法 話
(204)「教化伝道(2)」
![]() 大府市S・E氏提供 |
報恩講(1)
前回は念仏講の法座について記しましたが、真宗寺院・真宗門徒にとって最大かつ最重要な法要・法座は何といっても「報恩講」。私たちが宗祖と仰ぐ親鸞聖人は、1262(弘長2)年11月28日に90歳のご生涯を終えられました。そのご命日、11月28日を期してお勤めするのが報恩講。しかし、全国に1万ヵ寺に垂んとする所属寺を擁する真宗大谷派、全所属寺が11月28日を期して一斉に報恩講をお勤めするわけには参りません。
そこで、本山・東本願寺では毎年11月21日の初逮夜から28日のご満座まで一七ヵ日にわたって報恩講が厳かに勤められます。法要期間中、全国各地から大勢のご門徒が参詣されます。宗派行政区である「教区」「組」で、あるいは寺院単独で参加者を募って参拝団を組織してお参りする、いわゆる「団参」のご門徒で本山境内は大賑わい。当地方からはバス団参で日帰りも可能ですが、北海道など遠隔地からの団参の企画・実施はさぞかし大変なことでしょう。
さて、話を当山が所属する「名古屋教区」「第2組」「北部小会」に戻しましょう。北部小会所属の10ヵ寺は、毎年勤められる報恩講にお互いにお参り相することが慣例となっております。10月から翌年3月までの半年間に、各寺が定めた月日の報恩講に出仕させて戴くことになっています。当山了願寺では、毎年12月4日~5日の2日間の日程で報恩講を勤修させて戴いております。
当山の報恩講勤修来し方を見てみますと、まさに今昔の感一入。「老人はすぐ古い話を持ち出すんだから…」とのご批判もありましょうが、後々のためにあえてここに書き留めておきましょう。報恩講勤修の準備第1は本堂のお掃除。今はお庫裡さん(名古屋弁で住職の妻)が内陣の床をダスキンのモップで拭いていますが、私は子どもの頃から四つん這いになって雑巾掛けをしたものです。
掃除が済むと内陣の荘厳を報恩講用に。先ずは中尊(阿弥陀仏)前卓の打敷・水引の設えから。作業の手順としては最初に水引。水引は報恩講等の重大法要にのみ依用するもので、前卓天板下に木枠を組み、卓の胴を巻きます。その上に打敷を覆い掛けます。打敷は、方形の裂を前後左右相似に耳が垂れ、正面中央に角が大きく垂れるようにセット。いわば方形の裂を45°回転した形。裂地は金襴、緞子、綾、錦等。絹地に花鳥や諸種の文様を刺繍したものも。須弥壇上の上卓にも打敷を掛けて完了。
次に祖師前の打敷。祖師とは、いうまでもなく宗祖親鸞聖人。内陣中央の中尊に向かって右奥須弥壇上の厨子には、宗祖親鸞聖人の絵像が安置されています。須弥壇の前の壇上には前卓。この前卓に打敷を掛けます。前卓の大きさは、中尊前卓の約70%ほどでしょうか、作業も比較的楽。仏具を下ろして打敷を掛けます。何せ報恩講は祖師親鸞聖人の恩徳を謝す法要ですので、真心をこめて拵えをさせて戴きます。なお、平生は中尊前も祖師前も打敷は掛けないのが当派の作法。
今一つ重要な内陣拵えは南餘間。南餘間は中尊を中心とした内陣の左(南)に隣接の間。幅2間、奥行き3間余の大きさ。正面壇上には掛け軸。平生は、当山の開基や前住職、前坊守等の法名軸が掛けられていますが、報恩講期間中は親鸞聖人の「繪傳」4幅の掛け軸に掛け替えます。絵伝は、本願寺第三代の覚如上人が述作された親鸞聖人のご生涯を絵師に描かせたもの。後に、その詞書のみを別に抜き出したのが報恩講に拝読する『御傳鈔』。当山の絵伝は1714(正徳4)年、今から300年ほど前に本山より下付されたもの。
さて、本堂内陣の掃除、設えが一段落したところで次の課題は「立花」と「お華束」。立花は仏前に供える仏華。普通の生花や盛花、投げ入れ等とは趣を異にした、いわゆる立花形式の挿し方が正式とのこと。ご門徒の中にこの道のベテランが3人ほどいらっしゃって、報恩講の数日前から準備に入られます。先ずは小松の小枝を切り出しに近くの山へ。“ビク”に4杯ほど小枝を持ち帰られたことを記憶しています。
翌日から南餘間隣接の“花部屋”で花立て作業開始。松の小枝を用途先に合わせて加工。小枝の切り口に糸針金を巻き付け錐で穴を開けて相釘を差し込み、しかるべきところへ相釘を差し込んで組み付けます。そもそもこの仏華、生い立ちは池坊流とのこと。そういえばお仕事中に、「眞」とか「見越」とか「受」などという言葉が飛び交っていましたっけ。最後に水仙とか菊などの色花を挿し交ぜ完了。1960(昭和35)年代まで、こういった方式でお尽くし戴けたかと思います。
【次号へ続】く
合 掌
《2018/3/3前住職・本田眞哉・記》