法 話

(244)「蓮如上人(15)

 

大府市S・E氏提供

神祇不拝(じんぎふはい)

 
 

 

 そもそも、宗祖親鸞聖人の開かれた教えの根幹の一つ、「神祇不拝」とは?  「宗教」といった場合、それは「民俗宗教」と「普遍宗教」に大別されます。民俗宗教の中身はといえば、霊観念による精霊信仰・アニミズム。その精霊は、天の精霊(天神(てんじん))・地の精霊(地祇(じぎ))・人の精霊。前二つは自然霊、人の精霊はいわゆる祖霊。人生に於いて何か不都合が生じたとき、先行き不安になったとき、こうした「霊」の(たた)りがあるのではないかと不安に駆られ、不安は畏敬の念を醸し出し「祈願」することに。

      かなしきかなや道俗の

      良時吉日(きちにち)えらばしめ

      天神地祇をあがめつつ

      卜占(ぼくせん)祭祀(さい し )つとめとす

                    親鸞聖人・作『愚禿悲嘆述懐和讃( ぐ とく ひ たんじゅっかい わ さん)

 【大意】修道の人も在俗の人も日柄を選ぶことに懸命で、天の神や地の神を(あが)め、占いをしたりお(はら)いをしたりして罪を清めようとしている。本当に残念なことだ。

 この和讃が執筆されてから760年余を経た今日、真宗門徒の中にもこうした状況が散見され〝悲嘆〟の思い一入。科学文明の時代といわれながらも、目に見えない「(おそ)れ」の支配から脱却できないのが現状でしょう。具体的には、姓名判断、方角、家相、人相、手相、墓相、印相etc。以前に比べればこうした卜占(うらな)いにこだわる人は減ったとはいえ、葬儀の日取りを決めるとき「友引(ともびき)」を避ける〝弊習〟は依然として根強いものがあります。ただ、当地の公営火葬場では最近友引の日の休業が廃止され、葬儀執行が可能に。友引の日の葬儀執行、当山ではこれまでに2例ほどあります。

 ところで「和讃」とは? それは〝和語〟の讃歌。〝漢文〟の「偈頌( げ じゅ)」、〝梵語(ぼん ご )〟の「梵讃」に対して、漢字仮名交じりで仏・菩薩及び高僧の行徳や教法を賛嘆した讃歌。聖人述作の和讃は『浄土和讃』『高僧和讃』『正像末(しょうぞうまつ)和讃』の三帖(さんじょう)に編集されていて、合計五百余首。『浄土和讃』『高僧和讃』は1248(宝治2)年、聖人76歳の時脱稿、1255(建長7)年83歳の時に完成されたといわれています。『正像末和讃』は、1257(正嘉元)年85歳の時著わされました。形式は七五調で四句一首。この和讃に節を付けて、大法要や朝夕の勤行等で唱和します。我が真宗における重要な声明(しょうみょう)の一つ。

 前記『愚禿悲嘆述懐和讃』は『正像末和讃』の中に収められていますが、その標題中の「愚禿」とは? そしてまた、どんな謂われが? 「愚禿」は聖人の自称ですが、その裏には負の歩みが…。自著『教行信證(きょうぎょうしんしょう)』の「顯浄土方便化身土(けんじょうどほうべんけしんど)文類(もんるい)六(末)」に次のような記述があります。(『真宗聖典』)

(前略)これに()って、真宗興隆の大祖(たい そ )(げん)(くう)法師(ほっ し )、ならびに門徒数(もん と す )(はい)、罪科を考えず、(みだ)りがわしく死罪に(つみ)す。あるいは(そう)()を改めて姓名(しょうみょう)(たも)うて、遠流(おん る )に処す。()はその一なり。しかればすでに僧にあらず俗にあらず。このゆえに「禿(とく)」の字をもって(しょう)とす。(後略)

 【大意】(前略)親鸞聖人は(ほう)(ねん)上人(しょうにん)(大祖源空法師)の門下にいたことによって流罪( る ざい)になりました。(今でいえば〝思想犯〟ということになりましょうか、)罪人として流されたのです。死罪になった門徒もありました。あるいは僧籍を剥奪(はくだつ)されて、俗姓名を与えられ越後に遠流されました。私はその中の一人です。したがって私は僧に非ず俗に非ず(非僧非俗)。こうしたことで「禿」の字を姓とします。

