法 話

(250)2022年」


 





『了願寺開創五百年』


2022(令和4年)明けましておめでとうございます
 
 

了願寺は2022(令和4)年、開創500年を迎えます。了願寺の前身は「歸命寺(きみょうじ)」と号し、宗派は天台宗で大府の延命寺の下寺であったと伝えられています。1522(大永2)年、良空(りょうくう)法師が真宗に改宗し寺号も「了願寺」と改め、開基(初代)住職に就任。1547(天正16)年、海辺にあった寺域を海岸段丘上の現在地に移転。開基・良空住職就任の1522年から数えて2022年はちょうど500年になります。じゃぁ、開創500の記念法要・記念事業を企画しなくっちゃ、とのお声がけもあろうかと思いますが…。

当山では、2004年に蓮如上人(れんにょしょうにん)五百回御遠忌(ごえんき)法要、2019年には宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要を厳修しました。いずれも大法要をお勤めし、記念事業を展開しました。記念事業を含めた御遠忌法要の総予算は、蓮如上人五百回御遠忌法要では15817万円、宗祖親鸞聖人七百五十回忌法要においては6,556万円を計上しました。ということは、十数年間に合計22300万円余のご懇志上納をお願いしたことであり、開創五百年法要で再三のお願いは心苦しく、はたまたコロナ禍のこともあり、内勤めで執り行いたいと考えております。

 開基良空法師のあとを受け、二代目良賢法師、三代目真海法師、四代目改轉法師…と続き私が第十六代、現住職は第十七代。一代は30年とか。30(年)×16(代)=480(年)。17代現住職は就任後11年を経ていますが、今後10年間在任するとすれば500年に達するということになりましょう。130年の定説?とピタリ整合。いずれにしましても、室町時代から安土桃山時代を経て江戸時代、そして明治・大正・昭和の近代、さらに昭和・平成・令和の現代に至るまで、17代にわたり法灯が伝承されてきたことは誠に尊いことであり、先人のご苦労を忍ぶとともに、謝念一入です。

 ここで話を再び室町時代に戻して、開基良空住職代より了願寺の有力檀家(だんか)(門徒)に「永井家」があります。武将永井直勝が緒川村に在住していたとこがご縁となったようです。直勝の長男正直が当山記録上の永井家初代。他の兄弟は武将として戦果をあげていましたが、正直は武道に入らず荒井村で営農・塩田・造塩業に專念。墓碑の刻銘「潮岸院(ちょうがんいん)」がその地勢と生業を表しています。その永井家、現在は第15代で東京世田谷在住ですが、第12代は当主・松右衛門はじめ錚錚(そうそう)たる面々が名を連ねています。因みに、長兄は久一郎、その長男壮吉は文化勲章を受章した永井荷風。松右衛門の弟君には「釤之助(さんのすけ)」の名。荷風の叔父。

 
  永井家一統の墓地区画の中心に初代正直氏夫妻の墓碑

之助は33歳で松山藩士・坂本政均の養子となり、坂本に改姓。福井・熊本・鹿児島県知事を歴任後、名古屋市長に就任。貴族院議員にも勅撰され、1934(昭和9)年には枢密院顧問官(すうみついんこもんかん)に任ぜられました。系図によると、坂本之助の孫が坂本若葉子で、その夫君が野村萬作。その間に生を享けたのが野村萬斎(まんさい)、本名:野村武司。NHK総合TV番組「ファミリーヒストリー」制作担当から取材の申し入れがありました。去る10月デ゙イレクターが来山、事前調査。12月にはカメラが入りました。狂言師・野村萬斎のルーツを訪ねて永井家に至ったところから、その初代正直(ゆかり)の当山での取材を企画したとのこと。on air20221月末or 3月? (文中略敬称)

合掌

2022/01/03  前住職 本田眞哉 記

                                                  

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