法 話
(213)「教化伝道(11)」
大府市S・E氏提供 |
大法要勤修の歩み(3)
【前号の続き】楽終わって柄香炉を左脇机に置く。ここで焼香。先ず両手を両膝の上に置いてから上体を起こし、念珠を持った左手を前卓の左側に掛け、次に右手で香盒の蓋を右側にとります。焼香二撮して香の乱れを直して香盒の蓋をし、左に置かれた香炉の蓋もして、右手を引き左手を引きつつ着座。次に前机に置かれた経匣の蓋を両手で外し、手前から弧を描くように匣の右側に置きます。匣の中から右手を主に左手を添えて表白を引き出し、匣の手前に少し掛けて置きます。
両手を一旦両膝上に戻して、次は「三礼」。左手で脇机上の柄香炉の柄の中央を握り、これを膝の上少し離して保持。右手で磬撥の紐と金具のところを母指と四指で撮んで磬台からはずして、膝上の香炉の柄の上中央に交差し、左手の母指で押さえ、右手で撥の紐を三つ折りにして柄とともに握ります。撥の玉を右膝の斜め前に軽く撞き、左の膝を立て磬を一打。撥を元の位置に撞き「一切恭敬」と鼻音で唱え、両膝を立てて蹲踞の姿勢になり、また磬一打。
打ち終わって撥を右膝頭斜め前に置く。右手を柄香炉に持ち添え、蹲踞のままで「自帰依仏」と唱える。次に立ち上がりながら「当願衆生」と唱えて直立し、本尊を瞻仰。少し頭を下げ、「体解大道 発無上意」と唱えながら蹲踞の姿勢に戻る。次に、そのまま「自帰依法」と唱え、立ち上がりながら「当願衆生」と唱えて直立し、前と同様に「深入経蔵 智慧如海」と唱えながら蹲踞の姿勢に戻る。最後は、「自帰依僧」と唱え「当願衆生 統理大衆 一切無碍」と唱えながら同様の所作を行います。
蹲踞のまま置いてある撥の柄と紐を握って磬を一打し、軽く撥をついて座り、撥を磬台の奥の脚の内側に立て掛け置きます。以上が、仏・法・僧の三宝に帰依することを登高座作法でその決意を表す「三礼」。ところで、「磬」とは? 鳴り物仏具の一つで、文字が示すように古来は石製。当派の磬は鋳銅製。礼盤の右横に設えた磬台に紐で吊り下げて、撥で鳴らします。磬台はといえば、例えが悪いかもしれませんが、衝立の枠だけといったらよろしいか、横幅55㎝×高さ70㎝ほどの大きさで、上框は曲線。
因みに、「磬は古来石製」そう、当山にも石製の磬があったことを思い出しました。といっても格別古いものではありません。1943(昭和18)年2月、「金属回収令」(昭和16年9月 施行)によって金属製の磬は兵器製造のために供出したのです。代わって石製の磬が支給されました。板状節理でできた厚さ2㎝ほどの石、鉄平石でしょうか。その石の上部に二つの穴を開け、紐で磬台に吊り下げました。叩いてみると、余韻はありませんが、意外と澄んだ音色が響いたことを覚えています。
金属回収といえば、磬は供出仏具の中のほんのひと欠片。19 42(昭和17)年5 月には寺院の梵鐘、仏具等にも供出命令が出されました。本堂内陣の仏具、花瓶と香炉と鶴亀の燭台〝三つ具足〟といわれる真鍮製仏具の三点セット。これが5セットありましたが全てお国のために献納。そのほか、御傳鈔拝読の折に依用する真鍮製の燭台や仏飯器なども、軍艦や高射砲などの兵器を作るために半強制的に供出させられました。代用品として陶器製の仏具が届きました。黒色あり、青磁色あり文字どおり色々でしたが、大きさは真鍮製とほぼ同等。以後、20年ほど代用品を使い続けました。
金属回収の最大のものは梵鐘。刻銘によれば、供出した梵鐘は1768(明和5)年に鋳造。今から250年前、当時では175年前。口径2尺5寸、丈4尺、重量96貫。海抜10㍍の海岸段丘の突端に建つ鐘楼に吊されたこの梵鐘は、175年に亘りその梵音を眼下の人々の耳に心に響かせたことでしょう。不本意ながら今その使命を終わろうとしています。時に1943(昭和18)年2月19日、鐘楼石垣上に荘厳段を設え「梵鐘仏具献納報告法要」が営まれたと記録されています。私の脳裏には、鐘楼から降ろされた梵鐘が牛車に載せられて遠ざかって行く姿が刻まれています。
