法 話

(230)「蓮如上人(2)

 


 
大府市S・E氏提供

 

御若年ノ砌

 



前回、本願寺第六世(ぎょう)(にょ)上人(蓮如上人の祖父)在職時代(1400年代初頭)の本願寺が衰退する一方、佛光寺が繁盛しているということから、話が佛光寺派→真宗十派へと脱線してしまい、失礼。本題の「蓮如上人」に戻しましょう。上人6歳のころ、父存如上人に正妻を迎える話が具体化し、1420(応永27)年1228日実母はいずこともなく姿を消してしまったのです。その後迎えた継母如円と存如上人との間に長女如祐が誕生。蓮如上人にとっては腹違いの妹。

父存如上人、継母如円さん、妹の如祐ちゃんともども暮らす蓮如上人幼少期の〝家庭生活〟は如何に? 折しも本願寺教団が財政不如意の中、ご一家の日暮らしもかなり逼迫していたようです。その後1433(永享5)年、蓮如上人に異母弟・応玄が誕生。妹達と祖父巧如上人を加え、ご一家の大家族生活は大変厳しいものがあったようです。『蓮如上人法語集』所載の「蓮如上人御若年ノ(みぎり)ノ事」冒頭には、

    「蓮如上人御若年ノ折ハ御継母ノ義ニヨリテ殊外ニ御迷惑ノ御事ニテ侍シ。」

  とあり、継母如円との間柄はご多分に漏れずすんなりとはいかなかったようです。

続いて次の項では、

「メシ物モ然々ト侍ラデ御布子又ハ紙子ヲメサレサフラヒキ。粉含ヲメサレサフラヒテ、白キ物ノ分ニテサフラヒシ白御小袖ニコレヲメサレ候。」

「又その後ハ白御小袖ヒトツ御座サフラヒツレドモ、シケ絹ニテ御座サフラヒキ。紙ニテ裏ヲサセラレ、御袖口バカリヲ絹ニテ少サセラレテメサレサフラヒキ。」

との記述も。召し物(衣服)は粗末な布子や紙子で、小袖も裏地は紙で袖口のみ絹を用いてお召しになっていたとか。

そうそう、紙子といえばかの有名な句を思い出しました。

勿体(もったい)なや 祖師は(かみ)()の九十年」

東本願寺第二十三世大谷光演・彰如上人の句です。彰如上人(18751943)は二つの顔をお持ちでした。東本願寺第二十三世法主と俳諧・書画に秀でた文人。俳号は句仏。祖師・親鸞聖人は紙の衣を着て90年の生涯を生きられたという意味。当時実際に紙衣(子)は使われていたと思われますが、この句は念仏を中心とした聖人の質素で控えめな暮らしぶりを象徴的に表したものといえましょう。一方、初めの五音「勿体なや」は、今の私たちの日暮らしでは死語に近くなっているのでは。衣食住に関わる「物」のみならず、心遣いや思いやりの面でも「もったいない」は〝古くさい・時代遅れ〟の言葉として隅に追いやられているのではないか、と危惧する思い一入。

2006(平成18)年6月岩手県花巻市で開催された「第62回日本ユネスコ大会」で、哲学者・山折哲雄氏は、記念講演「文明の共存を考える」の中で、「もったいない」について次のように話されています。(200671日発行『ユネスコ』 通巻1104号所載)

 最近、大和(やまと)言葉(ことば)「もったいない」が国際社会の中で市民権を得つつあるとの認識を示されました。そして、その主役は、2004年にノーベル平和賞を受賞したケニヤの環境副大臣ワンガリ・マータイさん。2006(平成18)年に来日された折この言葉に出会い、その後この「もったいない」を地球環境問題のキーワードとして、国際社会のあちこちでPRしてくださったのです。それだけでなく、国際的な文脈のなかで再解釈を施して発信。その再解釈とは、「もったいない」を三つのRに読み替えたこと。その三つのRとは…

  Reduce(消費の抑制)

