法 話

(26)自然と人知」

 花粉症のシーズンも終わりを告げようとしています。症状の重い方々には、ようやくティッシュから解放されたという思い一入でしょう。五人構成のわが家では、若夫婦と孫が花粉症で「クシャン、クシャン、ジクジク」とやっております。何ともないのは老夫婦のみ。

 花粉症はアレルギー症の一つとか。聞くところによれば、幼児期に(あまりにも)清潔な環境で育ったことがアレルギー症の原因の一つだそうです。そういえば、いまの若い世代が幼少のころ、水道の全国的普及、道路舗装の完備、授乳時の徹底した消毒、キッチンの清潔近代化、トイレの水洗化等々が急速に進みました。

 プールが普及し泥川で泳ぐこともなくなり、日常的な泥んこ遊びが消えてしまいました。堤防や護岸がコンクリート化され、入江での蟹捕りや小川での魚すくいもできなくなりました。そうしたお陰か、寄生虫もいなくなり「海人草」を飲む必要もなく、子どもの「はやて」で死ぬなどということも今は昔。

 「何を老人の繰り言を…」とおっしゃる向きもおありかと思いますが、アレルギー症がこうした生活環境の近代化・清潔化と表裏の関係にあるとすれば、何とも皮肉な話ではありませんか。

 ところで花粉症対策としては、ティッシュのみならずいろいろな方策があるようです。もちろん医者さまに診てもらって飲み薬を服用するとか、点鼻薬や点眼薬を差すとか、あるいはマスクをするとか、防塵メガネをかけるとか…。はたまた、ヨーグルトを食べるとよいという説も。しかし、特効薬が開発されたという話を聞いたことがありません。

 テレビでは、天気予報の続きに花粉飛散予報も出されています。ということは、花粉症の人がいかに多く、その人にとっては予報が生活のための緊要な情報となっていることを物語っているのでしょう。

 そうした折り、先日「おやッ」と思う話題がテレビ・ニュースで報道されました。その話題とは、花粉のでない杉の苗木を育成しているというもの。三重県の農林試験場だったかと思いますが、ある研究員が林の中から花粉の飛ばない杉の木を見つけ、交配を繰り返して花粉の飛ばない品種を開発したということでした。いまでは何千本かの苗木の育成に成功し、広々とした育苗畑一面に高さ1メートル余に育った苗木が植わっている光景が映し出されていました。

 花粉の飛散しない杉の木はまさに「人畜無害」。数十年後、こうした杉林ばかりになれば杉花粉症で苦しむ人はいなくなり、バイオテクノロジーのお陰で快適な生活ができるようになるでしょう。がしかし、果たしてそれでよいのでしょうか。

 こうした“改良”は、いわば自然の節理に反すること。いずれはどこかで歪みが出てくると思います。他にもこうした類の研究開発が進められ、人類がその恩恵を蒙っている例もたくさんあります。いわゆる「品種改良」の名のもとに、人間にとって都合のよい動植物が作り出されてきました。

 特に20世紀後半、「バイオテクノロジー」の時代に入っては、遺伝子組み換えによって新しい性質を付与した農作物が開発されるようになりました。例えば、完熟状態で収穫して時間をかけて輸送しても、店頭で日持ちするトマト。除草薬の影響を受けない大豆や菜種、害虫に強いジャガイモやトウモロコシ等々。

 一方、遺伝子解読の研究も進められています。「イネゲノム計画」とか「ヒトゲノム計画」と呼ばれるもの。イネゲノム計画では稲の持っている遺伝子、ヒトゲノム計画では人間の持っている遺伝子の解読に取り組んでいます。イネゲノムは昨年解読を終え、ヒトゲノムの解読は、アメリカを中心に国際共同チームで進められています。本年4月中ごろに解読完了が宣言されました。因みに、日本もこの共同研究チームに参加していますが、寄与率は7%とか。

 新聞報道によりますと、ゲノムがほぼ解読された生物は百数十種類におよぶそうですが、これらの基礎データを次のステップでどのように活用するかが問題です。遺伝子の比較研究により、新たな予防方法や画期的な治療方法が生まれ、私たちに恩恵がもたらされることは間違いないと思いますが、研究成果の“悪用”は避けてもらいたいものです。特に「クローン人間」の製造は、断じて許されるべきでないと思います。

 もう一つ心配なことは、バイオテクノロジーをはじめ人類の科学技術の進展が、生物と地球環境のバランスを崩してしまわないかということです。バイオテクノロジーは、地球上に存在しなかった遺伝子を人為的に作り出すことができます。そして遺伝子工学や細胞工学の技術によって、新しい遺伝子を持った新種の生物やウイルスを創り出すことができます。