ところで、「金属回収令」というフレーズに始めて出会われた方もいらっしゃるかも。以下はシニア世代の体験からの愚説。この金属回収令の摘要は梵鐘・仏具のみならず、一般家庭の金属製日常用品も対象とされ、供出を余儀なくされました。我が家でも千徳火鉢や鉄瓶を供出した記憶が甦ります。一般家庭からの金属回収率はかなり高かった模様。町内会や職場での「国民精神総動員運動」がその背景にあったと思われます。いわゆる「隣保班」の緊密な人間関係のなか、牽制意識が高回収率に繋がったのではないでしょうか。
話が脱線に脱線を重ね、失礼。本論に戻りましょう。さて、三礼終わって導師は柄香炉を左手で脇机の元の位置に置きます。次に数珠を持ったままで威儀を正し、前机の経函から「表白」を取り出し磬二打して拝読を始め、拝読終わって磬一打。撥を磬台の折れ釘に掛けます。次、伽陀「先請弥陀」。伽陀中に係役が登高座前机の表白と御経を入れ替え法中に配経。次、御経「仏説無量寿経」音木是有。次、伽陀「萬行倶廻」、伽陀二句目で導師は経匣の無量寿経と阿弥陀経を上下入れ替える。係役は法中の御経を撤経。
次、賦華籠楽。三管揃って華籠を法中に配ります。華籠とは、散華する葩を盛る真鍮製の皿。賦華籠は華やかな衣装に身を包んだ役稚児のお役目。配り終わって丁寧にお辞儀をして後堂へ退出。入れ代わって別の役稚児が内陣に入り法中の「草鞋直し」。出仕の折、竪畳に向かって脱いだ草鞋を両手で180°回転するお仕事。全て完了したことを見届けて式事が喚鐘で合図して楽止め。次、御経「漢音阿弥陀経」。導師の調声「仏説阿弥陀経」で始経。二句目の調声「舎利弗」のあと導師は礼盤より下り、草鞋を履いて直立。式事のサポートのもと、役稚児が華籠を導師に渡します。
このタイミングで法中全員が中啓を懐深く挿し、華籠を両手で持ちながら起立し竪畳から降りて草鞋を履く。いよいよ法要のクライマックス「行道散華」の始まりです。導師は華籠を受けとった後、左を向き御代前側へと歩を運びます。御代前側の出仕者は順次導師の後に従って歩き出します。列は後門を経て祖師前へ。右に転じて参詣者を正面に見て歩を進めるなか、祖師前に立列する法中は順次その列の間に加わっていきます。導師を先頭にして列は右回りに内陣を進行。これを「右繞」といいます。
中尊(本尊・阿弥陀如来)前を横切るときは、立ち止まらずにただ頭礼のみ。導師が中尊前に差し掛かって「散華」します。法中もそれに倣って散華。散華の葩は、蓮の花びらを模した80㎜☓65㎜ほどの中厚紙製。導師はじめ法中の華籠にこの葩6枚を3放射状にして計18枚を予め盛っておきます。複数回右繞し、後門を通過するとき式事が葩を補充。特大ローソクの炎が揺らめくなか、楽の音をバックに進む行道列。金箔・漆で荘厳された内陣を巡る黄菊色や栗皮色の法衣に舞う葩…。
さらに後門で役稚児が加わり、行道列は餘間へと拡大。本堂内陣・餘間七間幅に及ぶ法要絵巻に参詣席からは感動の声。つい法中も雰囲気に呑まれ、参詣席に向けて散華する姿も。その後役稚児が列を離れ、行道列は内陣回りとなり最終段階。導師が礼盤前で歩を止め本尊を瞻仰。法中はその後を通って自席の前に立列。係役が導師の華籠を徹し、導師が礼盤に登るのを見合わせて、左右内陣法中は草鞋を脱ぎ後退して着座。中啓を襟より抜き、華籠を下手に置き、撤賦華籠楽兼下高座楽で華籠を両手で役稚児に返します。導師は下高座。式事楽止めの合図。
次、伽陀「若聞此法」。伽陀中に係役が中尊前・祖師前の蠟燭取替。次、総礼(合掌)。次、正信偈(親鸞聖人・作)草四句目下 堂内全員で唱和。念仏讃 淘八 和讃 三朝浄土の大師等 次第三首。 次 廻向 願以此功徳。 次、総礼。 次、退出楽 退出。行道散華の後、上記差定で勤行をお勤めし、堂内は落ち着いた雰囲気に立ち返りました。以上にて御遠忌大法要はTHE END。
《2018/12/3前住職・本田眞哉・記》