法 話

(199)命のビザ

  

 

 

   

 


大府市S・E氏提供



  「命のビザ」



このところ「中日新聞」に、杉原千畝氏がらみの記事が踊っております。いや、失礼。杉原千畝氏の話題が紙面を賑わわせております。201785日付朝刊の社会面の話題提供が一連の記事のスタートになるかと思われます。ゴシック白抜きで「『命のビザ』生存者」、その下に「岐阜・八百津で講演」の明朝体横見出し。そして「千畝に感謝 いつまでも」と26ポイント明朝体の縦見出しを付けて講演内容を報じています。

     第二次世界大戦中に外交官の杉原千畝(19001986)が発給した「命のビザ」でナチス・ドイツの迫害から逃れたユダヤ系米国人のシルビア・スモーラ―さん(85)=ニューヨーク在住=が四日、千畝を顕彰する岐阜県八百津町を訪れた。約五百五十人の町民を前に講演し「杉原さんのおかげで私は今日、ここにいる」と語った。

講演内容は、本HPでもたびたび記述させていただいておりますが、第二次世界大戦中のヨーロッッパ戦線、リトアニア・カウナスの日本領事館でのできごと。“ハイエル・ヒトラー”のナチス・ドイツの迫害から逃れるためには、日本通過の査証が必要だったのです。日本外務省は、日・独・伊三国同盟の絡みもあって、千畝氏の再三の発給申請にもかかわらず返信はすべて「NO」。

しかし、日本領事館には、来る日も来る日も押し寄せるユダヤ系難民。何度か当時の実録映像を見ましたが、実に哀れ。2009(平成21)年8月に私も訪れたあの旧領事館での光景。ユダヤ人がビザ発給を求めて、領事館のフェンス越しに手にした書類を振りかざす場面。千畝氏もこの光景を目の当たりにして困惑、同情の念を禁じ得なかったことでしょう。本国政府の訓令に反してビザを発給すべきか否か、心の葛藤に悩む杉原氏ご夫妻。

度重なるNOの返信にもめげず、難民の命を一人でも二人でも助けようと、「YES」の返電を求めて更に更に打電したことでしょう。でも、返電はすべて「NO」。ヨーロッパ戦線の戦況をみて限界を感じた千畝氏は、ご令閨の「保身よりも人命救助を」の言葉を受けて遂に決断。本国の命令に背いてナチス・ドイツに迫害されたユダヤ難民に「日本通過ビザ」を発給。時に1940(昭和15)年718日のこと。

他の国へ逃れるため日本通過のビザ発給を求めて押し寄せたオランダ国籍のユダヤ人に、ビザ発給の作業が始まりました。杉原領事代理は、毎日まいにちビザを書き続け、スタンプを押し続けました。画面にはビザを書き続けるペンのクローズ・アップ、スピーカーからは紙の上を走るペンの音がザッザッザッ。そして、バックグラウンドには「ユダヤ人のためにビザを発行しようと、一旦決心した杉原千畝の心にはもう迷いの陰はなかった。」

杉原領事代理は、毎日まいにち領事館に押し寄せるユダヤ難民に日本通過のビザを発行し続けたのです。そして、ビザを渡すときに、ユダヤ人一人ひとりに「バンザイ ニッポン」と言わせたとのこと。彼らの自分への感謝が祖国日本への感謝に繋がってくれることを期待したのでしょう。来る日も来る日も彼はビザを書き続けました。10日経っても20日経っても、領事館にやってくるユダヤ人の数は減らなかったという。

千畝氏は、こうして大人のビザ1600通を発行。子どもは大人が連れて行けばよいと考えていたから。「6000人の命のビザ」と報道されているように、帯同した子どもも含めて日本を通過したユダヤ人は6000人。幸いにも受給できた難民約6000人はシベリヤの陸路を経由し、船を乗り継いで福井県敦賀港に上陸。横浜や神戸から海路アメリカなどに移ることができたのです。さぞかし苦難に満ちた“逃避行”だったことでしょう。

さて、話を中日新聞の記事に戻しましょう。9月に入って4日付の朝刊に「命のビザ 輝き後世に」のメインタイトルのもと、「リトアニア・旧領事館」「日本の職人 はるばる修復」の縦見だしを付け関連記事を載せています。HP No195197で記述させていただいておりますのでここでは省きますが、全国から集まった日本の職人がボランティアで現地に赴き、旧領事館の修復作業に取りかかったという記事。

参加したのは、全国の塗装業者らでつくる団体「塗魂インターナショナル」のメンバー。当地方では、愛知県春日井市の池田大平事務局長や岐阜県八百津町の金子正則町長、岐阜県各務原市の大野雅司作業班長ら、とのこと。日本から遠く離れたバルト三国-エストニア・ラトビア・リトアニア-の最南に位置するリトアニアのカウナス。記事には、見覚えのある旧領事館「杉原記念館」の写真が添付されていました。日本式のパイプの足場が掛けられて。

96日と8日には、母校・愛知県立瑞陵高校に千畝氏の顕彰施設が造られるという記事。瑞陵高校の正門近くに、見学者が自由に出入りできる屋外型の施設(展示面積475㎡)を整備するとのこと。展示内容は、カウナスの領事館で執務する千畝氏の等身大の立体ブロンズ像やビザを発給された2256のユダヤ人の名前を刻んだ金属板等々。県が7日発表した9月補正予算案には総額は447500万円が計上されています。計画通り進めば、来秋公開されるようです。

925日からは、「命のビザの問いかけ」-杉原リスト「世界の記憶へ」- のタイトルのもと5回に及ぶ連載記事。以下にメイン・タイトルを列記しましょう。 

   少年が見た博愛の原点 

   今重み増す「救命の証し」

   信念、勇気どう受け継ぐ

   アウシュビッツで学ぶ 

   善意のたすき世代超え 

 以上、『中日新聞』の8月から9月にかけて重点的に取り上げられた杉原千畝氏に関わる記事を中心に記述させていただきました。私がカウナスの杉原記念館を訪れた今から8年ほど前は、日本国内では杉原千畝氏のことも旧領事館のことも人口に膾炙していませんでした。その後、ビザ発給の恩恵にあずかった旧ユダヤ難民からの感謝の情報がマスコミで取り上げられるとともに、政府も“反省”し、俄に評価が見直されたのではないでしょうか。人命を尊ぶ千畝氏の勇気はいつの時代でも讃えられるべきで、私たちも学ぶべき精神でありましょう。

合 掌
 

《2017/10/2前住職・本田眞哉・記

 

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