法 話

(47)「生きる力


:安養浄土の荘厳は

唯仏与仏の知見なり

究境せること虚空にして

広大にして辺際なし

親鸞聖人作『高僧和讃』

 2002年度から、小・中学校9年間の義務教育に新しい「指導要領」が導入されました。新指導要領のコンセプトは、私の独断と偏見で端的に言えば、「子どもたち一人ひとりが基礎基本に習熟するととともに、時間のゆとりの中で“生きる力”を養う」ところにあるのではなかろうかと思います。

 同時に施行された「学校週五日制」と相俟って、子どもたちに「ゆとり」の時間を活用して課題を見つけ、その解決に意欲をもって主体的に取り組み、結果はもちろんそのプロセスの中で「生きる力」を培おうということでしょう。五日制となって授業時間数も減少することになり、勢い指導内容も精選されたわけです。

 新指導要領への“バトン・ゾーン”の時期も当然ありましたが、何事も新制度に移る時は多少の混乱はあるもの。特に保護者からのとまどいの声を受けてか、導入後わずか1年半ほどを経過した時点で、オピニオン・リーダーといわれるような人の中から「ゆとりある教育のために学力が低下している」というようなブーイングが出てきました。計算能力が落ちたとか、漢字の読み方書き方の力が低下しているとか。文部科学大臣までがこうした声に右往左往して、新指導要領の見直しにまで言及する始末。

 さらに、昨年12月にはOECDから「生徒の学習到達度調査(PISA)」の結果が発表され、こうした動きに拍車がかかった感があります。正確なデータは失念しましたが、報道によれば数学については、日本は香港、フィンランド、韓国などに続いて第6位で、前回2000年よりランクが下がっているとか。また、総合読解力も前回に比べてかなり順位を下げていたと記憶しています。

 しかし、このPISA調査は2003年に実施されたもの。しかも15歳児を対象としての調査。義務教育を終了した児童・生徒を調査対象としているとのこと。ということは、日本では高等学校1年生。2002年度に新指導要領が実施されたのですから、対象生徒は義務教育9年間の最後の1年のみを新しい教育システムで学習したに過ぎないのです。

 いわゆる学力低下が新指導要領導入のせいだとするならば、わずか1年間でその“成果”が調査結果に表れたことになり、いかがなものかと疑問が湧いてきます。また、「教育は百年の計」といわれるように、1年〜2年の短期間で慌てて右往左往することではないと思います。教育の総本山である文部科学省自身が揺れているようでは困りもの。

 さらに付言するならば、巷でいわれる「学力」とはいったい何なのかという問題もあります。おそらく一般的に「学力」と呼ばれているものは「記憶力」とか「知識力」をさすのでしょう。あるいはそのものズバリではなくとも、「記憶力」「知識力」偏重の考え方だと思われます。

 しかし、私は「学力」とは「智恵力」、「生きる力」ではなかろうかと思います。もちろん、基礎的なものとして「記憶力」や「知識力」は子どもの発達のために欠かせないものですが、それのみに終わってしまったら、主体的にものごとに取り組む力や姿勢は出て来ないでしょう。

 「記憶力」や「知識力」を土台としてその上に「総合力」や「創造力」が積み重ねられなければ、新しい時代を生き抜く人間形成はできないと思います。いくら世界のランキングで「学力」という名の成績が最上位にあっても、複雑多岐にわたる21世紀の国際情勢の中で、日本の「生きる力」にはなりますまい。

 自分を取り巻く状況を多方面から総合的に見極め分析して、新しい道を創造していく力の育成こそがこれからの教育に求められていると思います。凝り固まった「記憶力」や「知識力」のみに頼ることなく、広大無辺の視野をもって総合的に事態を把握して課題を発掘し、狭視的視野を超えて新しい世界・価値観を切り拓いていける人材を育てたいものです。合掌 

《2005.2.2 住職 眞哉・記》

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