  Reuse(資源の再使用)

  Recycle(再利用)

   ※ワンガリ・マータイさんは2011925、ケニアの首都ナイロビの病院で卵巣がんにより死去されました。享年71歳。謹んで哀悼の意を表します。

山折氏は続けて、 「もったいない」という大和言葉が3Rとして国際化・普遍化することを評価する反面、3Rでは表現しきれない、もっと重要な、もっと根本的な意味が隠されている。3Rという国際語になることで、もしかすると私たちは「もったいない」が持つ根元的な価値観を忘れてしまうのではないか、と不安感をにじませました。その上で「もったいない」という言葉を実に印象的に使った一句があるとして、彰如上人の句を例示されました。

「もったいなや 祖師は紙衣の九十年」

そして次のように解説:―

「紙衣というのは紙で作った粗末な着物、祖師はあの親鸞のことです。ああ、親鸞上人は90年の間、紙衣を着て生活された。その質素な、控えめの暮らしぶりを考えると私の(この句の作者ですね)生活はなんと贅沢なことか。申し訳ない、もったいない、情けない、恥ずかしいことだ。それだけに上人の生き方が有り難く、神々しく見える…。」

 「蓮如上人御若年ノ砌ノ事」の紙子から山折氏、さらにはユネスコへと話が変転してしまいましたが、蓮如上人御若年の頃に戻しましょう。同文書次ページには、

「キコシメシ物モ散々ノ御仕立ニテサフラヒシトナリ。供御ノ御汁ハ御一人ノ分アナタヨリ参競ラレサフラフヲ水ヲ入テノベサセラレ、御三人ミナミナキコシメシタルト申候」

着物は散々な非常に粗末な仕立の物であったとともに、供御(くご)天皇・上皇・皇后・皇子の飲食物。武家時代には将軍の飲食物。)なども来訪者があったときなど、一人分の汁に水で薄めて三人分にして頂いたとか。こうした質素な暮らしの中でも、蓮如上人の向学の精神は旺盛だったようです。この文書、さらに行を進めると次のような記述が目に留まりました。

     「龍玄京ヘ出デ油ナドハ料簡サフラフ。又ナキ時ハ墨木ヲ御焼キ候テ、聖教ナド ヲ御覧セラレ候。又月夜ノ頃ハ月ノ光ニテ御覧ゼラレケルトサフラヒツル。教行信證又ハ六要鈔等常ニ御覧セラレ、又安心決定鈔ハ三部マデ御覧ジヤブラセラレタル事候ヤウニ聖教等御覧ゼラレ、存如上人ヘモ法流ノ一義ヲ懇ニ尋参セラレケルト見ヘ申ケル。

 蓮如上人は、弟子の龍玄に京へ行って灯明油を調えるよう依頼。無いときは墨木を焼いたわずかな光や、月夜には月の光を頼りに書見をされたとのこと。テキストは『教行信證』(親鸞聖人・作)、『六要鈔』(存覚上人・撰)、『安心決定鈔』(著者不詳・覚如上人?)等。そして、親鸞聖人の一流の義を父存如上人にもお尋ねになったということです。

因みに、仏教教団や仏教寺院において、こうした〝家族〟の実態が見受けられることは、1200年代初頭まではあり得ないことでした。僧侶が結婚して子どもをもうけるなどといったことは論外。我が宗祖親鸞聖人はこうした仏教界に大革命をもたらしました。そのキーワードは「肉食妻帯」と「非僧非俗」。肉食妻帯とは、肉を食べて妻を娶ること。明治時代以前は、わが浄土真宗以外の宗派では教義によりどちらも禁止されていました。非僧非俗とは、僧に非ず俗に非ず。これまた親鸞聖人の高邁な宣言です。非僧非俗を宣言し、肉食妻帯を公然と断行されたのです。以後両フレーズが表裏一体となって比類のないテーゼを醸し出し、宗教界において異彩を放っています。

合掌

2020/05/03  前住職 本田眞哉 記

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