法 話

(69)よきことをしたるが…」

 
 よきことをしたるが、わろきことあり。

 わろき事をしたるが、よき事あり。

 よき事をしても、

 われは法義に付きてよき事をしたると思い、

 われと云う事あれば、わろきなり。

『蓮如上人御一代聞書』第189条より



「よきことをしたるが…」
  

このところ、「教育」に関わるニュースが、新聞各紙やテレビのニュース番組で頻繁に報道されています。小・中学生のいじめの問題。そこから派生した子どもの自殺、教職員の自殺。高等学校では、定められた必修教科を履修しない問題。そして、その問題に追いつめられた校長先生が自殺するというケースも。最近になって、中学校でも必修教科のコマ不足が発覚するという事態も報道されています。

こうした問題の発生・発覚に対して、文部科学省はかつてない素早い反応を示し、いろいろな角度からのコメントが出されました。報道されたところによりますと、教育委員会の機能が低下しているとか、教師の指導力が足りないとか、はたまた校長の管理能力に問題があるとか、いわゆるタカ派的な発言が多かったように思います。折からの教育基本法改正議論のなか、「愛国心」「道徳教育」とからめた意図もちらほら垣間見えて…。

そうそう、その教育基本法改正問題そのものも、いま教育問題の大きな焦点の一つとなって議論を呼んでいます。「愛国心」をどう「評価」するのかという問題をはじめ、多くの問題点が指摘されています。もちろんそうしたことも重大問題ですが、それにも増してというと語弊があるかも知れませんが、実に不可解なのがタウンミーティング問題。

政府主催のタウンミーティング(TM)。教育改革施策策定のためのいわゆる「ヒアリング」。教育改革について広く国民の意見を聴取して教育行政の政策立案に資するというのが目的のようで、制度そのものは民主的な素晴らしいシステム。ところが、続々報道される運営実態には、「エッ?」と驚かされることばかり。開いた口がふさがらない、とはまさにこのこと。

質問者にはあらかじめ質問内容を記した資料が渡されるという。しかも発言者には、なにがし(5,000円?)かの謝金が支給されるとか。何のことはない「やらせ」じゃないですか。さらに、参加者が集まらないと開催地の恥になるからとて、動員令がかかることもあったという。

次から次へと信じられないような「やらせ」の事実が報道されてくると、感覚が麻痺してきて驚きも薄れ、「またか」ということに。「やらせ」のTMでとりまとめられた「意見」が世論として施策に組み入れられという事態はまさに危機的状況じゃないでしょうか。だんだん戦前の政治手法に戻っていくような気がしてなりません。政府(官邸サイド)が強くなり過ぎ、作られた世論が国民の意見として「利用」されるとしたら大問題だと思います。

加えて、このTMの運営上に新たな問題が発覚してきました。それは経費の無駄遣い。スタッフを過剰に配置して、ジャブジャブ経費を無駄遣いしている問題。もちろんその財源は国民の税金。

1126日付の中日新聞は、一面トップで次のように報じています。「タウンミーティング『無駄』続々」「スタッフ過剰配置」との見出し。運営スタッフ数が参加者の人数の3割超になるケースもあったとか。和歌山市で開催した時は、参加者354人に対してスタッフ110人。別府市の場合は、320人に対して107人、そして静岡市では340人出席で108人。

スタッフの詳細を記した同紙の記事によれば、静岡市のケースでは、警備員32人、受付30人、会場整理要員24人。この会場整理要員の役目は、参加者のヤジなどの「不規則発言」制止と混乱防止のためとのこと。全くあきれた話。戦中の「治安維持法」を彷彿とさせる発想。

参加人数からみれば、会場は地方の公民館、あるいは大きな会館等ならば小・中ホールでできる規模の催し。会議が始まって多くのスタッフが入った会場の様子を想定してみると、参加者の周りをスタッフが取り囲むような感じになるのではないでしょうか。となると、参加者は思いきった発言ができない。そこで、あらかじめ配られたペーパーを見て質問をする…。なるほど、ごもっともなやり方で…、と皮肉な解釈もできようというもの。

340人の参加者の受付になぜ30人も必要なのか、これまた理解に苦しむところ。受付でどういうチェックをするのか分かりませんが、いずれにしても5人もあれば十分と私は思いますがいかがなものでしょう。

また他会場のケースでは、会場(フロア)から発言する参加者にマイクを渡す係12人が待機していたという。「やらせ」の内容でそれほどフロアーからの発言が数多くあったとは思えませんが、もしあったとしても、私の経験からすればマイクは3本(係3人)あれば十分。もしこのマイクが12本ともワイヤレスで、しかもレンタルであったとすれば、その料金はかなりかさんだことでしょう。経費の無駄遣い間違いなし。

さらに驚いたことには、閣僚接遇に34人のスタッフが投入されたという。担当は、会場到着からエレベータまでの誘導係、エレベータ操作係、エレベータから控室までの誘導係というように細分化されており、それぞれ別の人間が分担。4人の登壇者のために延べ25人が配置され、その人件費の合計は555,000円。

なかでも傑作なのは、エレベータへの誘導係には一人4万円の賃金が支払われるという。到着玄関からエレベータまで何キロメートルあるというのでしょう。会場の建物規模から見ても玄関からエレベータまでの誘導距離が100メートルを超えるところはまずなかろうに…。

もう一つ不可解なのは映写機費用の140万円。今時映写機を使って何を映写すのでしょう。16ミリか35ミリか知りませんが、どんな内容のフィルムを使うのでしょうか。静止画にしても動画にしても、デジタル時代の昨今、パソコンとプロジェクタでプレゼンテーションができるはず。おそらく映写機費用40万円はレンタル料でしょうが、この程度の会場ならば、パソコンとプロジェクタをまるまる新品で購入しても40万円もかかりません。

ことほど左様に、経費の無題遣いのひどさには、あきれ果ててものが言えません。でも、政府当局者はこうしたやり方を、大まじめで「よきことをした」つもりなのでしょう。しかし、国民の視点、民間の価値観で見れば「わろきこと…」なのです。「官」は「よきこと」をしたと主張するでしょう。「よきこと」と思っていなければ、こんな無駄遣いのTMが何年も何回も繰り返されるはずがありません。そこには「われ」(官)は「よきことをしたる」という慢心が宿っているのではないか、と蓮如上人は問いかけてくださっているのです。

2006.12.2 住職・本田眞哉・記》


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