法 話

(208)「教化伝道(6)」

 

 

大府市S・E氏提供

 

 

東浦同朋会(1)






 当山の重要な教化伝道事業の一つに「東浦同朋会」があります。前号でも触れました当山の教化事業6本柱(報恩講・永代経・同朋会・寺報『受教』・掲示伝道・ホームページ)の一つ。同朋会は年6回(2月、3月、6月、7月、8月、10月)例会を開催。因みに、現在例会の法話は住職または前住職が担当。8月例会は午前・午後の日程で、法話は外部講師。総会は、12月勤修の報恩講初日の午前に開き、役員改選・事業報告・決算報告を議題として審議・議決。議事のあと外部講師による法話を拝聴。

 東浦同朋会は去る3月に第300回記念例会を迎えることができました。そして6月は301回、今月(7月)は第302回をカウントすることになります。細々ながらもよく続いたものだなぁ…と、自己満足。単純に計算すると、300÷6=50(年)ということになります。そう、発足以来ザッと50年が経過。古い記録を紐解いてみますと(チト大袈裟?)結成式は1966(昭和41)年122日。発足当初は開催月にバラツキがあったり、本堂修復工事中はお休みしたりして年数がピタリ合いませんが、50余年間会が継続していることには間違いありません。

 1965(昭和40)年10月発行の当山寺報『受教』№16の「同朋会いよいよ結成へ」と題する記事をここに再録してみましょう。結成の趣旨ならびに誕生の経緯がお分かりいただけるかと…。

    本紙上においても度々報じてまいりましたように、真宗大谷派に於きましては、去る昭和36年の親鸞聖人七百回御遠忌を勝縁として、真宗同朋会運動が発足しました。この運動は、いわば真宗信仰の回復運動であります。危機にさらされた人間の本来にたちかえる運動であります。本来、宗教の信仰とはわれわれ人間の存立を襲う危機をいかに超えるかに関わるものであります。

この危機を回避しようと試みる種々の人間の営みもありますが、宗教、真の宗教とはむしろこの危機を克服する道を示すものといわねばなりません。そういった意味で、私自身の私自身の宗教として、仏法の教えを聞き開くこの運動は全国に繰り広げられて参りました。

この知多半島は、そのモデル地区として特に本山より指定を受け、昨年来各所でその中心になる人々(推進員)に教習を受けていただきました。当東浦地区に於きましては、本年1965(昭和402月に当寺に於いて、9月には藤江の専正寺様に於いて、本山より講師が特派されて特別伝道が行われました。

その折りに、当地区でも「同朋会」を結成しようとのご提案がありました。それを受けて、去る928日、両地区の推進員が集まり、結成準備会を開きました。その結果、一面のような要項(原案)で会員を募集することになりました。是非1人でも多く入会していただきますようお願いします。

 この資料からお分かりのように、寺単位でなく地区・地域を基に教化伝道の輪を広げるという、本山・教区の方針に基づいて同朋会が生まれたのです。当東浦町には、藤江地区に専正寺様、緒川地区に当山・了願寺の2ヵ寺があります。従って、同朋会は両寺合同でということになり、ネーミングも「東浦同朋会」となった次第。記憶が定かではありませんが、以後しばらく両会の交流があったかと思いますが、現在はそれぞれの活動となっております。

 講師については、発足当初は教区派遣の講師や近隣の外部講師に法話をしていただきましたが、1966(昭和41)年10月の第6回からは大谷登師に継続して出講いただきました。しかし、2004(平成16)年6月の217回からは大谷登師が病気のためご来駕戴けなくなり、住職が法話をしなければならなくなりました。むかし学習した資料を引っ張り出したり、聖典を読み直したり、法話の「教案」を作るのが大変でした。23日前から学習し直し。おかげで今まで気づかなかった法語に胸を打たれることもあり、いい勉強ができました。

 住職を長男にバトンタッチしてからは、新住職が法話を担当。私は前座でミニ法話。例会の次第は発足当初と変わりなく、先ず勤行。勤行は「正信偈・同朋奉讃」を参会者全員で声高らかに唱和。続いて「ミニ法話」。10分ほど休憩して「法話」。法話は、途中休憩を挟んで、約100分。その後で「座談会」。話題は、経典の語句の意味についての質問や、お内仏の給仕についてのお訊ね等々。そうした質問等から話が発展して新しいテーマが生まれ、議論が盛り上がることも。

 昔から、浄土真宗といえば「説教」、「説教」といえば本願寺。他の宗派のキーワードは「戒律」「修行」。その「説教」、私の脳裏に浮かぶ光景は。本堂内、正面「内陣」から一段下りた「外陣」。本尊ご安置の正面を嫌ってやや左の外陣に「高座」を設え、説教師はこの高座に上って説教をする。高座は980方形、高さ580 。座面は半畳の畳敷き。説教師はこの高座に上がって声高らかに説教をします。原稿もなければマイクもなし。もちろん黒板もチョークもありません。声量と語りかけで聴衆に信心開発を訴えます。

 了願寺においても、太平洋戦争の戦況が悪化する頃までは高座説教が行われていました。使われていない高座が今でも本堂の片隅に静かに眠っています。時代も移り変わって、こうした法縁の光景を思い起こすことのできる方は稀でしょう。記憶を記録に残すことで、次世代の方々に受け継ぎ伝えることができればと、老婆心ながら筆を染めた次第。現在は、同朋会はもちろん、報恩講・永代経法要においても髙座は使わず、説教卓と椅子の設えで法話をしていただいております。もちろん、黒(白)板とチョーク(フエルトペン)は必須。

合掌   

2018/7/3前住職・本田眞哉・記

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