法 話

(202)「必至滅度」



 

(つちのえ)(いぬ)(れき)

 

 

 2017年は(いぬ)年。詳しくは、干支(えと)の繰り合わせから(つちのえ)(いぬ)の年。もともと干支というのは十干(じっかん)と十二支を組み合わせたもの。「十干」とは、(きのえ)(きのと)(ひのえ)(ひのと)(つちのえ)(つちのと)(かのえ)(かのと)(みずのえ)(みずのと)。「十二支」とは、()()()()()()()()()(10)(11)(12)。この十干と十二支を順番に1つずつ組合わせたものが干支になるのです。 例えば、甲と子を組み合わせると、甲子(きのえね)。音読みすると「甲子」になります。高校野球で有名な「甲子園(こうしえん)」は1924(大正13)年・「甲子(きのえね)」の年に造られたことから命名されたとのこと。

  『仏説無量寿経』には、阿弥陀仏がまだ法蔵菩薩として修行していたころ、仏になる条件として四十八の誓いの願を建てられました。その第十一番目、第十一願が「必至滅度の願」。「滅度」とは、「涅槃」ともいい、全ての煩悩が滅した悟りの境地を言います。涅槃は仏教が目指す最終の境地。「生」「死」を超えた世界。「生」でも「死」でもない境地。「執着」執われの心、こだわる思いの無い境地と言い換えたらいかがかと…。

 そうした境地に、国中の人天悉く必ず至らせたいという願い、言い換えれば必ず浄土に往生させたいと「必至滅度の願」を建てられたのです。滅度すなわち涅槃に至らすことができなければ、法蔵菩薩・自分は仏にならないと誓われたのです。第十一番目の誓願です。その願は成就し、法蔵菩薩は阿弥陀仏となられ、成就した願は衆生に「南無阿弥陀仏」の名号として私たちに廻施されたのです。この名号こそ私たちの往生を確定する用きをそなえているのです。

 干支の第十一番目の「戌」に、尊い阿弥陀仏の第十一番目の「必至滅度の願」を引き合いに私見を述べさせていただいたこと失礼千万、ご批判はごもっとも、甘受させていただきます。ご笑殺ください。

合 掌 

《2018/1/3前住職・本田眞哉・記

  to index