の光を出そうとしたり、赤色の者が、隣の白色の人に赤色を放つように求めたりします。あるいは、指導者がすべてに茶色の光を出すよう強制したり…。

「個の尊重」とは、お互いに一人ひとりの「差異(ちがい)」を認め合い、差異を認める中から他の中にピカリと光るものを見つけだし、ともども磨きあい育みあい、心身ともに成長し続けることではないでしょうか。

わが宗門のキャッチ・コピーは「バラバラでいっしょ 差異(ちがい)をみとめる世界の発見」。教育論の根本も、人生観の根本も、宗教の根本も、真実を求めればまさに同じ立脚地であります。『蓮如上人御一代記聞書』第172章には、「往生は、一人一人のしのぎなり(後略)」 とありあます。教育も救いも「個」の問題なのでしょう。  合掌。       【2002.10.2.住職・本田眞哉・記】

                                             

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