法 話

(207)「教化伝道(5)」

 

 

大府市S・E氏提供

 

掲示伝道

 
 「教化伝道」の項も第5項となりました。この項は「掲示伝道」というアイテムについて気の向くままに雑記してみたいと思います。いわゆる「お寺の掲示板」とも呼ばれているもので、宗旨・宗派を問わず古くから受け継ぎ伝えられている、教えを伝え弘めるための一手法。古くは、黒漆塗(くろうるしぬ)りの板に白墨(しろずみ)で法語を揮毫(きごう)して、山門脇の木枠に嵌め込んで掲示する方法でした。

 わが真宗大谷派の本山・東本願寺にもそうした方式の掲示板が見受けられます。京都・烏丸通りに面した御影堂門(ごえいどうもん)、道路を隔てた蓮の噴水辺りから見ると、向かって左側に法語掲示板が眼に入ります。御影堂門本体南に隣接する、一般寺院の袖塀に当たる小舎の道路側の外面に設けられています。200㎝☓300㎝はあろうかと思われる大きな木枠の中に法語を掲出。


 白墨で法語を揮毫した黒塗りの板数枚を木枠にセット。1980(昭和55)年代に上山したときの法語は、確か「一切(いっさい)有情(うじょう)は みなもって 世々(せせ)生々(しょうじょう)の 父母(ぶも)兄弟なり」であったかと思います。これは親鸞聖人の直弟子・(ゆい)円坊(えんぼう)の作と伝えられている
歎異抄(たんにしょう)』第五段の中にある言葉。で、その意味はとお尋ねのムキもおありかと思いますが、この言葉の前段に次の言葉があることにまず注視しなければなりません。

 「親鸞は父母(ぶも)孝養(きょうよう)のためとて、一返(いっぺっん)にても念仏もうしたること、いまだそうらわず。そのゆえは、一切の…」。この前段も含めて唯円坊が受け止められた親鸞聖人のお言葉を私なりの解釈で以下に記しましょう。

 「親鸞は、亡くなった父母の追善(ついぜん)供養(くよう)のために念仏したことは一返もありません。なぜなら、生きとし生けるものは、すべて遠い過去から現在までくり返し、くり返し何度となく生まれ変わり生き変わり、すべてがつながっているものであるから。時には父母となり、時には兄弟姉妹となって、いのちあるものすべてが家族のような存在だからです」と聖人は述懐されたとのこと。

 一方、東本願寺のホームページには、「東本願寺の東側、烏丸通に面したお堀沿いの芝生に、『法語行灯(あんどん)』が設置されています。京都市内では初となるソーラー電源を使用し、環境にも配慮しています。それぞれの行灯には、宗祖(しゅうそ)親鸞(しんらん)聖人(しょうにん)七百五十回御遠忌(ごえんき)のテーマ、親しみやすい法語等が掲示されています」との記事が掲載されています。添付された写真に依れば、行灯は高さが約130㎝、幅が4050㎝ほどの角柱型で、ガラス張りの側面に文字を掲示する形式と見受けられます。そして、天辺にはソーラー発電パネル。

 写真の行灯には、宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌のテーマ「今、いのちが あなたを生きている」のキャッチコピー。また、ネット上の「region404さんのブログ」には「人生が行き詰まるのではない 自分の思いが行き詰まるのだ」(安田理深先生)の法語行灯の写真が掲載されています。本願寺境内地の烏丸通り側の距離は約400メートル余。その歩道沿いの芝生に法語行灯が数基設置されていることが窺えます。この行灯、一般寺院においても教化伝道の新しいアイテムになるかも。

 
「それはそうと、了願寺の掲示伝道はどうなっているんだ」とのお声も。失礼しました。もちろん掲示伝道は継続的に実施しております。当山の教化事業6本柱(報恩講・永代経・同朋会・寺報『受教』・掲示伝道・ホームページ)の一つとして。住職就任以来懸案となっていた掲示板の設置が1986(昭和61)年実現の運びに。以後の経過は、当山が所属する名古屋教区第2組の広報紙『出遇い』第19号「お寺の掲示板」欄に出稿した〝掲示板生い立ち来歴物語〟に綴っておきました。ご笑覧いただければ幸甚です。

合掌  2018/6/1


以下は名古屋教区第2組広報紙『出遇い』2018/4/1発行・縦書き)掲載の拙稿

山門前に初代伝道掲示板が設置されたのは一九八六年。小牧市で店内外装飾の会社を営むご門徒の年回法要の折り、法語を掲示する伝道掲示板の作製を依頼しました。掲示板は、公道より一㍍ほど高い門前、石段横に設置したい旨お話ししたところ、社長は「ええ、やらせていただきます。資材代や工賃、出張設置代も全て寄付させていただきます」と快諾。感謝、感謝。

二ヶ月後工事開始。コンクリート・ブロックの基礎の上に、一五〇㎝×九〇㎝×二〇㎝、蛍光灯付きの本体を乗せて完成。しかし、公道のセット・バックのため八年後に撤去。

二代目は既製品。屋根幅一八〇㎝、掲示面幅一三五㎝。フレーム上部に山号・寺号・寺紋の額を(しつら)えたブロンズ色アルミ製。これも前出の社長が寄付して下さいましたが、山門建て替え工事で目下休眠中。

一方二〇〇〇年、当山西方六㎞の名鉄巽ヶ丘駅東、東ヶ丘団地直近の道路沿いに、山門前と同型の掲示板を新設しました。測量会社を経営する中・高の同級生より、用地の提供を受けて実現。

彼の訃もあってこの掲示板は二〇一二年に里帰り。折しも、参道隣地を取得することができ、第三駐車場を新設。その片隅に里帰り掲示板を移設。ソーラー発電パネルを付加して蛍光灯の電源に。

以上〝掲示板生い立ち来歴物語〟のお粗末。本論にかえり、肝心要はいうまでもなく掲示する「法語」。聖教を紐解く中で琴線に触れた言葉、ハッと気づかされた文言を掲げるように努めています。

が、なかなかそういったご縁は稀。そこで、勢い『(かおり)』や『掲示伝道集』 等からの引用ということに。また、『真宗大谷派手帳』の各頁余白に記されている法語も活用(失礼!)させていただいております。

こうして選んだ法語を揮毫します。用紙は一〇九㎝×六五㎝、B紙の変形。報恩講・維持振興会などのお知らせがある場合は、横幅を八一㎝とし、空白の部分に、二八㎝×六五㎝の法要・行事案内を掲出。

この用紙に特大ダルマ筆で一気に揮毫。一度に五十枚ほど書きますが、床に広げた用紙に膝をついた姿勢で書くので、かなり体力を要します。途中休憩を入れますが、書き終えるとヘトヘト。

しかし、掲示板の前で足を止めてメモを取られる方、意味を尋ねて来訪される方がいらっしゃったりすると、(ねぎら)われる思いです。第三駐車場掲示の法語は「明るい人は 素晴らしい 悩んでいる人は 尊い」。「悪人正機」を想起させるパラドックス的表現で心に突き刺さる響き。しかし、法語の受け止め方や感じ方は人それぞれ。生活用語から〝(かおり)〟が感受できるか、否か。拙いコメントはこのあたりで…。

合掌    2018/3/1

《2018/6/3前住職・本田眞哉・記

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