法 話

(29)続「愚かさとは」
















 次に「謙虚さ」。これもなかなか厄介な問題です。「謙譲の美徳」といわれるように、謙虚さは一般的にはプラスの概念。これがなぜ「愚かさ」といえるのでしょう。

 ところが、注目したいのは前述『大漢語林』の「謙」の解説「…自分をおさえて、人にゆずる」。「人にゆずる」はともかく、「自分をおさえて」が気になるところ。自分が心底納得して自然体でゆずるのではないのです。人にゆずる心のはたらきの中に、先々の取引材料として“貸し”を作ったり、あるいは自己保身のゼスチャーだったりする魂胆は全くないといえるでしょうか。

 美しく見える「謙譲」も、所詮人知で考えられたもの、純粋に自己を犠牲にして生まれてくるものではありますまい。もちろん釈尊の本生譚(ほんしょうたん)『ジャータカ』に説かれているウサギの「焼身供養」とは比べようもありません。

 話は飛びますが、先日ある金融機関を訪れ、ATMのタッチパネルで「通帳記入」の操作をしました。通帳が機械に吸い込まれてゆくと、ガイド音声が聞こえてきました。曰く「ただいまお手続きをしております」。この言葉遣い何か奇異に感じませんか? 最近、謙譲語も含めて敬語の乱れ(変化?)が大変顕著なように思うのは私ひとりでしょうか。

 さきごろ、文化庁が実施した日本語に関する世論調査の結果が発表されました。そのなかでもっぱら話題になっているのがよく耳にする「千円からお預かりします。」とか「会計のほう、○○円になります。」という言葉遣い。

 こうした日本語の「乱れ」や「揺れ」については、私はすでに1999年発行の拙著『萼』や2002年4月の了願寺ホームページ、2002年4月の『受教』紙で取り上げ問題提起してきました。

 文化庁の調査は6年ぶりということですが、どのマスコミもこの話題を一斉に取り上げて、2度3度と報じていました。専門家のみならず、一般人も日本語表現の乱れや誤用に関心を抱く人が増えているようです。

 調査結果によりますと、「お会計のほう…」については半数の人が気になると答え、「千円からお預かり…」は45%が気になると答えているとのこと。

 ところで、なぜこういった表現が使われるのでしょう。本来「お会計は○○円になります」というところでしょうが、「ほう」を入れることによって言い方がえん曲になり、高い金額でも数字の圧迫感を和らげるころができるのでしょう。

 また、「1000円からお預かりします」も本来的には「1000円をお預かりし、その中から○○円頂戴いたします」ということでしょう。が、レジの実状としてはそんな回りくどいことをいっている余裕はありません。そこで「から」を使って頂戴する金額のインパクトを弱めると同時に、客に対してへりくだって1000円札を崩させてもらうという意を込めて、自然発生的に生まれてきた丁寧語ではないでしょうか。歌人の俵万智子さんはこのことについて「言葉のクッションとして使っているのでは」(中日新聞)と分析していらっしゃいます。なるほど。

 謙譲語といい、丁寧語といい、いずれも話し手がへりくだって丁寧に述べ、相手に敬意を表す用語で、結果的に相手を高める表現方法。そこには日本語の奥ゆかしさ・潤いが感じられます。が反面、その裏には不気味な影がつきまとっていると思います。

 対話の中で展開されるこの表現、「相対」の次元であって「絶対」のレベルではないわけです。「へりくだる」ということは、相手に対して(精神的に?)頭を下げて自分を低くして謙遜すること。その結果、相対的に相手は高くなり尊敬したことになります。心底相手を高く見て尊敬しているということとは別問題。

 作られた相対関係ということであれば、その裏には自己中心の打算・取引のテクニックの影が見え隠れします。この影に気づかされたとき、うわべだけの謙虚さがいかに相手の心を傷つけていたか、慚愧の念一入であります。仏さまの眼でご覧になればこうした相対的な「謙虚さ」はまさに「愚かさ」でありましょう。

 因みに、『広辞苑』(岩波書店)巻末の「国文法概要」には次のように記されています。
 (前略)尊敬・謙譲は、親愛・遠慮・上品・丁寧・馬鹿丁寧、転じては軽侮に至るものまである。(後略)

 慇懃無礼
(いんぎんぶれい)などという言葉がありますが、「馬鹿丁寧」「軽侮」に至ってはズバリそのものでしょう。もちろんこれは文字面上の要素が多いとは思いますが、使う側の心の動きの要素も含まれると私は思います。これまさに前述の「影」の部分で、広辞苑の鋭い指摘に驚かされます。

 親鸞聖人は,生涯かけてご自身の心の軌跡を鋭く、しかも徹底的に検証され、完全なる心の安らぎを求められました。しかし人知による、自力による検証はあくまで相対的なものであり、絶対的な真実心に満ちた境地に至ることができませんでした。

 苦悩の果て、日本仏教の根本道場・比叡山と決別し、法然上人の草庵を訪れ本願念仏の教えに出遇われました。他力の仏道に転入し、阿弥陀仏の仏智による自己検証によって新しい真実の世界を開顕されたのです。お念仏の教えに救われたのです。聖人のライフ・ワーク『教行信証』には「雑行(
ぞうぎょう:『自力』)を捨てて本願(『他力』)に帰す」と、自らの人生の大転換点を書き記されています。
               【2003.7.3.住職・本田眞哉・記】

  

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