法 話

(67)有り難い(上)」

  当たり前と

  思っていたことが

  有り難いと


  気づかされる
  

真宗教団連合『法語カレンダー』(10月)より


有り難い(上)
  

お彼岸入り数日前に大阪在住の門徒さんが亡くなられました。当山地元の旧家の出身で、全日空勤務ののち役員として傍系会社に出向され、長年会社経営に尽くされ65歳で退任された由。退職後はゴルフや釣りを楽しみ、時には旅行にも出かけられたとか。また、近隣在住のお孫さんたちもよく来訪され、団欒の時を過ごされる機会もたびたびだったようです。

数年前に胃ガンの手術をされたものの完治し、元気に余生を送っておられたところ、8月下旬ににわかに腰痛を覚え検査入院。検査の結果、進行性ガンと判り病状は急速に悪化。入院生活わずか3週間、退院できぬまま917日享年76歳で命終されました。ご家族の話では、日に日に病は進みあれよあれよという間に亡くなられたとのこと。

訃報を受けて早速枕勤行のために豊中市へ赴きました。久しぶりの新幹線でしたが、「のぞみ」は以前に比べてスピードアップされ、思ったより短時間でご自宅へ到着。故人は、痩せてはいましたが安らかなお顔で眠っていらっしゃいました。枕勤行をおつとめした後、生前の思い出話を交えながらお通夜・葬儀の日時・式場等について打ち合わせをしました。

お通夜と葬儀の式場は、御多分に漏れずご自宅でなく豊中市中心部の葬儀会館。わが宗門、わが地域での葬儀では通常僧二人で葬儀を執り行います。「導師」と「?役(きんやく)」の二人。「?役」は?を打つ役僧。「?」とは、一般的にはリンとかカネとか呼ばれている勤行の始めや途中で打ち鳴らす法具。

いつもの葬儀では、自坊の副住職が?役を勤めています。ところが、当日はあいにく先約の年回法事が入っていたため、副住職はそちらに出向かなくてはならず、近隣のお寺さまを頼むことにしました。しかし、それぞれご多忙でお断り。思案のあげく、同じ宗派の難波別院を通じて?役を依頼したところ、都合をつけていただけることになり一安心。

因みに、その役僧さんは難波別院勤務ながら、自坊は北海道とのこと。そして、出身大学は宗門関係学校である名古屋の同朋大学。ちょうど私が同朋学園(同朋大学、名古屋音楽大学、名古屋造形芸術大学、同朋高等学校、同朋幼稚園を設置・経営)の理事長をしていたころの卒業生で、私の顔も覚えているとのこと。まさに“奇しきご縁”とはこのこと。名古屋と大阪と北海道が結ばれるご縁の尊さ・有り難さに感動を覚えた次第です。

お通夜に始まり、葬儀式、還骨(かんこつ)・初七日・中陰(ちゅういん)・満中陰法要と続く一連の法要儀式の中で、私は必ず「正信偈(しょうしんげ=親鸞聖人作)」を読誦します。しかも、葬儀式の時は別として、いずれの場合も参詣の皆さんとともに唱和することにしています。

唱和するには、同じ様式の本が望ましいので、自坊で出版した声明(しょうみょう)本をお通夜の折りに持参して使い、使用後は御門とのもとで法要のたびに活用していただくよう「了願寺流」の方途を講じております。

昨日二七日にお参りした折りにも、その声明本を使って中陰法要を執行。法要後、その声明本のことが話題になりました。そのポイントは、表紙の裏に印刷してある「三帰依文(さんきえもん)」のこと。

亡くなられた当主には5人のお孫さんがいらっしゃいます。その中の外孫さん3人のうち、長男の方は洛南中・高等学校を卒業されたとのことでした。洛南中・高等学校といえば、京都の真言宗東寺の宗門学校。長男の方とそのお母さん(故人の娘さん)が声明本の表紙を開いたところ、「三帰依文」の文字が目に入り「あっ、懐かしい!」と驚きの声を上げたそうです。

聞けば、洛南中・高等学校では式典や宗教行事のみならず、PTAの会合のはじめにもこの三帰依文を唱えたとのこと。洛南中・高等学校では、教育現場での建学の精神の浸透に意を注いでいたのでしょう。ただし、パーリ文で唱えたようです。パーリ語というのはインドの地方語の一つですが、カタカナで表記すると次のようになります。

ブッダン サラナン ガッチャーミ (仏に帰依し奉る)

ダンマン サラナン ガッチャーミ (法に帰依し奉る)

サンガン サラナン ガッチャーミ (僧に帰依し奉る)

 このパーリ文の三帰依文は、真言宗のみならず仏教各派共通で使われています。前述の名古屋の同朋学園でも、式典や法要の折りには常にパーリ文の三帰依文を唱和しています。和訳の三帰依文は以下の通りですが、三帰依文の前と後に短文を置くことを通例としています。わが宗門では以下のように定められています。 合掌

《次号へ続く200610.1 住職・本田眞哉・記》


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