法 話

(200)「悪人正機」

  


大府市S・E氏提供

悪人正機(あくにんしょうき)



 去る102日、大学時代の友人3人が来山されました。「32会」の山本晴夫氏、富田公弘氏、佐藤豊氏。3氏とも名古屋市立小中学校の教員として名古屋市の教育振興に尽力。最後は校長職で定年退職。在職中はもちろん、退職後もともに講話を聞き、会食し、酒を飲み交わし語り合った仲間。

32会」というのは、愛知学芸大学(現・愛知教育大学)の同級会。在学年次昭和32年の32から命名。因みに32会には、名古屋部会・尾張部会があり、会員数は名古屋部会が170名余、尾張部会が150名余。私は私立高等学校勤務でしたが名古屋部会に入れていただいておりました。

上記3氏は過去にも度々ご来山されましたが、山本氏はよくお電話もいただき格別親しくおつきあいいただく仲。昨年6月の本ホムページ法話(183)「名刹焼損」の中で、架電いただいた方が「名古屋在住の大学時代の同級生」と記させていただいたのも、この山本氏。

今回ご来山の向きは、富田氏が『歎異抄(たんにしょう)』についてお聞きしたいと言っているとのこと。山本が事前の電話でおっしゃっていました。当山のご門徒との日常会話の中でも、そういったお訊ねをされる方は少ないなか、ご殊勝なことだと思い快諾させていただいた次第。

呈茶の後、大学時代の思い出話あれこれや、教員時代の苦労話等々雑談をしているうちに、自然の流れで『歎異抄』に入っていきました。『歎異抄』といえば、何といっても第三章「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」。高等学校の教科書にも引用されている一行。広く人口(じんこう)膾炙(かいしゃ)している有名な法語。

では、なぜこの一行が人々の心を打つのか。一言でいえば、「パラドックス(逆説)」だからなのではないでしょうか。話がここへ来たとき、富田氏は身を乗り出してポンと膝を打ち、「そうそう、パラドックスなんだよ!」とひと声高く叫び、いささか興奮気味。

「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」。現代語に直せば、「善人でさえ浄土へ生まれることができる、まして悪人は申すに及ばない」の意。現にこの身の置かれているこの地盤を深く揺り動かす響き。しかし、そのまま肯定することができない我が身。この不審の念を生ずるのは、我々には善人・悪人についての習慣的心情が根を下ろしているからなのでしょう。

一般常識では、「悪人なおもて往生をとぐ、いわんや善人をや」なのでしょう。「悪人がたすかるならば、まして善人がたすかるのはいうまでもないこと」。聖人も続けて、「しかるを、世のひとつねにいわく。悪人なお往生す、いわんや善人をや。この条、一旦そのいわれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆえは…」とおっしゃっています。

弥陀の本願における悪人への心の傾きは、「悪人でさえも」というのではなく、「悪人だからこそ」とお教えいただくのです。悪人でさえもといえば、善人が主流となり、悪人は傍流となる。本願は悪人のために起こされ、悪業の重さを知らしめたその上で、みなもらさず救おうと誓われたのです。悪人にこそ救いがある、悪人こそ他力本願の正客である。聖人の教えが「悪人正機」いわれる所以でしょう。

この『歎異抄』は一言でいえば、親鸞(しんらん)聖人(しょうにん)の晩年の語録。誰が著したのか。親鸞聖人が書き残された「作品」ではありません。じゃ、誰が書いたのか、著者は誰か。本願寺二世の如信、同三世の覚如等、諸説がありますが、親鸞聖人の直弟子、常陸国の河田の(ゆい)(えん)とするのが定説。唯円を著者とする説の根拠は、「唯円房はわがいふことをば信ずるか」と本文内に記されていることによるとか。

三氏の来山のことから『歎異抄』に関してとりとめもなく、あれこれ筆を執らせていただきましたが、1010日同じく32の同級生鈴木卓氏の訃報が入りました。ビックリ。同じ32会のメンバーであることとともに、ご令閨のご縁もあって30年ほど前でしたか、当山・了願寺のご門徒に仲間入りされました。

ご令閨は尾張国星﨑荘大江(現・南区元鳴尾町)の永井家のご出身。ご一統からはからは、外交官・IOC委員・貴族院議員を勤められた永井松三氏や、作家・永井荷風氏を輩出。永井家は当山最古のご門徒で、慶長年間以来400年余のおつきあい。当山境内本堂西の墓地には、永井家歴代の墓石が20基余列を成しています。

突然の訃報を受けて、早速緑区長根町のご自宅へ「(まくら)(ぎょう)」に参上。鈴木卓氏は、仏前で安らかに横になっていらっしゃいました。彼は自衛隊除隊後向学心に燃え、愛知学芸大学に進学。卒業後は、名古屋市の体育教員を勤められ、校長職で定年退職。命終されたのは1010日、何と体育の日。これも不思議な巡り合わせと申しましょうか、ご縁と申しましょうか。

彼は病死でしたが難病だったとかで、大学病院側から遺体の解剖させてほしいと請われ、遺族はこれを快諾。そのため葬送の日程も遅れ、結局13日に通夜、14日に葬儀を営むことに決定。一連の葬送の儀式は真宗大谷派の法式作法に則り、私が主宰して執り行わせていただきました。

何とも悲しい同級生の旅立ちの話で、この「法話」締めくくることになってしまいました、残念。しかし、これもお聖教の「我やさき人やさき」の教えをよくよく聞けよとのご催促かも。本願寺中興の祖・第八世蓮如(れんにょ)上人(しょうにん)は、全国各地に足を運ぶとともに、教義を分かりやすく説いた消息(手紙)を数多発信して布教に努められました。現今ならばE-mailでしょうか。

その消息(手紙)のうち80通を編纂したのが御文』。その五帖目第十六通「白骨」の御文には、

それ、人間の浮生(ふしょう)なる相ををつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終まぼろしのごとくなる一期(いちご)なり。されば、万歳(まんざい)人身(にんじん)うけたりという事をきかず。一生すぎやすし。いまにいたってたれか百年の形体(ぎょうたい)をたもつべきや。我やさき、人やさき、きょうともしらず、あすともしらず、おくれさきだつ人は、もとのしずく、すえの露よりもしげしといえり。されば(あした)には紅顔(こうがん)あって夕べには白骨となれる身なり・・・

と認められています。心に銘じておきましょう。

合 掌
 

《2017/11/3前住職・本田眞哉・記

  

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