法 話
(228)「2月29日」
大府市S・E氏提供 |
閏年
先日、亡くなられたご主人の三十三回忌法要をご門徒宅で勤めさせていただきました。お内仏の脇には本山・東本願寺から下付された院号法名が掲げられていました。中央に「法名 香音院 釋文英」と揮毫。そして「昭和六十三年」「二月二十九日」と二行の細字で命日が記されていました。エッ、二月二十九日? そう、この年は閏年だったのです。住職・前住職として60年余に亘って法務に携わってきた私ですが、二月二十九日に命終されたご門徒の葬儀を執り行ったケースは至極稀。
そうそう、今年2020(令和2)年は閏年ですね。閏年はいつ巡ってくるのか、言わずもがな4年に一度巡ってきます。具体的には西暦年号が4で割り切れる年。従って前述の昭和六十三年は西暦1988年。2020年も電卓を叩くまでもなく4で割り切れます。ならば、4で割り切れる閏年はこの先いつまでも同様に巡ってくるということでしょうか。書斎の書棚から小学館発行の『日本百科大事典』を引っ張り出して調べてみました。すると、「400年に3回の割でこれを除く」とのこと。その除外される年とは、100の倍数になる年の中の400で割り切れない年。例えば、2100年2200年2300年は平年。2400年は閏年という塩梅。
この閏年の基は「太陽暦」。正確には「グレゴリオ暦」。いうまでもなく地球は太陽を中心にして回っています。その公転一周期を1年365日としています。しかし厳密にいえば365.24219日。この小数点以下の端数をどう処理するかが問題。この端数0.24219日の4年分合計0.96876日を1日と見做して平年に加え閏年366日を設定。0.96876日を時間に換算すると23.25時間。1日24時間との間には45分のずれが発生することに。前に触れた除外される年で更なる微調整がはかられるということでしょうか。
ところで、2月29日の誕生日はどんな扱いになるのでしょう。ネット上でも話題になっているようです。年をとるのが4年に一回?まさか。「年齢計算ニ関スル法律」では、閏年生まれの人の年齢が加算されるタイミングは次のようです。
① 生まれた日の前日(28日)が終了する24:00時=29日の0時(平年)。
② 生まれた日の当日(29日)が終了する24:00時=3月1日の0時(閏年)
したがって平年3月1日生まれの人と閏年29日生まれの人の誕生日は同じになるということでしょうか。蛇足ながら閏年2月29日生まれの人は出生届を出す場合誕生日を選べるとのことで、実際には3月1日にしている人が多いとか。
閏年クエスチョン今一つ。閏の1日をなぜ2月に置いたのでしょうか。グレゴリオ暦はローマ教皇グレゴリウス13世が、それまで利用していたユリウス暦を改良して1582年10月15日に制定した暦法。グレゴリオ暦より古いヌマ暦では、1年は3月に始まり、1ヶ月は29日~31日、そして2月は清めの年として28日で終わる12ヶ月365日。閏日は日数が少ない1年最後の2月に加えられることになったとのこと。グレゴリオ暦の日本への導入は300年ほど遅れて1872年(ほぼ明治5年に当たる)。明治5年12月2日(旧暦)の翌日を、明治6年1月1日(グレゴリオ暦の1873年1月1日)としたとのこと。
以上閏年の故事来歴?について思いつくままタイピングしてきましたが、目に見えないところでもその影を落としています。当山の教化活動の中でもうっかりミスが発生していました。その一例が命終された方の「中陰」正当日。命終された日から忌明までの期間が中陰。命日も含めて七日後が「初七日」、続いて一週間ごとに「二七日」「三七日」「四七日」「立日(初月忌)」「五七日」「六七日」そして「七七日」で忌明け。以上が中陰ですが、これらの正当日を早見表で調べて一覧表を作成し、参勤の時間を調整して書き加え喪主に差し上げます。
中陰中のそれぞれの正当日を決めるとき、閏日が関わってくる場合要注意。1月12日から2月22日までの間に命終された方が該当します。例えば1月12日に命終された方の七七日(忌明け)は平年ならば3月1日。ところが閏年では1日繰り上がって2月29日。同様に2月6日に命終された方の三七日は平年では2月26日、閏年では2月25日が正当。ただし、立日(初月忌)は1ヶ月後の命日ですので異動はありません。当山では今年当該期間中に命終された方が3名いらっしゃいました。十分配慮した積もりでしたが、1名の方の忌日を繰り上げずに月日を記入してしまい、訂正。
かくして決められた日時にご門徒宅へ中陰のお参りに伺います。先ずはご荘厳を拝見し問題点を正していただきます。近ごろ葬儀は概ね葬儀会場で執り行われます。還骨法要も会場で勤められ、その後遺骨がご自宅お帰りになるという次第。お帰りになった遺骨はどこに安置するのか。当地では葬儀社が喪主宅に「中陰壇」を設置するのが通例となっています。中陰壇とは、花瓶・香炉・燭台の三具足を備え、お骨と法名、写真等を安置することができる2~3段の棚飾りセット。このセットを、お内仏(仏壇)の正面でなく左右どちらかの脇に中陰中(忌明けまで)安置して中陰法要お勤めします。なお、中陰中はお内仏の打敷(お内仏前卓に掛ける三角形の布)は裏返して白い面を出します。
お勤めする中陰法要のコンテンツはといえば、『正信偈』(草四句目下)と念仏・和讃・廻向(同朋奉讃)・御文。昔は『佛説阿彌陀經』を導師一人が読誦していましたが、1955(昭和30)年に「昭和法要式」が制定されたのを受けて法要式を大幅に変更。その後地方にもこの新法要式が浸透し、私が住職を拝命した1959(昭和34)年から当山においても依用。参詣の方が難解な経文をじーっと我慢して聞くのではなく、声を出して唱和することによって参加意識の向上にも繋がります。ご案内の通り『正信偈』は、宗祖親鸞聖人のけ主著『教行信證』の行巻末にある七言六十句百二十行の偈文。
その読み方には「真四句目下」「行四句目下」「草四句目下」等々があります。四句目の音程を下げる読み方に種々あるということ。その違いを独断と偏見で書道に準えれば「楷書」「行書」「草書」といったところでしょうか。正信偈の最初はご存じのように「帰命無量寿如来 南無不可思議光」。素晴らしい2行だと思います。この2行で念仏の教えが言い尽くされているといっても過言ではありますまい。
帰 命 無 量 寿 如来 ……和語
namo a mitaa yus bha buddha …サンスクリット語
南 無 不可思議 光 仏 ……和語
な も あ みだ ぶつ ……音写
無量寿如来に帰命し、不可思議光に南無したてまつる 南無阿弥陀仏
合掌
《2020/3/3前住職・本田眞哉・記》