法 話

(214)「光明無量」

 

 


  

光明無量(こうみょうむりょう)

 


 2019年は()年。詳しくは、干支(えと)の繰り合わせから(つちのと)()の年。もともと干支というのは十干(じっかん)と十二支を組み合わせたもの。「十干」とは、(きのえ)(きのと)(ひのえ)(ひのと)(つちのえ)(つちのと)(かのえ)(かのと)(みずのえ)(みずのと)

 「十二支」とは、()()()()()()()()()(10)(11)(12)。この十干と十二支を順番に1つずつ組合わせたものが干支になるのです。例えば、甲と子を組み合わせると、甲子(きのえね)。音読みすると「甲子(こうし)」になります。高校野球で有名な「甲子園(こうしえん)」は1924(大正13)年・「甲子(きのえね)」の年に造られたことから命名されたとのこと。

  さて、『仏説無量寿経』には、阿弥陀仏がまだ法蔵菩薩として修行していた因位のころ、仏になる条件として四十八の誓いの願を建てられました。その第十二番目、第十二願が「光明無量の願」。「光明」とは、佛・菩薩などの身から発する光のことで、迷いの闇を破り願を満たす功徳を表します。阿弥陀佛の発する光は「智慧の光明」といい、限りあることなく十方世界を照らす無量の光なのです。

 一方、第十三願は「寿命無量の願」。両願を併せて「光寿無量の願」といいます。真宗門徒が伝統的な日常勤行で依用するお聖教に『正信念仏偈正信偈(しょうしんげ))』があります。その第一句が「帰命無量寿如来」、そして第二句目が「南無不可思議光」。正信偈の現代語版「正信讃」ではそれぞれ「つきせぬいのちの ほとけに帰命し」「はてなきひかりの ほとけに帰命す」と著されています。

 法蔵菩薩は、国中の人天悉くはてなき光に照らされて仏の智慧に出遇って欲しいという前記「光明無量の願」を建てられたのです。その願が成就できなければ、法蔵菩薩・自分は仏にならないと誓われたのです。そしてその願成就し、法蔵菩薩は阿弥陀仏となられました。その結果、私たちは人知でカウントできない不可思議な、限りない仏の光に照らされているのです。ただ、そのことに私たちは気づいていないのです。南無する、帰命することによって感得できる世界ではないでしょうか。

 成就した願は衆生に「南無阿弥陀仏」の名号として廻施されたのです。この名号、その語源はサンスクリットの Namo Amitābha Amitāyus BuddhaNamo(南無) A(否) mitā(限り) bha(光) yus(寿) Buddha(仏)。英訳では、「 Amitābha means "Infinite Light", and Amitāyus means "Infinite Life" so Amitābha is also called "The Buddha of Immeasurable Light and Life"」。

 干支の第十二番目の「亥」に、尊い阿弥陀仏の第十二番目の願「光明無量の願」を引き合いに出し、加えて第十三「寿命無量の願」も引用して私見を述べさせていただきましたこと,失礼千万とお叱りを受けるか、と。ご批判はごもっとも、甘受させていただきます。ご笑殺ください。

合掌

2019/1/3前住職・本田眞哉・記

  to index