法 話

(205)「教化伝道(3)」

 

 

大府市S・E氏提供

 

報恩講(2)



 

当山年間最大の仏事・報恩講には、お華束( け そく)をお供えします。お華束とは、お餅のお飾り。これまたご門徒のご奉仕のもと毎年々々続けられてきました。確か1960(昭和35)年ごろまで続いていたかと思います。報恩講の34日前、早朝6時ごろに(かまど)の担当の方がいらして、薪に着火。大きなお釜の上に餅米を入れた(せい)()5段ほど積み上げて蒸気の上がるのを待ちます。どんどん薪をくべ火力を増強。蒸気が勢いよく噴き出したころ餅つき担当の方が来山。

石臼や杵を熱湯で暖め、いよいよペッタンコ開始。1人が4段の蒸籠を持ち上げ、もう1人が最下段の蒸籠をお釜からはずして石臼の上で反転し、蒸し上がった餅米を一気に石臼の中へ。餅つきは大変な作業。私も一臼搗きましたが、ヘトヘト。搗きあがった餅を、餅取り粉を敷いたのし板に移して次の作業。のし棒を使って平に延ばします。厚さ8㎜ほどになるまで均等に圧延。この延べ餅を直径40㎜ほどの円形刃筒で型抜き。お華束素材の丸餅4,000個のできあがり。これを番重に並べ硬化を待ちます。

12日後、適度に硬化した丸餅を荘厳用具に飾り付けます。まず下ごしらえとして、長さ約30㎝、直径4㎜ほどの竹串に丸餅を刺します。30個ほどの丸餅を文字どおり“団子刺し”して1本できあがり。これが1飾りに10本必要。お華束は、中尊(本尊)前に6飾り、祖師(親鸞聖人)前に4飾り、合計10飾りお供えしますので、この串刺し餅を100本作らなければなりません。しかし、常連の奉仕隊が手際よく進めますので、それほど時間は要しません。

次は、基盤に直立する直径9㎝ほどの丸太に出来上がった串刺し餅を巻き付ける作業。まず#34の糸針金を丸餅の上から5段目ほどの間に挟み込み、串刺し餅10本をつるべ、脱落しないように気をつけて丸太に巻き付け、糸針金を締めて固定。次に、下から5段目ほどの間にも糸針金を挟み込み、10本の串を束ねる要領で締め付けます。丸太を中心に直立した10本が均等に円形に配置されるように調整。あと9飾りも同様な手順で進め、一連の作業は終了。

ホッとする間もなく次の作業に取りかかります。それお華束の“須彌(しゅ み )飾り”。「エッ!須彌って何?」とのお声も…。いささか長くなりますが、私なりの“解説”を試みてみましょう。そもそも須彌飾りの須彌は「須彌(しゅ み )(せん)」(梵語のSumeru)からきています。しからば須彌山とは? 日本語では「妙高山・妙光山」と訳され、仏教の宇宙観で世界の中心にそびえ立つ高山のこと。

仏教の宇宙観では、虚空に160万由旬の風輪があり、その上に厚さ80万由旬の水輪、さらに厚さ32万由旬の金輪があって、表面は厚さ8万由旬の海水で覆われており、その中央に須彌山があるという。周囲を持雙・持軸・(えん)(ぼく)・善見・馬耳・象鼻・()(みん)(だつ)()の七金山が囲み、最も外側には鉄囲山(てっちせん)があって、山と山との間は海であることから、総称して九山八海。山と海の幅はそれぞれ8万由旬で、尼民達羅山の間の四大海水の中に、東・勝身洲、南・贍部(ぜんぶ)洲、西・()()倶蘆(くる)洲の四大洲があり、人類が居住する所は、閻浮提(えんぶだい)ともいわれる部洲。

21世紀を生きる我々の宇宙観とは趣を異にしていますので、ピンと来ないかと思いますが、要は宇宙の中心に須彌山があるということなのでしょう。その須彌山をかたどって作られたのが「須彌壇(しゅみだん)」。形は四角・八角・円形などあるようですが、当派においては、四角を依用しています。下から壇を(うえ)(すぼ)みに数段積み上げたところに仏国を象徴する彫りもの。再び壇を積み上げますが、今度は上広がり。数段積み上げて天板に至り、天板上三方に高欄を設けます。

