法 話

(5)「真宗門徒のお盆」

  8月の声を聞くと、間もなくお盆だなあと感じるのは私一人ではありますまい。そう、8月13日〜15日はお盆です。ところが、この時期をお盆とするのは愛知県以西で、「名古屋盆」とか「月遅れ盆」と呼びます。本来は7月13日〜15日をお盆の期間としたものです。したがって、関東地方では「7月盆」が主流です。

 「お盆」の元は「盂蘭盆
(うらぼん)」。そのまた語源はサンスクリット語の「Ullambana(ウランバナ)」。その「Ullambana」を漢字に音写すると「盂蘭盆」となり、さらに「盂蘭」を省略して「盆」、そして丁寧の意を表す接頭語「お」がついて「お盆」になりました。では、サンスクリット語の「Ullambana」の意味は如何に?ということになりますが、「倒懸(とうけん)」と漢訳されています。「逆さ吊り」といった意味です。私たちがイメージしている「お盆」とは全くかけ離れた意味合いですね。そのいわれを尋ねてみましょう。

 今から約2500年前、お釈迦さまご在世のころのストーリーです。ところはインドの北東部。お釈迦さまのお弟子に目連
(もくれん)という方がいました。目連さんは“神通第一”といわれ、偉大な神通力(じんずう)を持っていました。ある日目連さんは神通力を駆使して亡くなった母の様子を見ました。すると亡母は地獄で餓鬼道(がきどう)に堕ち、倒懸の苦しみにあっていることが分かりました。心を痛めた目連さんは矢も楯もたまらず、お釈迦さまのもとへ駆けつけました。そうして、どうしたら救うことができるか教えを請いました。

 お釈迦さまは「衆僧(大勢の僧)を招いて三宝に供養しなさい」と教示されました。目連さんは教えられたとおり早速衆僧供養会
(しゅうそうくようえ)を勤修しました。再び神通力をもって亡母の姿を窺(うかが)ったところ、母は安楽に暮らしていました。これを知った目連さんは、歓びのあまり我を忘れて踊りだしたということです。これが盆踊りの起源です。いま公民館広場やお寺の境内、あるいは小学校の校庭で、櫓を中心に踊りの輪が広がる盆踊り、もとはといえば地獄の苦しみにあっている母が助かったことを歓んだ踊りだったのです。

 助かった歓び、これはなかなか感得できるものではありません。水中に転落して救助され時の歓びとは異質のもので、地獄の苦しみから心身ともに開放されたときの歓び。心の闇に光明がさして明るい世界がぱっと開け、閉塞状態から解放された歓び。回りの何かが変わったわけではない、状況が好転したわけではないが、仏さまの智慧の光がさして心がひるがえること(回心)によって呪縛された心が解放される。そのとき人間の根本から沸き起こる歓び(法悦)を感得することができ、そして歓喜のあまり踊り出すのです。

 歓喜のあまり踊り出すといえば、竹部勝之進さんの詩をを思い出します。『詩集 はだか』の中の一編です。

     
生き甲斐
   我ガ身ガ 我ガ身ニアウ
   手ノ舞イ足ノフムトコロヲ知ラズ
   我ガ身ガ 我ガ身ニアウ
   コレ 我ガ身ノ生キ甲斐

 
 詩に解説を付けるなんて野暮なこと、と承知の上で若干補説してみましょう。「我ガ身ガ 我ガ身ニアウ」というのは、実存としての私が本来的自己に出遇うということです。平たくいえば、私が私に生まれてよかったといえること。実存的私は、何ごとも自分の思うままにしたいという心を持つ「自我」で生きています。そこには、私の「思い」と「身」の乖離があり、そのギャップを埋めるために悩み苦しみ、閉塞状態に陥るわけです。また、対他的には「自我」同志のぶつかり合いにより、怒り・妬み・貪りの心に苛まれ、果ては争いの泥沼にはまり込んでしまうのです。

 そうした「自我」のメカニズムに気づかされたとき、人の心の深奥にある「自己」に目覚め出遇うことができるのです。その瞬間、自分の「思い」にとらわれていた「自我」から解放され、私が私を喜べる明るい世界が開け、歓びに満ちあふれる人生が始まる。その歓びを竹部さんは「手ノ舞イ足ノフムトコロヲ知ラズ」と表現していらっしゃいます。歓びのあまり、手が舞い上がり足は浮き上がって踊りだしてしまう、ということでしょう。

 もちろん、この心の大転換「回心
(えしん)」は、自分の努力で得られるものではありません。「自我」の力で「自我」を解明しようと試みても、それはあたかも自分で自分の体を持ち上げようとすることと同じで不可能。日ごろ道を求める私の願いと、私にかけられている仏さまの願いとの邂逅の瞬間以外には「自我」が明らかになる方途はありません。仏さまの智慧の光は、常に私を照らしてくださっています。ところが、受信する私のチャンネルが合っていないために気づかすに「空過」してしまっているのです。チャンネルが合えば智慧の光が闇を破ることができます。「破闇(はあん)」です。「感応道交(かんのうどうこう)」の世界の発見です。

 竹部さんは1966年に胃ガンの手術を受け、療養中に前掲の詩を作られました。医療技術もそれほどでなかった当時、ガンの宣告と手術、さぞかし大変なことだったでしょう。にも拘わらず、「自己」に出遇うことによって生かされている喜びを味わい、健常者以上の「生き甲斐」を感じていらっしゃるのです。凄いことです。状況の変化に惑わされることなく、いまの自分に絶対満足し一日一日を大切に、生き甲斐を感じて生きる、まさに念仏者・独立者の生き方です。因みに、心に響く竹部さんの詩を引用させていただきます。

     クラサ
   ハズカシイコトデアリマシタ
   クラサハ
   ワタシノクラサデアリマシタ

     ヨロコビ
   イツデモヨロコベルヨロコビ
   ドコニイテモヨロコベルヨロコビ
   コノヨロコビヲヨロコブ
   コノヨロコビ
   コノヨロコビハ
   ワガチカラデヨロコベルヨロコビデハナカッタ

     天下泰平
   フッテヨシ
   ハレテヨシ
   ナクテヨシ
   アッテヨシ
   シンデヨシ
   イキテヨシ


 竹部勝之進さんは、まさに「自己」に目覚めた人でありましょう。「自己」の心とは言い換えれば「信心」のこと。竹部さんは信心を獲得
(ぎゃくとく)された、助かった人だと思います。親鸞聖人の教えに叶った人、真の仏弟子、真の念仏者だと思います。

 親鸞聖人の教えには、お盆に先祖の霊が家に帰ってくるということはありません。したがって、真宗門徒においては、他の宗派のようにナスで馬を作ったり、三度三度のお膳をお供えしたり、迎え火・送り火を焚く必要はありません。亡き人を偲び、仏法を伝承してくださった先祖の遺徳に感謝して、お内仏にお参りしお寺に足を運んで仏さまの教えを聞くのが真宗門徒のつとめです。本願念仏の教えを聞き開き、竹部さんのように「仏性
(ぶっしょう)」と言っていいかもしれませんが、本来的「自己」に出遇って、我が身が我が身に遇う歓びを得たいものです。            合掌。                             2001.7.27.本田眞哉・記】


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