 そうして創り出された未知の生物やウイルスが、新たな感染症を引き起こす可能性も指摘されています。いわゆる「バイオハザード」であります。WHO(世界保健機関)の報告によりますと、最近20年間で30以上の未知の感染症が登場したとのこと。そしてその原因は、自然および人為的な遺伝子組み換えにあるとする説もあるとか。

 折しも、「新型肺炎(SARS)」の猛威が連日報道されています。この新しい感染症の最初の発症は昨秋のようですが、今春になってからにわかに話題になり、4月に入ってからは感染が爆発的に拡大し、長期化が憂慮されています。

 新聞紙上には、毎日といっていいほど新型肺炎に関するヘッドラインが踊っています。曰く「香港 一日で十二人死亡」「感染四〇〇〇人に迫る 中国修正で急増」「死者217人 死亡率5.6%」「感染四六四九人、死亡二七四人に」「北京に“禁足令”」「疑心暗鬼、物流にも影響」「新型肺炎の損失 全世界で3兆円超」etc

 アジア地域、特に中国の状況は深刻。当初「患者隠し」をしたことが感染拡大に拍車をかけた形で、首都北京は「見えない敵」に戦々恐々。52日現在、世界30の国・地域で感染者は6000人超、死者400人超。中国では感染者3799人、死者181人。北京だけでも感染者数1636人、死者数91人。

 新型肺炎の原因究明にはかなり時間がかかったようですが、コロナウイルスの変異した新種のウイルスであることが判明。WHOは「SARSウイルス」と命名しました。感染ルートについては、空気感染や汚物を通じた感染の可能性も捨てきれないものの、飛沫感染が最有力視されています。

 未知のウイルスが原因であることと、感染ルートが確定されないことから、有効な薬剤と治療法が見つかっていないのが現状。ここに問題の深刻さがあります。新薬開発には12年を要するとも。当分の間予防と治療に手探り状態が続くことになりましょう。要するに、いままでに人類が経験したことがない病気に出くわして、アジアの国・地域を中心に世界中が右往左往しているのが実状。

 しかし、未知の病気に出くわして世界中が当惑するのは今回の新型肺炎に限ったことではありません。専門的なことは分かりませんが、狂牛病然り、エイズ然り、エボラ出血熱、これまた然り。

 こうした新感染症の発生が人類の生物・医学技術の進展と裏返しの関係にあるのではないか、と見るのは私のひが目でしょうか。人類の新薬開発競争に対抗して新種のウイルスが生まれていたのではないか。はたまた、まさかとは思いますが、遺伝子操作によって作られた新種のウイルスが、何らかのミスによって実験室から外部に洩れたのでしょうか。だとしたら大変、これまさに「バイオハザード(生物災害)」の問題。所詮人間のやること、絶対安全ということはあり得ません。身の毛のよだつ思いです。

 バイオテクノロジーにより、新薬が開発され新しい治療法が編み出され、人の命が延伸されることは喜ばしいことかも知れませんが、負の部分が必ず裏側にあることも認識しておかなければなりません。この事実に目を向けず、闇雲に開発競争の道を突っ走ると未知の落とし穴に遭遇することになりましょう。

 人類の幸福のためにとか、豊かさと利便のためにとかいう大義のもと、20世紀に進められた人知による開発行為のツケが、いま私たちに重くのしかかっています。核燃料の問題、PCBの問題、アスベストの問題、ゴミ処理の問題、ダイオキシンの問題等々、枚挙に暇がありません。知らず知らずのうちに、大自然の中の生きとし生けるものの間のバランスを崩してしまっているのです。心すべきことだと思います。

 宗祖親鸞聖人の書かれた『末燈鈔(まっとうしょう)』の()に「(前略)自然(じねん)というは、自はおのずからという。行者のはからいにあらず、しからしむということばなり。然というはしからしむということば、行者のはからいにあらず、如来のちかいにてあるがゆえに。(後略)」と出ております。

 末燈鈔というのは親鸞聖人の書かれた書簡集ですが、その第五通で、自然とは「おのずからしからしむ」という意味だとおっしゃっています。そして「おのずから」も「しからしむ」も「行者のはからいにあらず」と。「行者」とは私たち生活者のこと、「はからい」は分別・計算のこと。

「もとよりそのようにある」自然を、私たち生活者が利益を計算して改造したり、分別でもって動かしたりすることは、自然のことわりに反することではないかと、私たちに問いかけてくださっているのではないでしょうか。自然のことわりとは、聖人のお言葉をお借りすれば「如来のちかい」ということでしょう。開発・研究を進めるのが人知であるのに対して、仏智あるいは仏慧といえましょう。21世紀のいま、人知は常に仏智の光に照らされて、人類にとって悔いのない道を歩むことが希求されているのではないでしょうか。  合掌

                          【2003.5.2.住職・本田眞哉・記】

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