当山の本尊・阿弥陀如来は須彌壇上の蓮座に奉安されています。そして、わが浄土真宗の開祖・親鸞聖人の御影を奉安した御厨子(おずし)や、当派第8代蓮如上人の御影をお掛けした御厨子も須彌壇上に安置されています。この須彌壇、寺院のみならず各ご家庭でもお馴染み。お内仏(お仏壇)正面に、ご本尊阿弥陀如来のお仏像あるいはご影像が安置されています。仏華や香炉やローソク立てが乗っかった前卓があって見えにくいかも知れませんが、奥に須彌山をかたどった須彌壇があります。

須彌山談義が長くなってしまい失礼、話をお華束の須彌飾りに戻しましょう。須弥飾りは、串刺しの餅を巻き付けた丸太の上にお華束の丸餅を須弥壇状に積み上げます。小・中・大と径の異なる丸餅に串を横に刺し、小から大へと上広がりに積み上げ中板を置く。中板上にみかんを円形に並べ置きその上にもう一枚中板。再び丸餅を数段積み上げます。最後は上窄みに積み上げ、中心頂点に大みかん1個を置いて積み上げ完了。そして仕上げは彩色。下部に小餅5個分の幅の帯を下から白、藍、白、紅、白、藍の順に食紅で描きます。

かくして出来上がった10飾りのお華束は見事。金に赤裏の「(ほう)(だて)」を立てた「金供笥(くげ)」に1飾りずつ盛ってお供えします。中尊前は、須彌壇上向かって左側に3飾り、右側に3飾り計6飾りをお供えします。祖師前は、須彌壇上お厨子の左右2飾りずつ計4飾りを、中尊前同様に金供笥に盛ってお供え。お華束1飾りの重さは10㎏余。高所の金供笥に盛るには相当の体力を要します。飾り終わってヤレヤレ。外陣(げじん)に座って両尊前のお華束を拝見すると実に見事。藍・赤・白・橙の色が内陣の照明に照らし出されて実に鮮やか。

そうそう、外陣についていささか説明を加えましょう。当山本堂の様式は、向拝(ごはい)の階段を上がって先ず「大間(だい ま )」に入室。大間は一般参詣者が座る畳敷きの大広間。大間より7㎝ほどの段差上に、奥行き1間幅7間の畳敷きの「外陣( げ じん)」があります。さらに30㎝ほど高い位置に板張りの「内陣(ないじん)」。内陣は、正面中心の幅3間奥行き3間の「本間(ほんま)」と、北・南「餘間(よま)」で構成されています。向かって右が「北餘間」、左が「南餘間」。いずれも幅2間奥行き3間で、床面は本間より9㎝落ち。

報恩講で特別の荘厳をするのは南餘間。日常は、開基(かいき)と前住職等の法名軸を奉安。因みに、当山の開基は大永21522)年住職となった良空法師。天台宗から真宗に改宗し寺号も「歸命寺」から「了願寺」と改称。報恩講では、法名軸を取り外し「親鸞聖人繪傳」4幅をお掛けします。この繪傳、第6代任誓住職の延享(1700)年代に本山より下付されています。文字どおり絵解き伝記ですが、文字で伝えられているのが『御傳鈔( ご でんしょう)』。報恩講の法要ではこの巻物の御傳鈔を独特の節を付けて拝読します。

以上、報恩講の内陣(こしら)えの重要ポイントをピック・アップさせて戴きましたが、もう一点日常の荘厳と異なる、報恩講独特の荘厳作法に触れておきましょう。それは「お()()さん」「お(ぶっ)(ぱん)」。当派では、厳密にいえば「佛供」と「(えい)()」。本尊阿彌陀佛にお供えするのは佛供、祖師(親鸞聖人)前や御代(本願寺前代々上人)前にお供えするのは影供。祖師や代々上人は「佛」でなく、奉安されているのはそれぞれの御影(肖像)だから、ということでしょう。

当派の佛供・影供は、白飯を円筒形の(がた)によそって、木製のピストンを押し下げて円柱状に成形したもの。なお、円柱の天端が面取りされているのが理想的。これは、円形ビストンの押す面を円形に彫り込むことによって可能。しかし、報恩講で祖師前にお供えする影供は、これらとは大きさも形も型も全く異質。影供の大きさは、上部直径は165㎜、下部直径は140㎜余、高さは約140㎜。4分割できる木彫りの型に約1升の炊きたての白飯を盛り込み、しっかり押し固めて佛器の上に立て、木型を外すと上広がり下窄みのずんぐりしたスタイルの影供が出来上がります。これを祖師前にお供えします。時恰も報恩講勤修お知らせの梵鐘が鳴り響きます。 

【次号へ続く】

合 掌 

《2018/4/3前住職・本田眞哉・記

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