法 話
(229)「蓮如上人(1)」
![]() 大府市S・E氏提供 |
3月25日
去る3月25日は蓮如上人の祥月命日でした。蓮如上人は本願寺第八世として、教団の体質改善につとめて本願寺教団の再生を果たし、真宗中興の祖といわれています。上人は、1415(応永22)年2月22日、本願寺第七世存如上人の長男として出生。母親は存如上人の母に給仕した女性と伝えられています。その母の素性ゆえに、必ずしも周囲から全幅の祝福を受けるわけにはいかなかったようです。そして上人6歳のころ、父存如上人に正妻を迎える話が具体化し、母は本願寺を去ることに。上人の幼名は布袋丸、出家後は兼寿、法名は蓮如。
蓮如上人幼年期の本願寺は、衰退の極にあったといわれます。上人は成長するにしたがって本願寺・本願寺教団の衰退に酷く心を痛められたようです。本願寺第四世善如上人、第五世綽如上人の時代には、本来の黒衣・墨袈裟に代えて黄色の衣を纏っていたとか。また、本尊の前には天台宗の如き護摩壇が設えられていたとも。黄衣にしても護摩壇にしても、親鸞聖人の教えに反すること。当時の本願寺の比叡山・聖道門に対する忖度・遠慮がそうさせたのでしょうか。理解に苦しむところ。一方佛光寺は隆盛を極めていたとか。
因みに、佛光寺とは。1205(承元元)年、専修念仏が停止されて宗祖親鸞聖人は越後国に配流されました(承元の法難)。寺伝によると、親鸞聖人は赦免の翌年の1212(建暦2)年に京都に帰り、山城国山科郷に一宇を創建し、順徳天皇より聖徳太子にまつわる「興隆正法」の勅願を賜り、「興隆正法寺」と名づけました。これが後の佛光寺。親鸞聖人はこの寺を弟子の真仏にまかせて、阿弥陀仏の本願の教えをひろめるため関東行化に旅立ったとされます。
しかし、親鸞聖人が山科に興隆正寺を建てたとするには寺伝以外の根拠に乏しく、史実としては、配流先の越後より直接関東方面へ向ったとする説が有力なようです。なお、佛光寺の親鸞伝絵のうち古い作品には京都に帰った後に(興隆正寺を建立せず)伊勢神宮に参詣した後に関東に向かったとする説も存在しており、荒木門徒の間では一旦京都に帰還した後に関東に向かったとする伝承が古くから存在していたとする見方もあるようです。
さて、本願寺第六世巧如上人(蓮如上人の祖父)在職時代には本願寺の衰微は更に甚だしく、近江堅田の『本福寺由来記』には、「御本寺様ハ人セキ(跡)タ(絶)へテ、参詣ノ人一人モミ(見)エサセタマ(給)ハス。サヒサヒ(寂寂)トオハシマス」とあり、次いで「応永二十年ノ比(ころ)、シルタニ(汁谷)佛光寺コソ、名張ヱケイヅ(絵系図)ノ比ニテ、人民クンシフ(群集)シテ、コレニコソ(挙)ル」と記されています。本願寺は人の往来も絶えて参詣の人一人も見えない。また、応永二十年の名張絵系図の比佛光寺は人民群集して挙っている、と伝えています。要するに本願寺が衰退し、一方で佛光寺が繁盛しているということでしょう。
ところで、佛光寺は真宗佛光寺派の本山です。親鸞聖人の開かれた「浄土真宗」には現在十派があります。と申し上げると「エエッ?」とおっしゃる方が大半。この十派が、親鸞聖人の主著『教行信証』の中の「真実の教えは浄土真宗である」とのキーワードを旗印に1970(昭和45)年に「真宗教団連合」を結成しました。教義については本願念仏の教えで十派同一。ただ、法式作法・荘厳などについては差異があります。例えば法衣の色・形式など。また、本堂の内陣・家庭のお内仏の荘厳仏具のデザインにも違いが見受けられます。
その教団連合の十派とは、本願寺派(西本願寺京都市下京区堀川通)・大谷派(東本願寺京都市下京区烏丸通)・高田派(専修寺三重県津市一身田町)・佛光寺派(佛光寺京都市下京区高倉通)・興正派(興正寺京都市下京区堀川通)・木辺派(錦織寺滋賀県野洲市)・出雲路派(毫摂寺福井県越前市)・誠照寺派(誠照寺福井県鯖江市)・三門徒派(専照寺福井県福井市)・山元派(證誠寺福井県鯖江市)であります(括弧内は本山所在地)。
『真宗教団連合憲章前文』には
・われら、親鸞聖人を宗祖と仰ぐ浄土真宗の教団は、この現代社会にあつて、教えによつて立ち、教えを正しく伝え、ひろく人類に奉仕すべき教団の役割の重要性を認識し、心を一つにして、社会の不安と混迷を救う教団として前進することを決意した。
・その目的を実現するために、すべての真宗教団の発意に基づいて、ここに、真宗教団連合を結成し、その憲章を約定する。
・われら、加盟する団体は、この憲章を誠実に遵守し、その定めるところに従い、統一行動をとることを、代表者の名において厳粛に誓約する。
と謳われています。そして
第3条(目的)には
真宗教団連合は、親鸞聖人の信仰と教義を基調として、加盟団体相互の連 絡提携のもとに、真宗
と規定されています。
更に、教団連合のHPではその趣旨を
親鸞聖人は、真宗教団立教開宗の根本聖典である主著『
各教団がそれぞれの枠を乗り越え、大同団結をしてこの不安と混迷の現代社会において、浄土真宗の教えと立場を鮮明にするための行動する組織体が「真宗教団連合」であります。この連合は結成以来、この目的実現をめざして、教団共通のあらゆる分野において、着々と成果をあげつつありますが、さらに全真宗の僧侶、門信徒が手をつなぎ「世の中安穏なれ、仏法弘まれ」と、限りなき前進を続けるよう活動しております。
と掲げております。
今年は連合結成50周年に当たり、2020年4月30日に真宗教団連合結成50周年中央記念大会が開催される予定でしたが、ご多分に漏れず新型コロナウイルス感染症の感染拡大の事態を受け、延期となりました。
真宗教団連合の共同教化活動の一つが『法語カレンダー』の発行。1973(昭和48)年、親鸞聖人ご誕生800年と立教開宗750年を記念して発行されて以来、心あたたまる月々の法語と美しいデザインが好評で、現在の発行部数は230万部を超えているとのこと。カレンダーは、幅15㎝×長さ43㎝ほどの柱掛けタイプ。上部三分の一に写真やイラスト、中央三分の一には英訳を伴った法語。そして下部には七曜表が配された月捲りカレンダー。表紙の下部には前述の真宗教団連合十派の派名と本山名が記載されています。
合掌
2020/04/03 前住職 本田眞哉 記