法 話
(249)「蓮如上人(20)」
大府市S・E氏提供 |
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蓮如上人の『御文』五帖目第十通に「聖人一流」の御文があります。前回の五帖目第一通「末代無智」の御文も短文でしたが、「聖人一流」の御文は更に短く、五帖目中はもちろん全帖80通中の最短。26.5㎝×21.5㎝の大判御文では僅か8行半、1ページ半に収まっています。したがって、といっては何ですが読みやすく、私自身もよく拝読します。当山では、ご門徒宅での報恩講〝在家報恩講〟での定番の御文となっています。短文とはいえ、中身は濃厚で親鸞聖人の教えの肝要が簡潔に述べられています。
まず本文を読んでみましょう。
聖人一流ノ御勧化ノヲモムキハ、信心ヲモッテ本トセラレ候。ソノ ユヘハ、モロモロノ雑行ヲナゲステテ、一心ニ弥陀ニ帰命スレバ、不可思議ノ願力トシテ 仏ノカタヨリ往生ハ治定セシメタマフ。ソノクラヰヲ、一念発起入正定之聚トモ釋シ、ソノウヘノ称名念仏ハ、如来ワガ往生ヲサダメシタマヒシ
御恩報尽ノ念仏ト ココロウベキナリ。アナカシコ アナカシコ
【要旨】親鸞聖人の教えで人々を勧めて仏道に入らせる趣意は、信心をもって根本とする、とされております。そのわけは、さまざまな雑行を投げ捨てて、一心に阿弥陀仏に帰命(仏の教命に帰順すること)すれば、不可思議の願力のはたらきによって、仏の方から衆生の往生を定めてくださるからです。その位を「一念発起 入正定之聚」(曇鸞大師著『浄土論註』)とも釋します。そのうえの称名念仏は、如来が我が身の往生を定めてくださった御恩に報じるための念仏であると、心得るべきでありましょう。あなかしこ、あなかしこ。
※一念発起:阿弥陀仏の救済を信じる一念のはじめておこること
※正定(之)聚:往生が正しく定まり必ずさとりを披くことができる輩
ここで、先ず「一流」について。一流は文字通り一つの流れであります。何の流れかといえば、いうまでもなく親鸞聖人が開顕された本願念仏の教えの流れ。聖人を源泉として流れ出た教えは、一本の川の流れのように大地を潤しながら流れ続け、今日の私たちにまで届けられているのです。途中、紆余曲折もあったでしょう。あるいは分流・滞留・濁流もあったかもしれません。しかしその都度自浄・復元作用が働き、流れは枯渇することなく流れ続けて800年、21世紀の世にも本願念仏の教えが運ばれて来ているのです。
そうした流れのなか、この「聖人一流」の御文の重要ポイントは「信心ヲモッテ本トセラレ候」でしょう。聖人の教えの根本は「信心」である、と。いわゆる「信心為本」。信心をもって本と為す。これに対して対句となるフレーズに「念仏為本」があります。念仏をもって本と為す。その違いはどうなのでしょう…。端的にいえば、「信心為本」は親鸞聖人の開顕された教えの趣意。一方、「念仏為本」は親鸞聖人のお師匠さん法然上人が明かにされた教えの肝要。
ご存じのように親鸞聖人は、浄土宗の開祖・法然上人の元で修学に励み研鑽を積まれました。時あたかも末法の世。前回記したところですが、教主・釋尊が入滅されてから500年を正法の時代、その後一千年を像法の時代、更にその後の一万年が末法の時代とされています。正法の時代には、釋尊の教えがあり、行じる人がいて、証を得る者(覚者)がいる。即ち、教・行・証が具現された時期。像法の時代は、証を得る者はいないが教と行は存在し、正法の時代に似た時期。末法の時代は教のみがあって、行と証の欠けた時期。日本では、1052(永承7)年末法の時代に入ったといわれています。
親鸞聖人は「正法」「像法」「末法」の三時についてどのように受け止め、如何に臨まれたのでしょうか。ズバリその名の和讃を作っていらっしゃいます。
『正像末和讃』には、
釈迦如来かくれましまして
二千余年になりたまふ
正像の二時はおはりにき
如来の遺弟悲泣せよ
末法第五の五百年
この世の一切有情の
如来の悲願を信ぜずば
出離その期はなかるべし
※如来の悲願:阿弥陀如来が衆生の苦しみを救うために誓われた願
※出離その期:迷いの世界を離れて種々の苦悩を離れる時期
