法 話

(51)「風の薫り

よきことをしたるが


悪きことあり


悪きことしたるが


よきことあり

─『蓮如上人御一代記聞書』


 「忙中閑あり」、きのう“ぶらり京都”へ行ってきました。まずは本山参り。本山・東本願寺は目下修復工事中。烏丸通りから見る御影堂は、壮大な瓦葺き二重屋根の雄姿は望めず、バカでかい素屋根で覆われていました。灰色と銀色の巨大な体育館を思わせる全く風情のない景観。

御影堂門の脇には巨大な立て札。2011年に厳修される宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要を知らせる立て札。聞けば札の長さは35m余、幅2m余で、支柱を含めると地上6mに垂んとする高さがあるとか。そうそう、去る520日に立札式があり続いて御遠忌のお待ち受け大会があったのです。

御影堂門をくぐって、斜め左方向へ歩を進め阿弥陀堂へ。御影堂修復中は、本山での諸法要・諸儀式・諸行事はすべて阿弥陀堂で執り行われます。そのために浜縁に仮設の畳敷きスペースが設けられ、大間は大幅に拡張されていました。

堂内にはご門徒の他、修学旅行分散学習で訪れた中学生や外国人の姿が見受けられました。大間の本間部分の前半分ほどが矢来で仕切られていたため、何か法要が勤められるのかなと見ていたところ、ちょうど午前11時、須彌壇収骨の法要が始まりました。

焼香の呼び出しを聞いていると、福井・東京・岡崎・熊本…と全国各地からお骨納めに上山されているようです。後席でお参りさせていただきましたが、読経後の法話や説明が“いまいち”の感。女性職員の担当でしたが、マイクを使わなかったせいか話術がまずかったためか、話半分しか理解できませんでした。一考を要するのでは…。

本山参拝後の私たちの定番コースは京都駅前の「泉仙」での精進料理。時代とともにお店も変革か、畳席を椅子席に変換して畳席が激減。定休日もなくなったとか。鉄鉢料理は、器が多少変わったようですが味はグー。

食後、本山前にある念珠店へ。これまた定番コース。念珠の購入と注文をすませて、さてきょうはどこへ行こう? いつもは美術館の催事等を予め調べてくるのに、今回は急だったので情報を入手せずに来てしまったのでこの体たらく。そうだ、洛西の清涼寺へ行こう。

先日放送されたNHKの「新シルクロード」で清涼寺の名が出ていたのです。清涼寺には、シルクロードの亀茲(きじ)国から伝来した釈迦如来像があるという。なるほど、ありました。体内に五臓六腑がある等身大の釈迦如来立像。もちろん五臓六腑は作り物ですが、そのレプリカが本堂内のガラスケースの中に展示されていました。

次は洛北の光悦寺へ。カー・ナビに光悦寺の電話番号をインプットしてGo! 京都は古都、街並みの中の道は狭くて走りにくいが、市街地の外周道路のこの道は渋滞もなく比較的スムーズ。30分ほどで目的地周辺に到着。ところが入り口が分からない。近くの寺に入り込んだり地図を拡大したりしてようやく光悦寺に到着。

光悦寺の庭園は素晴らしい。目の覚めるような新緑。右を向いても左を見ても。数席ある茶席も木々の間に点在し、周りの風景と実によく調和していました。と、ありました、ありました「光悦寺垣」が。高さは2mほどで、長さが20mほどありましょうか、元祖光悦寺垣。割り竹の太い枠の中にやはり割り竹の菱形格子模様。わが自坊の庭にもしつらえてありますが、さすが本家本元、光悦寺の垣は風格があり重厚そのもの。

光悦寺垣を眺めながら、新緑したたる園内の小径を散策しているとまさに「風薫る五月」の実感。と同時に、「五月の鯉の吹き流し」「五月晴れ」「五月雨」「五月闇」…といった言い習わされた熟語が連想ゲームのように脳裏に浮かんできました。悠久な時の流れに裏打ちされたこうした言葉は、何ともいえない奥行きと暖かさをもって心に響いてきます。

そうそう、数日前に読んだ中日新聞のコラムを思い出しました。小出編集局長が「漢数字の香り」という題で執筆していました。まず、この題名に心を打たれました。まさに「風薫る五月」にピッタリ。別に五月になると、風そのものに香りがついてくるわけではありませんが、何となくそんな気がします。先人の感性豊かな表記でしょう。「漢数字の香り」というのも、インクの匂いのことを言っているわけでなく、何となく漢数字の醸し出す雰囲気というか、味わいを筆者は表したかったのでしょう。ディジタル化が進む中、超アナログ的感性の表記と受け止められるのではないでしょうか。

さて、コラムの内容ですが、一口で言えば新聞の見出しは別として、縦書き記事本文中の数字表記の問題。漢数字を用いるか、洋数字化するかは新聞各紙によってまちまちとのこと。日付の表記を例に挙げれば、中日新聞では「十一日」、M紙では「11日」。洋数字化すると、「十一」を半角組文字にするために「11」となり一字分短くなって、限られた紙面の有効利用ができるそうです。なるほど。

字数を節約できるならば、すべて洋数字化すれば効率的でいいじゃないか、ということになるのですが果たして…。「三日月」「十六夜」「二人三脚」も洋数字化すると「3日月」「16夜」「2人3脚」ということになりますか。しかしこれではどうもいただけません。よろしいとおっしゃる日本人はまずなかろうかと思いますが。筆者は、千数百年も使ってきた漢数字は文化であり、日本の香りであると書いていらっしゃいますが、全く同感です。私も縦書きで執筆する場合は漢数字にこだわっています。

前出の「五月(さつき)」絡みの熟語についても、例えば、「五月晴れ」を「5月晴れ」と書いて「さつきばれ」とルビを打ったら文化の香りが感じられるでしょうか。「5月雨」に「さみだれ」とルビを付け、「16夜」と書いて「いざよい」と読むとなるとお笑いと感じるのは私だけでしょうか。

新聞記事本文中の数字をすべて洋数字で表記すると、新聞1ページで5行分ほど余白ができるそうです。その利便・効率のために日本人が慣れ親しんだ漢数字・日本文化の香りを犠牲にして貰いたくないものです。     合掌

《2005.5.25 住職 本田眞哉・記》

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