法 話

(62)デジタルとアナログ」

 念仏には
 
 無義をもって無義とす。

 不可称不可説
 
 不可思議

 のゆえに

         『歎異抄』より
 

 私こと、このところパソコンのトラブルでてこずっています。

 私がパソコンを始めたのは今から15年前、50歳代半ばを過ぎてから。まだウインドウズのようなOSもなく、コマンドを打ち込みながら12インチのモニターとにらめっこ。ハード・ディスクも容量が少なく、プログラムは5インチの薄いペラペラのフロッピー・ディスクをいちいち差し込んで立ち上げねばなりませんでした。もちろん、データも5インチフロッピー・ディスクに保存。

 二代目のパソコンでウインドウズ95が入りました。データ処理能力は初代に比べて格段の差。プログラムファイルもハード・ディスクに収容でき、データもハード・ディスクとフロッピー・ディスクに保存することができるようになりました。しかも、フロッピー・ディスクは3.5インチとコンパクト。しかし、データ処理はテキストが中心で、画像は単純なロゴか手書きの図ぐらいしかできなかった記憶です。

 三代目のパソコンが入ったのは2001年。ウインドウズはXPとなり一段とバージョン・アップ。ハード・ディスクの容量もC:15GB、D:85GB、E:100GBとなり、メガ単位からギガ単位へと飛躍的に拡張。膨大な画像処理データも気兼ねなく保存することができるようになりました。そうそう、スキャナーも接続できるようになり、ネガフィルムやプリント写真から画像を取り込むことも可能に。加えて、CD/DVDの読みとり・書き込みもできるようになり多様なデータ保存が可能になりました。

 そうそう、USBが導入されたのもこのマシンから。プリンタ5台をオンライン接続。カラー・レーザーコピー機、カラー・インクジェット・プリンタ、モノクロ輪転印刷機、モノクロ・レーザープリンタ、L判写真専用プリンタの5機種を用途に応じて使い分け。こうしたことが簡単にできるようになったのもUSB接続が誕生したおかげ。しかも最近は高速バージョンUSB2が一般化し、データ伝送がスピード・アップされました。

 このホームページを開設したのもこの三代目マシン。最初の基本ページはSEに作成を依頼しましたが、以後追加・更新はすべて私の手づくり。毎月3日に更新することにしていますが、一か月の時間の経過の速いこと。更新してやれやれと思っているとすぐに次の更新時期が迫ってきます。この「法話」のページも62回目を数えますが、原稿執筆も大変。さらに時節の写真撮影、旅のスナップ写真の掘り起こし、年中行事の案内・報告の書き替え等々の作業もあり、視力の衰えへの影響も心配。自分ながらよく続いてきたものだと思うことしきり。

 先月半ば、四代目のマシンを導入。アプリケーション・ソフトのインストールをすませて、「寺院管理」のシステム・ファイルの乗せ替えは、ソフトの製作者でもあるSEに依頼。接続機器すべてセット・アップしドライバもインストール。Everything is OKとなりました。

 ところが、2〜3日してホームページのアップロードをテストしてみたところ、トラブルが発生。更新したページをアップロードしてみても、ウエブ・サイト上のページが更新されません。というよりも、悪い方へ“更新”されてしまいます。具体的にいえば、テキスト部分はアップロードできるけれども、画像部分ができない。フレームと×印のみでノッペラボウ。背景画像もダメ。

 不思議なことに、ホームページのローカル・サイトの置かれているマシンからインターネット上のホームページにアクセスした場合は、テキストも画像も正常。他のマシンでページを覗くとテキスト部分は正常なれど、画像部分は×印。それではと、ページのデータをそのマシンに移してアップロードを試行。するとウェブ・サイトのページは正常に見えます。

 キツネにつままれたような感じで頭の中は大混乱。思案のあげく念のためにと、プロパティでその画像の属性を調べてみました。すると、その画像のアドレスはなんとローカル・ディスク上になっているじゃありませんか。あれ〜? インターネット上でリンクしていないのです。は〜てさて、どうしてなのか、私の頭の中はますます混乱。「法話」の61からさかのぼって37ほどまでのページが同じ症状。参った。

 私の手には負えないので、遂にSEに“往診”してもらうことにしました。30分ほどあれこれ操作しながら“診察”した結果、「画像ファイルに何か余分なものがくっついとる」とのこと。そのページの「ソース」を開いてみると、画像ファイル名の前にローカル・ディスクのアドレスが付いていたのです。その部分の書き込みを手動で消してテスト。OK!! 原因が分かれば修復作業は簡単。20ページ余のページ・ソースの“垢”をすべてそぎ落として一件落着。

 一時「ファジー・コンピュータ」とかいうことが取り沙汰されたことがありましたが、やはりコンピュータには「ファジー」は許されないようです。今回の場合はアルファベットが20文字ほど余分についていてトラブったわけですが、1文字でも、否、ドット一つでも足りなかったり余分だったりすればコンピュータは正常に動きません。これがデジタル機械、コンピュータの物理的特色なのです。

 これから先、コンピュータは目に見える形のみならず、「マイコン」というような形で人間の日常生活の中にどんどん入ってきます。一方、人間のすること、考えることには「ファジー」な面があります。人間のファジーな感覚で、言うことを聞かないコンピュータに腹を立てる場面が多くなるかもしれません。しかし、人間のファジーなアナログ感覚は実に尊いもので捨て去られることはありますまい。21世紀を生きる人間は、両者の優劣を競うことでなく、暖かく人間味のあるアナログ感覚と、冷たいけれども正確無比なデジタル感覚の共存のもとに試行錯誤を繰り返しつつ、本当の価値観を追求していくほかないのではないでしょうか。 合掌

《2006.5.1 住職・本田眞哉・記》

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