行と証の欠けた末法の世に生まれた人びとは、自力の難行によって証を得ることは不可能という状況にありました。末法の時代を生きられた法然上人も親鸞聖人も、阿弥陀仏の本願力という他力による救いを求められたという点では同じです。しかし、法然上人の説かれた他力には、ひたすら念仏を称えるという点で、自力の要素が残存しているのではないかと思われます。
余談ながら、私が住職を拝命して間もなく、今から60年余前のこと。ご門徒のご母堂命終の一報を受けて、枕経(枕直し勤行)に参じました。当時は、納棺前のご遺体をお内仏の前に安置し、文字通り枕元でお勤めするのが通例でした。現在はといえば、こうしたケースはレアで、病院や施設で息を引き取られたご遺体は、ご自宅へ帰ることなく葬儀社の安置室へ。したがって、枕経も葬儀社の安置室で。何ともはや…。
ご自宅へ枕経に赴いた時、玄関の戸を開ける前から聞こえてきたのが念仏の声。ナンマンダブ、ナンマンダブ、ナンマンダブ…
何遍も何遍も続くナンマンダブ。そう、浄土宗系念仏講の「百万遍念仏」。古来当地では、宗派を問わず請われれば講組が出向いてお勤めしていました。講員は10名ほどでしたか、ご遺体を取り囲むように円座して、念珠を繰りながら念仏を称えていました。念珠は珠も大きければ輪も特大、楕円の長径は2m余あったでしょうか。
特大念珠が、念仏を称える講員の手から手へと送られるなか、親玉が組頭の許へ回ってきたとき、計数箱の駒札が一枚倒されます。この一枚が10の位なのか100の位を表すのか定かではありませんが、一列満杯になると上位列の駒札を一枚倒し、満杯になった列の札はご破算になるという塩梅。こうした計数作業が繰り返され、計百万回・念仏百万遍で満願成就ということになるのでしょう。法然上人は、難行苦行の及ばない末法の世、阿弥陀仏の本願力という他力によるほか救われる道はないとされ、そのためにはひたすら「南無阿弥陀仏」を称えなさい、と。
一方親鸞聖人は、法然上人の説いた他力をさらに一歩進め、念仏を称えることも自力ではなく、仏の慈悲のはたらき(他力)によるものである、と。信心を持つことも「南無阿弥陀仏」を称えることも、自力で為すことではなく、阿弥陀仏の慈悲のはたらきによって発せられるものだ、とお教え戴くのです。したがって、念仏も回数が多い方が良いということでもりません。すべてを阿弥陀仏に委ね、救いはすべて阿弥陀仏の力による「絶対他力」の世界を拓かれたのです。法然上人の「他力」から百尺竿頭一歩進めた、といえましょうか。
こうしたことから元来、法然上人は「念仏爲本」、親鸞聖人は「信心爲本」といわれています。法然上人は、代表作『選択本願念仏集』の冒頭で「南無阿弥陀仏、往生之業念仏為先」と書いていらっしゃいます。問題は、何に対して念仏が先(本)なのか。雑行に対して先(本)なのです。因みに雑行とは、阿弥陀仏に対して疎遠な行。聖人の『高僧和讃』には、
仏号むねと修すれども
現世をいのる行者をば
これも雑修となづけてぞ
千中無一ときらわるる
こころはひとつにあらねども
雑行雑修これにたり
浄土の行にあらぬをば
ひとえに雑修となづけたり
とあります。
親鸞聖人は「信心為本」。何に対して信心が本なのか。念仏に対してのアンチ・テーゼではなく、疑いの心・本願を疑って信じないことに対しての本なのです。本願を疑う心から導き出されるのは、欲望を満たすために仏に祈ろうとかする罪福心。お金が儲かりますようにナンマンダブツの類い。仏を祈っているのではなく、自分の欲望を祈っているのでしょう。念仏を称える信が、純か不純かが問われるわけです。聖人は『教行信証』(行巻)で称名は念仏であり、南無阿弥陀仏であると記しています。そして(信巻)では、真実信心は必ず名号を具すとして、信と行は不離とされています。
したがって、親鸞聖人のお立場は、当然「信心為本」なのですが、信心オンリーではなく、念仏を本として、そのうえで真実信心を本として戴くということ、信心(信)・念仏(行)不離ということでしょう。纏まりのない文章となってしまいましたが、文頭御文の「信心ヲモッテ本トセラレ候」(ズバリ「信心為本」)は真宗の不滅のモットー。このフレーズの真意を我が身に問いかけ直し、聖人の深遠微妙なおこころを戴けるよう、努力精進して参りたいと思うや切であります。
合掌
2021/12/03 前住職 本田眞哉 記