本多弘之氏著『はじめての親鸞』には、以下のような記述があります。

禿は『涅槃経(ねはんきょう)』のなかで大変に(いや)しめられている名前です。頭だけかみそりをあてて一応は僧侶の姿をとりながら、現実には戒律を破るという破戒(はかい)(そう)。あるいは宗教を求めるかたちを表面的にはとっている、つまり頭をそり、衣をつけて宗教的儀式を行う生活をしていながら、内に宗教的要求が欠落している人を『涅槃経』では「禿」と呼んで非常に厳しく批判しているのです。

 要するに「禿」は決して誉める言葉ではないのですが、聖人は敢えてその文字をもって自分を名告(なの)られたのです。しかもその前に「()」を付けられました。聖人は自己を明かにしようと徹底的に自らを問い続けられました。そこから感得された「愚」なのでしょう。通り一遍の「愚か」ではありません。聖人の述作の一つに『愚禿鈔(ぐとくしょう)』があります。1255(建長7)年、聖人83歳の時に書かれたもの。その冒頭に次のような文言があります。

       賢者(けんじゃ)の信を聞きて、愚禿が心を(あらわ)

       賢者の信は、内は賢にして()は愚なり

       愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり

 【大意】智慧すぐれ徳のある人の教えに照らして、愚禿(私)の信心の有り様を(あきら)かにします。智慧すぐれ徳のある人の信心は、獲得(ぎゃくとく)した信心を内に蓄えながらも、それを外にひけらかさない。それに対して、愚禿は内に信心獲得していないのにも拘わらず、外には信心者ぶってしまう。

「愚禿」は、聖人の本願念仏の教えに照らしての徹底的な自己探求によって明らかになったものでしょう。『歎異抄(たんにしょう)』の「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」のフレーズで人口に膾炙している聖人の「悪人正機」の教え、これもまた聖人の徹底した自督( じ とく)から導き出されたもので、比類なき純粋教理といえましょう。

 話を「神祇不拝」に戻しましょう。前記和讃の他にも神祇不拝を説く聖人の記述があります。例えば、聖人のライフ・ワーク『教行信證』化真土の末巻、総論の部分。『涅槃経』『般舟三昧経』に拠って外教( げ きょう)(じゃ)()異執( い しゅう)教誡(きょうかい)されています。

             『涅槃経』(如来性品(にょらいしょうほん))に(のたま)わく、仏に帰依(きえ)せば、終にまたその余の諸天神に帰依せざれ、と。
 【大意】(如来性品)の教えでは、仏を只管(ひたすら)信じて()りどころとするならば、他の諸々の天の神を信じて依りどころとする必要はない。

        『(はん)(じゅ)三昧(さんまい)(きょう)』に言わく、()()()、この三昧を聞きて学ばんと(おも)わば、乃至 自ら仏に帰命( き みょう)し、法に帰命し、比丘(びく)(そう)に帰命せよ。()(どう)(つか)うることを()ざれ、天を拝することを得ざれ、鬼神( き じん)(まつ)ることを得ざれ、吉良(きちりょう)(にち)()ることを得ざれ、と。

 【大意】『般舟三昧経』には、次のように教えが説かれています。優婆夷、この三昧経を聞信(もんしん)しようとするならば、仏・法・僧に帰依(きえ)(三帰依)しなさい。仏道以外の道を必要としない、天神を崇める必要がない、吉良日を視る必要がない身となりなさい。

※優婆夷:()upasika の音写。釈尊の教団の構成員の一つである在家(ざいけ)の女性の信者。近事女(ごんじにょ)(しょう)信女(しんにょ)と訳す。在家の女性で、三宝(仏・法・僧)に帰依し五戒を受けた者。男性はupasaka()()(そく)

 なお、蓮如上人も『御文( お ふみ)』の一帖目(いちじょうめ )第九通に、この『教行信證』化真土末巻記載の『涅槃経』『般舟三昧経』の(くだり)を引用して、「神祇不拝」を教示してくださっています。

合掌

2021/07/03  前住職 本田眞哉 記

                                                 

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