法 話

(239)「蓮如上人(10)

 

大府市S・E氏提供

 

神祇不拝(じんぎふはい)

 
 
 
 
 
 

 前々回、親鸞聖人と蓮如上人の教えを基に「祈り」について考えてみました。このことは、浄土真宗の教えの根幹に関わる問題。その祈りの根底にあるもの、そしてそこから派生する意識・体質・行動・慣わしなどについて、引き続き考察してみたいと思います。

 先ず独断と偏見で申し上げれば、祈りの根底には欲求と願望があると思います。その欲求を満たすため、あるいは願望を達成するために人は祈りを捧げるのでしょう。現在に対しても、未来に対しても。そしてその背景にはネガティブな意識が隠されているのです。例えば、「大学入試合格」を祈る受験生には、不合格になるのではないかという負の意識、「商売繁盛」を願う店長には、店が繁盛していないからというメッセージが隠されているのです。人は満願成就を求めて、こうした負の意識を解消するために祈禱・祈願に没頭するのでしょう。

 古来真宗門徒の日暮らしの中で、朝・夕仏壇の前でお勤めをすることが慣わしとなっています。しかし現実は否。一歩譲って、手を合わせてお参りするだけでも…。特に若い世代では「なぜそんなことするの?」と問い返されるのがオチ。おまけに「お参りしてどんな得があるの?」 他宗派では、ご先祖や亡くなった方の冥福(めいふく)を祈ったり成仏(じょうぶつ)を願ったりしているようですが、わが浄土真宗では、ご先祖や故人はすでに仏となっていらっしゃるので、私たちが何かをしてあげようと祈るのは失礼千万。また、鎮魂の意味でお参りしたとすれば、ご先祖などが(たた)りを引き起こす悪霊(あくりょう)ということに。

  親鸞聖人の法語を集めた『歎異抄(たんにしょう)』第五条には次の文言があります。

親鸞は父母(ぶも)孝養(きょうよう)のためにとて、一返にても念仏もうしたること、いまだそうらわず。そのゆえは、一切の有情(うじょう)は、みなもって世々(せせ)生々(しょうじょう)の父母兄弟なり。(以下略)

  【大意】親鸞(私)は、父母の追善(ついぜん)供養(くよう)のために、念仏したことは未だ一返もありません。その理由(わけ)は、生きとし生けるものは、生まれ変わり死に変わって行く世の父母であり、兄弟なのである。

 一方、祈禱・祈願と同工異曲(どうこういきょく)のフレーズに「物忌(ものいみ)」があります。蓮如上人の書かれた『御文(おふみ)』第一(じょう)の第九通は「物忌の御文」と呼ばれています。因みに『御文』とは、本願寺第八世蓮如上人が門徒に書き与えられた消息(しょうそく)(手紙)。上人46歳ごろから晩年に至るまでにわたり書かれたもので、その数は不明。ただ、1521(大永元)年上人の孫圓如上人が、諸国に散在していた二百数十通の御文の中から八十通を選んで五帖に編集。また、五帖に漏れた帖外(じょうがい)御文とか(げの)御文(おふみ)とかもあります。御文の文章は漢字交じりのカタカナで漢文体よりは平易、とはいうものの難解部分も数多。蛇足ながら1522(大永2)年、当山了願寺の初代住職に良空師が就任。

  『御文』第一帖第九通の文章を以下に抜粋して記します。

      (前略)仏法ヲ修行センヒトハ・念仏者ニカギラズ・物サノミイムべカラズト、アキラカニ諸経ノ文ニアマタミエタリ・マヅ涅槃経(ねはんぎゃう)ニノタマハク・如来法中(にょらいほふぢう)無有(むう)選択(せんぢゃく)吉日(きちにち)(りゃう)(しん)トイヘリ・コノ文ノココロハ・如来ノ法ノナカニ・吉日良辰ヲエラブコトナシトナリ・又(はん)(じゅ)(きゃう)ニノタマハク

