法 話
(241)「蓮如上人(12)」
![]() |
『
既述のように、本願寺第八世蓮如上人の書かれた『御文』は真偽不明なものを除いて221通。その中、1469(文明3)年から1498(明応7)年の間に書かれた58通を一帖目から四帖目に、年次不明の22通を五帖目に『五帖御文』として編集。合計80通を収録。編集に携わったのは、第九世・實如上人とその第三子・圓如上人といわれています。わが宗門で日常的に拝読されている「御文」はこの「五帖御文」。その後、本願寺第十世證如上人(實如上人の孫・蓮如上人の曾孫)が『五帖御文』を開版。このことによって津々浦々まで御文の〝紙データ〟が行き渡ることに。
日ごろ五帖80通の御文を順に拝読するたびに印象深い一通に巡り会います。それは四帖目の第十五通。いわゆる「大阪建立」の御文。些か長文になりますが、本文を以下に記しましょう。出典は当山什物の『五帖御文』四帖目。奥書に相当するところには、版元を表す「釋乘如〝華押〟」の特大文字。因みに乘如上人は、1760(宝暦10)年に東本願寺第十九世を世襲。天明の京都大火で罹災した伽藍の再興に尽くされましたが、40歳で早世。裏表紙末尾には、「尾張國知多郡緒川村 了願寺 什物 明治十九年三月上旬 求之」「寄附人 野村林之右衛門 野村林左衛門」の手書き文字。
【本文】 抑 當國攝州東成郡 生玉ノ庄内 大坂トイフ在所ハ 往古ヨリイカナル約束アリケルニヤ サンヌル明應第五ノ秋下旬ノコロヨリ カリソメナカラコノ在所ヲミソメシヨリ ステニ カタノコトク一宇ノ坊舎ヲ建立セシメ 當年ハハヤステニ三年ノ星霜ヲヘタリキ コレスナハチ往昔ノ宿縁アサカラサル因縁ナリとオホエハンヘリヌ
ソレニツイテ コノ在所ニ居住セシムル根源ハ アナカチニ一生涯 ヲココロヤスクスコシ 榮花榮燿ヲコノミ マタ花鳥風月ニモココロヲヨセス
アハレ无上菩提ノタメニハ 信心決定ノ行者モ繁昌セシメ 念佛ヲモマウサントモカラモ出来セシムルヤウニモアレカシトオモフ 一念ノココロサシヲハコフハカリナリ マタイササカモ世間ノ人ナントモ 偏執ノヤカラモアリ ムツカシキ題目ナントモ出来アラントキハ スミヤカニコノ在所ニヲイテ 執心ノココロヲヤメテ退出スヘキモノナリ コレニヨリテイヨイヨ貴賤道俗ヲエラハス 金剛堅固ノ信心ヲ決定セシメンコト マコトニ弥陀如来ノ本願ニアヒカナヒ 別シテハ聖人ノ御本意ニタリヌヘキモノ欤
ソレニツイテ愚老ステニ當年ハ八十四歳マテ存命セシムル条不思議ナリ マコトニ當流法義ニモアヒカナフ欤ノアヒタ 本望ノイタリコレニスクヘカラサルモノ欤 シカレハ愚老當年ノ夏コロヨリ違例セシメテ イマニヲイテ本復ノスカタコレナシ ツヰニハ當年寒中ニハカナラス往生の本懐ヲトクヘキ条 一定トオモヒハンヘリ アハレアハレ存命ノウチニミナミナ信心決定アレカシト 朝夕オモヒハンヘリ マコトニ宿善マカセトハイヒナカラ 述懐ノココロシハラクモヤムコトナシ マタハコノ在所ニ三年ノ居住ヲフルソノ甲斐トモオモフヘシ
アヒカマヘテアヒカマヘテ コノ一七ヶ日報恩講ノウチニヲイテ信心決定アリテ
我人一同ニ 往生極楽ノ本意ヲトケタマフヘキモノナリ
アナカシコアナカシコ
明應七年十一月廿一日ヨリハシメテコレヲヨミテ 人々ニ信ヲトラスヘキモノナリ
【大意】
(大坂建立の由来)
ここ摂津の国、東成郡生玉の庄内の大坂という所は、昔からどんな 約束があったのでしょうか。二年前の明応五年の秋下旬の頃、たまたまこの地に目をとめて、型通りの一宇の坊舎を建立してから、もう既に三年の月日が経ちました。これも遠い昔からからの宿縁浅からざる故でありましょう。
(御坊居住の本意)
それにつけても、当地に居住する本意は何かといえば、殊更に一生を安穏に暮らし、富や権力による贅沢な暮らしを好み、花鳥風月を愛でて楽しむためではありません。何とかして、覚りに至り信心決定出来る人が増えて欲しいと、ひたすら願うばかりです。で、もし少しでもこの地への執着から無理難題を吹きかける人がいたならば、速やかに拘りの心を捨ててこの地を後にすべきです。そうしていよいよ、身分の上下や僧侶だの俗人だのの別を問わず、金剛堅固の信心を決定されることこそ、まことに弥陀如来の本願にかない、別けても親鸞聖人の御本意に沿うことになりましょう。
(上人自らの命終近いことに触れ、ご自身の念願を吐露)
それにつけても、私も今年八十四歳になりましたが、これまで存命させていただいたことは不思議なことです。これも浄土真宗の自信教人信の法義にかなったからでありましょうから、まことに本望の至りと申し上げるべきでしょう。しかし私、今年の夏ごろから体調を崩し、今に至っても本復の兆しがありません。いよいよ今年の寒中には、間違いなく往生の本懐を遂げること間違いないと思っています。どうかどうかこの命あるうちに、みなみな信心決定なさって欲しいものだと朝夕思うことです。まことに信心を得ることは宿善任せといいながら、そのことを願うこころはしばらくも止むことはありません。また、この大坂の在所に三年も暮らしてきたのも、そのためであると思っていただきたいものです。
