法 話

(203)「教化伝道(1)」

 

 

大府市S・E氏提供

教化伝道(1)

 仏さまの教えを伝え広めていくのにはいろいろの方途があります。先ず、御遠忌(ごえんき)報恩講(ほうおんこう)永代(えいたい)(きょう)など大きな法要をお勤めし、説教・法話を聴聞(ちょうもん)する法座を開くという伝統的な方途。それから、毎月決められた日時に行われる「定例説教」も真宗寺院で古くから開かれている法座です。また、「何々講」とかいった、いわゆる「念仏講」も親鸞(しんらん)聖人(しょうにん)の教えを受け継ぎ伝える大切な法縁の役割を果たしてきました。

 当山には同行の組毎にそれぞれ「五日講」「十三日講」「十八日講」「二十五日講」があります。毎月それぞれの日に持ち回りの“宿”に講員が集い、法座が開かれます。先ず、正信偈(しょうしんげ)・念仏・和讃(わさん)勤行(ごんぎょう)。続いて、それぞれの講組に本山より下付された「御消息(ごしょうそく)」を拝読。講員は頭を下げて恭しく拝聴。30分ほどの勤行に続いての、この難解な文言の御消息拝聴は、緊張感に加えて正座による脚のしびれで“難行苦行”。

 ところで、「御消息」とは何ぞや? 端的に言えばお手紙。ただ、暑中見舞い・寒中見舞いとかの時候の挨拶とか、また婚姻・葬儀とかのお知らせや、同窓会・祝賀会等の行事案内等のお手紙とは異質なもの。宗祖や歴代(もん)(しゅ)(もん)(まつ)に送った書簡を御消息というのです。ではその内容は如何となれば、教義を書簡体形式で説いたもの。親鸞聖人が開顕(かいけん)された教えを漢文でなく、和語で解りやすく説かれた法語。

 解りやすい和語といっても我々の世代、ましてや現住職の世代では難解。第一の難題は「変体仮名(へんたいがな)」混じり本文の解読。いや、「解」の前に「読」が問題。というのも、現在の学校教育では変体仮名の指導は皆無。1900(明治33)年の小学校令の改正によって変体仮名は用いられなくなり、仮名は一字体に統一されました。人名についても1948(昭和23)年戸籍法の改正によって変体仮名は使用できなくなったとのこと。

 加えて漢字は草書体。私が住職を継承した1959(昭和34)年代当時、コピー機もスキャナーも無かったので、御消息の上に清書紙を置き筆でなぞって写し取り、文字どおり「写し」を作成。母親の指導のもと、変体仮名・草書体漢字にふりがなを付け、一生懸命拝読の練習をしたことを思い出します。先住は私が4歳のときに病没しておりますので、母を頼るほかありませんでした。

 現在、変体仮名を目にするのは、そば屋やしるこ屋など、昔からの店舗名や商標名やメニュー名。また、書道展の作品や地名表記などでも使われています。住職にとって身近な例は人名表記。ご門徒の訃報を受け、直ちに「枕勤(まくらづと)め」に出向。お悔やみのことばをおかけするとともに、ご臨終のご様子を拝聴。焼香の準備を整え、勤行(ごんぎょう)・おかみそりを執り行います。終わって、葬儀社の方を交えて葬儀執行についての打ち合わせ。

 葬儀社作成の基礎資料で協議・確認。最初に通夜・葬儀の日時・場所の確認確定。次に故人の住所・氏名と年齢、喪主の住所・氏名と続柄。最近は故人と喪主・後継者が別居されているケースもあり確認が必要。この中で、故人名の文字で戸惑うことが。それは変体仮名。明治生まれの女性のお名前。最近の例では (とし)子さん。昨年Unicodeに変体仮名が採用されたとか。過去帳入力にも利用できるかも。

 長々と変体仮名詮索、失礼しました。本論に話を戻しまして、御消息の体裁は幅20㎝、長さ約380㎝ほどの巻紙に、毛筆で阿弥陀如来の本願の教えが変体仮名混じりの書簡体で(したた)められています。最長の十八日講の御消息の長さは約700㎝。いずれも軸表装した巻物を帛紗(ふくさ)包みし、24㎝×8㎝の黒蒔絵(くろまきえ)文箱(ふばこ)に収めます。蓋をして赤い組紐を締め、さらに幅170㎝×長さ320㎝×深さ100㎝の木箱に収納。

 日時を決めてご門徒宅に出向きます。お内仏(お仏壇)の前には、当主が前月の“宿”からお迎えした御消息が安置されています。最初にご家族・講員ともども正信偈、念仏、和讃で勤行。しかし、最近は講員が参集することはなく家族のみ。お勤めが終わると文箱の組紐を解き、蓋を開け帛紗包みの御消息を取り出し(おもむろ)に頂戴。巻の紐を解き表紙に巻き付け、およそ肩幅の長さに開き拝読を開始。

 変体仮名・草書体漢字・平仮名が混在する本文。誤読しないか、トチらないか、ヒヤヒヤ、ドキドキ。本文の結びは「御文(おふみ)」と同じように「あなかしこ あなかしこ」。続いて「右蓮如上人文可有信心決定事肝要也」の奥書。そのあと発信月日「(りん)(しょう)(太陰暦六月)十日」。大文字で「乘如(じょうにょ)」(発信者)の揮毫(きごう)と直径4㎝「光遍(こうへん)」の朱印。そして最終行には「尾州( び しゅう)知多郡( ち た ごおり)緒川村了願寺五日講中(こうじゅう)」の宛名書き。(五日講の例)

拝読終わって巻き戻し、帛紗で包んで文箱へ。組紐を結び帛紗包みをして木箱に収納。勤行も含めて1時間ほどかかりますので、正座慣れしていない世代には苦痛のようです。「脚をお楽に」と切り出して法話。といった流れが念仏講勤めの定番なのですが、前述のように毎月の講勤めに講員が集うことは皆無。終戦後、年に一度講員が集う「お惣仏(そうぶつ)」の席で御消息を拝読することにしましたが、これも数年前に取りやめに。

 ところで、こうした御消息拝読の法座は一体いつごろ始まったのでしょう。記録文書は無いので、御消息の発信者であるご門主の上人名から類推するほかありません。二十五日講は手許に御消息が無いため確認できませんが、前出五日講の乘如上人は本願寺第十九代門主(1760~)、十八日講は達如上人で本願寺第二十代門主(1792~)、十三日講は本願寺第二十一代門主嚴如(ごんにょ)上人(1846~)。

このことから、念仏講の法座は今から250年以上前に始まったことが分かります。しかし、時代社会の変遷とともに受け継ぎ伝えることが難しくなってきていることも事実。この事実を座して見ているわけには参りません。仏教界にとっても、我が宗門にとっても。IT活用も含めて、若い世代を中心に時機相応の教化アイテムの開発に力を注いでいるようです。もちろん伝統されてきた教義を基本とし、レールから逸脱しないように…。 

合 掌 

《2018/2/3前住職・本田眞哉・記

  to index