法 話

(201)「教区再編」

  


大府市S・E氏提供

教区再編)



 

先日お参りに伺ったご門徒宅で、ある新聞記事が話題になりました。その新聞記事とは、1122日付の中日新聞夕刊の記事。11面の4分の1を割いての大きな扱い。「真宗大谷派 教区再編へ」の50ポイントゴシック活字の横組み見出し。そして、少しポイントを落として「減る寺院、収支悪化」の明朝体縦見出し。

 

 えっ? と思わず声を出し、記事に吸い込まれるように読み始めた私でした。さらにゴシック体の小見出しには「高山は岐阜と合併 中部1611に」。そう、ずいぶん前から教区の大小格差は問題だ、統廃合をして合理化を図るべきだ、というご意見がしばしば聞かれました。

ご存じのように、真宗大谷派といえば我が了願寺が所属する教団。「これはどういうことですか?」とお尋ねいただいたご門徒も、もちろん真宗大谷派のご門徒。「新聞記事からお分かりかと思いますが」と前置きして、わが真宗教団の組織についてお話しさせていただきました。

京都市上京区にある東本願寺を本山とする「真宗大谷派」は、全国8,500余ヵ寺が所属する大教団。全国組織としては、1934(昭和9)年に制定された「教区制」が敷かれています。この教区制のもと、教化・行政・財政・立法の諸活動が執行、運営されています。

この教区制に基づく教区数は現在30教区。教区名を挙げれば、北海道・奥羽・山形・仙台・東京・三条・高田・富山・高岡・能登・金沢・小松・大聖寺・福井・高山・大垣・岐阜・岡崎・名古屋・三重・長浜・京都・大阪・山陽・四国・日豊・久留米・長崎・熊本・鹿児島。

それぞれの教区エリアは、都道府県、市町村との整合性は少なく、制定時の地域事情を勘案して決められたものと思われます。そのため、一般行政区域とかけ離れた線引きが行われたケースも。また、それに伴って寺院数のバラツキ、財政力のバラツキも。寺院数39ヵ寺の最少教区から、760ヵ寺の最大教区まで、その開きは119

了願寺が所属するのは名古屋教区。そのエリアは尾張一円。教区内には下部組織として「()」が置かれています。第1組から第32組までの32ヵ組。組のエリアもまた、一般行政エリアと整合しているところもあればしていないところもあり、さまざま。当山が所属する第2組は大府市を除く知多半島全域。

2組の寺院数は、現在30ヵ寺。1990年代は28ヵ寺でしたので、以後に2ヵ寺増えた勘定。さらに第2組は三つの「小会(しょうかい)」に分かれています。北部小会・南部小会・西部小会。当山は北部小会12ヵ寺の一員。北部小会のエリアは、東浦町・東海市・阿久比町・半田市。南部小会は、半田市・武豊町・美浜町・南知多町の12ヵ寺。西部小会は、常滑市・知多市の6ヵ寺。

以上、本山・真宗大谷派宗務所―名古屋教区―第2組―北部小会―了願寺と、宗門の行政組織について大雑把に記しましたが、その中枢を担う「教区」が今や変革を迫られているのです。名古屋教区は700ヵ寺を擁する大教区、財政面でも全国トップクラスを維持してきましたが、陰りが見え始めてきたことも事実。

一方、全国的に見ると教区財政の収支が悪化しているところが増え、教区間格差もますます拡大。教区の統廃合を進めて財政支出を減らそうと、教区再編の実動へ。教区再編は伝統を壊すという痛みを伴うため、先延ばししてきた感は否めません。しかし、時代社会の大変動野の浪は容赦なく押し寄せ、切羽詰まった事態に至ってようやく動き出したということでしょう。遅きに失した感一入。

策定された教区合併の具体案は以下の通り。括弧内が合併して1教区に。(奥羽・山形・仙台)(三条・高田)(富山・高岡)(能登・金沢)(小松・大聖寺)(高山・岐阜)(長浜・京都)(山陽・四国)(日豊・久留米・長崎)(熊本・鹿児島)。現在の22教区を、2023年までに段階的に9教区減じて17教区に。我が名古屋教区は、北海道・東京・福井・岡崎・大垣・三重・大阪の7教区とともに当面そのまま。

教区再編が求められるその背景には、寺院ひいては所属ご門徒の時代的社会的変動・変革があることを見過ごしてはならないと思います。例えば、農業が廃れ地元に大きな企業もなく、仕事を求めて都会へ出ざるを得ないという現実。過疎地域といわれる地方の寺では、所属門徒の数も減り続け寺の収支も悪化。住職は別の職を求めて都会へ。その結果、住職が現住しない「無住寺院」が現出。

新聞記事はさらに、「岐阜県高山市荘川町の山あいにある宝蔵寺は、十年ほど前から遠方で暮らす住職が、檀家(だん か )の法事があるたびに戻ってくる。管理を任されている檀家の大沢孟士さん(74)は不安を口にする。『亡くなった人に、すぐにお経を唱えてあげられないのがふびん。何かの事情で住職がこられなくなったらどうすればいいのか』」と続きます。実に深刻な問題。

この荘川地区は、高山教区「荘川組」。前述のように来年7月を目途に岐阜教区と合併して「高山・岐阜教区」が発足することになっています。因みに、1955(昭和30)年発行の『真宗大谷派寺院教会名簿』によれば、この荘川組は寺院数が全国最少で5ヵ寺。その5ヵ寺のうち2ヵ寺の住職が岐阜や名古屋に住むという。なお、1950年代までは8ヵ寺あったとのこと。

「地域の協力で何とかやっているが、今後は分からない。他教区の住職と勉強会を開き、現状を打破する糸口を探りたい」と取材に応じて語ったのは荘川組の淨念寺の照元興円住職(69)。エッ? 照元興円住職?添付写真のキャプションにも「住職が遠方にいる宝蔵寺で荘川組の現状を語る照元興円さん」とあります。

私は住職に就任するとともに教職にも就きました。名古屋の高等学校で担任した生徒が照元興円君。彼は、大学卒業後はご自坊の法務に専念。結婚式にお招きいただき、同僚の先生ともども出席させていただいた記憶が甦ってきます。記事には記載されていませんでしたが、おそらく荘川組の組長( そ ちょう)をつとめていらっしゃるのでしょう。

余談になってしまって失礼。いずれにしても教区再編は、その背景に多方面に亘る問題を孕んでいると思います。恵まれた地域環境といわれる名古屋と雖も、寺離れ・宗教離れは確実に進行。次世代はもちろん現世代に対しても、寺への、関心をどう培っていけばよいのか、真剣に取り組んでいかねばならないと思うや切であります。

合 掌
 

《2017/12/3前住職・本田眞哉・記

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