(このたびの報恩講にかける思い)
必ず必ず、この七日間の報恩講のうちにおいて信心を決定し、誰も彼もが往生極楽の本懐を遂げていただきたいと思います。あなかしこ、あなかしこ。
明応七年十一月二十一日の報恩講初座よりこれを読んで、人々に信心を獲らせて欲しい。
この「大坂建立」の御文、一見大坂御坊建立の経緯や苦労話が認められているのではと思いきや然に非ず。蓮如上人畢生の願いが込められた深遠な内容でした。建立した坊舎が、如何にして多くの人々が親鸞聖人の教えに目覚め、信心獲得し決定の信を得るための聞法道場としての使命を果たすことができるのか、厳しく自問されています。上人の願いは、上記「信心決定ノ行者モ繁昌セシメ 念佛ヲモマウサントモカラモ出来セシムルヤウニモアレカシトオモフ 一念ノココロサシヲハコフハカリナリ」に集約されると思います。
翻って、当山においては如何? 私こと、1959(昭和34)年了願寺十六世住職を拝命。折しも「伊勢湾台風」が襲来。本堂はじめ伽藍が甚大な被害を受けました。応急修理後、1962(昭和37)年本格的修理を発願。1964(昭和39)年着工し、同年竣工。落慶法要と併せて「親鸞聖人七百回御遠忌法要」を勤修。太平洋戦争開戦前に先代住職(父)が早世した上、戦中・戦後はご門徒も寺族も、物質的にも精神的にも、「寺」の維持管理に心を致す余裕は全く無く、伽藍のメンテナンスは皆無でした。したがって前記法要後も、次々と建物の修繕や建替が必須で、「土建住職」と揶揄されるのも厭わず事業を進めました。以下はその〝あゆみ〟です。
1969(昭和44)年車社会に対応すべく車参道を開設/1971(昭和46)年墓地拡張と境内整備/1980(昭和55)年「宗祖親鸞聖人御誕生八百年慶讃法要」を発願。記念事業は、玄関・書院・会館棟の新築。設計・監理は(株)武幹建築設計、施工は徳倉建設株式会社。1982(昭和57)年5月法要を勤修/1986(昭和61)年寺務所兼候補衆徒役宅「法輪閣」新築/1994(平成6)年、築250年の庫裡の建替計画を発表。設計・監理は「民家再生」で有名な松本市の(株)
2001(平成13)年「蓮如上人五百回御遠忌法要」計画スタート。記念事業は、本堂の屋根葺替・内陣荘厳の修復と出仕廊下・法中手洗の新設。設計・監理は(株)降幡建築事務所、施工は白半建設と大文社寺建設のJV。2004(平成16)年御遠忌法要を勤修/2004(平成16)年第二駐車場新設【2011(平成23)年住職退任、十七世新住職就任】/2014(平成26)年参道直近に第三駐車場開設/2016(平成28)年「親鸞聖人七百五十回御遠忌法要」の計画策定。記念事業は、山門・築地塀・周囲塀の建替、鐘楼屋根の葺替等。2019(平成31)年3月御遠忌法要を勤修。
以上、寺院経営のハード面の〝実績〟を並べてみましたが、ソフト面では蓮如上人の「大坂建立」の願いとは似て非なる歩みだったのではないかと、赤面の至り。蓮如上人から「信心決定の行者は繁昌しているか、念仏をもうさん輩の出来はあるのか」「聞法道場としての使命を果たしているのか」と厳しく問われるのではないか、と危惧の念一入。ただ、1966(昭和41)年、本山の同朋会運動に呼応して「東浦同朋会」を結成し、聞法・教化活動の場を新設。例会は回を重ねこの3月で第316回。旧来の「報恩講」「永代経法要」に加えて新しい聞法の場が誕生したものと自負。
一方、1976(昭和51)年「了願寺維持振興会」を設立。目的は文字通り了願寺を〝維持〟し〝振興〟を図ること。いわば、ハード面とソフト面のサポート。予算科目は、本山・宗派経常費、火災災害保険料、営繕費、境内整備費、教化費等々。総会の議決を経て事業を推進。残余金が出た場合は事業費積立金として留保。総会では、外部講師の法話を拝聴。教化事業の一つとして寺報『受教』を発行。創刊は1962(昭和37)年。ガリ版に始まり、和文タイプを経てPCへ。キーボードを叩いて版下を作り、輪転機で印刷する手作り。A3判二つ折り4ページ。年4回発行、現在237号をカウント。コンテンツは、法話・年回正当表・我や先人や先・同朋会あゆみ・感謝の窓・法縁等。
以上、御文「大坂建立」から話が取り留めもない方向へ彷徨ってしまいましたが、お許しを戴いて下世話な話をいま一つ。蓮如上人がこの御文を書かれたのは、1498(明応7)年八十四歳の時、命終の前年。今までは気にせず読んでいましたが、今年の拝読ではオーッと。私と同年齢。八十四歳に至っても、信心決定の人の多からんことを願って「御文」を書き続けられたバイタリティ、驚愕の至りです。剰え上人の十三男、実従上人がこの年にご誕生。こうした活力・生命力には脱帽です。でも、一人でも多く信心獲得されるよう、聞法道場振興に尽くさなければならないと思うや切であります。
合掌
2021/04/03 前住職 本田眞哉 記