優婆夷(うばい)(もん)()三昧(ざんまい)(よく)学者(がくしゃ)乃至自帰命仏( じきみょうぶつ)帰命法(くゐみゃうぶち)帰命(くゐみやう)比丘(びく)(そう)不得事余(ふとくじよ)(だう)不得拝於天( ふ とくはいおでん)不得( ふとく)()鬼神(くゐじん)不得( ふ とく)()吉良(きちりやう)(にちと)已上イヘリ

コノ文ノココロハ・優婆夷(うばい)コノ三昧ヲキキテ、マナバント欲センモノハ・ミヅカラ仏ニ帰命シ・法ニ帰命セヨ・比丘僧(びくそう)ニ帰命セヨ・余道ニツカフルコトヲエザレ・天ヲ拝スルコトエザレ・鬼神ヲマツルコトヲエザレ・吉良日ヲミルコトエザレトイヘリ・(後略)

  【大意】仏法を修行しようとする人は、念仏者に限らず、物事をさほどむやみに()むベきではないということは、多くの経文の中にもはっきりといわれています。先ず『涅槃経』の中には、如来の教えの中には良い日、よい星めぐりを選ぶということはない、と書かれています。また、『(はん)(じゅ)三昧(ざんまい)(きょう)』には「優婆夷(在家の女性仏教徒)よ、この三昧の教えを聞いて学びたいと思うならば、自ら仏に帰命し、法に帰命せよ、比丘僧に帰命せよ。他の教えに仕えてはならない、天を拝してはならない、鬼神を祀ってはならない、吉良日を占ってはならない。

ところで般舟三昧経』とは? 『真宗新辞典』には次のような記載があります。

3巻本と1巻本があり、(中略)3巻本に、弥陀を一心に念ずることが 一昼夜或は七日七夜、七日を過ぎて以後、阿弥陀仏を見たてまつるとし、覚めたときに見ることができなければ夢中に見ることができるとあり、浄土経典の先駆として注目される。(中略)教行信証には十住毘婆沙)論、五会念仏法事)讃から引用し、本経の文により、優婆夷がこの三昧を学ぶには、三宝に帰命して余道につかえず、天・鬼神を拝せず、吉良日を視てはてはならぬと戒める。

 この般舟三昧経』、いうまでもなく釈尊が説かれた教え。釈尊の在世時代については諸説ありますが、B.C.500年頃。そして、般舟三昧経の漢訳は後漢の支婁迦讖( し る か せん)によるとされています。後漢の建国はA.D.25年。ということは、今から約20002500年前のこと。「余道につかえず、天・鬼神を拝せず、吉良日を視てはてはならぬ」との教え。翻って、文明人を自認する現代人が「家を建てるに当たって、荒神(こうじん)さんの(たた)りがないようにお(はら)いをお願いしました」「結婚式は大安の日でなくちゃ」「明日は友引だから、葬儀は明後日にします」とも。これはオドロキ。

時代が下っても神祇(じんぎ)信仰(しんこう)は捨てきれないものでしょうか。否、むしろ逆に多様化し陰湿になっているかも。今から500余年前の蓮如上人の「物忌の御文」に神祇不拝の教えを尋ねてきましたが、さらに時代を遡ること200年、宗祖親鸞聖人は『教行信証』末巻に『涅槃経』と『般舟三昧経』を引文して、外教邪偽の異執を誡め神祇不拝を説いていらっしゃいます。したがって、本願寺第八世蓮如上人は、教行信証の中の両経を再度引用し、カナ交じり文で分かりやすく〝文(手紙)〟として、門徒へ教えを弘められたのです。原典である親鸞聖人の『教行信証』末巻の文を『真宗聖典』より以下に転記します。

      『涅槃経』(如来性品)に(のたま)わく、仏に帰依せば、(つい)にまたその余の諸天神に帰依せざれ、と。略出

      般舟三昧経』に言く、()()()、この三昧を聞きて学ばんと(おも)わば、 乃至 自ら仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。余道に事うることを得ざれ、天を拝することを得ざれ、鬼神を祀ることを得ざれ、吉良日を視ることを得ざれ、と。已上

合掌

2021/02/03  前住職 本田眞哉 記

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