法 話

(73)「多文化共生(下)」

 一切の有情(うじょう)

 みなもって

 世々生々(せせしょうじょう)

 父母(ぶも)兄弟なり

歎異抄より



多文化共生(下:71号より続く

 

 こうした国際化の波は、今から20年前の日本社会では、極一部を除いて話題にもなりませんでした。しかし今や国際化はいちょう団地のみならず、日本各地で日常茶飯事となっています。わが地元の石浜西小学校校区である県営東浦団地の5階建て住宅の階段を登って行くと、左右合計10戸の表札の中に12戸の外国人名を見受けることが度々。近くのイオン・ショッピングセンターでもかなりの頻度で外国人に出会います。JR駅やバス停での話し声、あるいは歩きながらの携帯電話中の声の中に聞き慣れない外国の言葉が聞こえてくることも珍しくありません。すぐ近くにブラジル食材の店や、外国人向けに中古車を売っている店も。

ことほど左様に、都会であろうと地方であろうとグローバル化は急速に進み、学校も地域も異文化交流・多文化共生のテーマは避けて通れない時代となりました。逆に言えば、島国日本の閉鎖的な考え方を問い直す絶好の機会かも知れません。改めて「多文化共生の地域・学校づくり」のテーマの重さを確認しつついちょう小学校の校門を後にしました。

校門の真正面にベトナム食材の店がありました。狭い店内にはエスニック食材がぎっしりと並べられていました。パッキングには日本語は全く書かれていません。ということは直輸入の品ということでしょう。調味料あり、香辛料あり、塩乾ものありの中に緑色の四角いものがありました。一辺が10㎝弱の正方形で厚さが23㎝ほどありましょうか、ふっくらした感じ。店員に尋ねたところ「ちまき」という答えが返ってきました。エッ、ちまき? 端午の節句のちまきとは全く違うのです。ベトナムのちまき。「中には何が入っているの?」との問いに「餅米と豆そして肉や魚」との返事。彼女はベトナム人でしたが日常会話には支障ありません。少しあたたかさの残るベトナムのちまきを一つ購入。500円。

帰宅後電子レンジでチンしていただきました。おいしかった。孫も喜んで頬張っていました。緑色の包装はバナナの葉。バナナの葉は殺菌作用があるとかで、理に適っています。店員が「8時間蒸す」と言っていましたが、餅米は本当に柔らかく高齢者にはもってこい。中の魚も生臭くなく思いの外美味。

「♪ちまき食べ~食べ…」思い出したのは10年前に訪れたベトナムのこと。その旅の目的は、中部ベトナムにあるミー・ソンの遺跡探査。かつての首都サイゴン、現在のホーチミン市から空路ベトナム中部にある古都フエへ。古都フエを見学し、バスでハイ・ヴァン峠を越えダー・ナンへ。そして国道1号線をさらに南下してホイアンに至るというコース。チャム族のチャンパ遺跡はダー・ナンから南西70㎞、バスで悪路を2時間余の山の中にありました。バスを降りてからオンボロの四駆に乗り換え10分、さらに徒歩で30分。やっとたどり着いたチャンパ王国のミー・ソンの遺跡は立派なものでした。711世紀に造営された煉瓦造りの堂塔は、舟形の屋根に草が生えてかなり荒廃している部分もありましたが、変化に富んだ外壁の積み方や壁面に施された彫刻が素晴らしかった。遺跡探査を終え、ホイアンのホテルへ帰って夕食。そう、その時にベトナムちまきをいただいたのです。

話がベトナムの旅に脱線してしまいましたが、国際交流、異文化交流、多文化共生は、日本にとってこれからますます重要性を増してくるテーマだと思います。ひるがえって、我が国の仏教界の歴史にこのテーマを問い返してみますと、今から800年前すでにこのテーマに取り組み、人としての真実の生き方を求められた先達がいらっしゃいます。その方はわが宗祖親鸞聖人です。ちょうどチャンパ遺跡が造営されたころ。

聖人は真実の救いを求めて思索遍歴するなか、三国七組の先師の説かれるところに自らの歩む道を見出されました。三国七組とは、インドの龍樹、天親、中国の曇鸞、道綽、善導、そして日本の源信、源空の七高僧。もちろん時代もバラバラ、人的交流も不可能な時代、源空-親鸞の師弟相承を除いてはすべて書物によって教えを学ばれたのです。仏教という一つの流れの中とは言え、異文化に根ざしたそれぞれの高僧が確立した教えの中に、日本人である聖人が真実の教えを見出されたその努力と才能には脱帽の他ありません。そして、獲得した教えをさらに咀嚼して、罪悪深重の凡夫でも救われるという本願念仏の教えを開顕されたのです。

親鸞聖人の言行を唯円坊が書き留めたといわれる『歎異抄』の中に「一切の有情は、みなもって世々生々(せせしょうじょう)の父母兄弟なり」との一節があります。生きとし生けるものは、長き世をかけて生まれ変わる間に父母ともなり、兄弟ともなっている、と。また、我が国浄土教系の先師たちが重用した書に『安心決定鈔(あんじんけつじょうしょう)』があります。著者不明。その中に、「とおく通ずるに、四海みな兄弟なり」というフレーズがあります。皮膚の色や髪の色が違おうとも、はたまた眼の色が異なろうとも、あるいは話す言葉が違っていてもみな兄弟である、とおっしゃっているのです。まさにグローバル化の先駆と言えましょう。                                       合掌

《完2007.2.1 住職・本田眞哉・記》


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