法 話

(76)兵戈(ひょうが)無用( むよう)

仏の遊履(ゆう り)したもうところの国邑丘聚(こくおうくじゅ),

()を蒙らざるはなし。

天下和順し日月清明にして、

風雨時をもってし災厲(さいれい)起こらず。


国豊かに民安し。

兵戈(ひょうが)用いることなし。

『佛説無量壽經』より
 

兵戈(ひょうが)無用( むよう)

 久間防衛大臣は、630日に行った講演の中で、「長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。それに対して米国を恨むつもりはない」と述べたとか。

 えッ?と驚く発言です。この講演内容について安倍晋三総理大臣は、「米国の考え方を紹介したと承知している。原爆の惨禍の中にあった長崎について、被爆地としての考え方も言及されたと聞いている」と述べた、とメディアは伝えています。このコメントは、何か意図的に問題点をずらしたように受け止められます。が、要は総理大臣としてこの久間防衛大臣の発言を問題視しないということでしょう。

 しかし野党からは「しょうがない」発言に対して批判が相次ぎ、大臣の資質を問う声が報道されています。いや、野党のみならず、自民党の中からも「信じられない、何かの間違いではないか」というとまどいの声が聞かれるという異例の事態。与党・公明党の国会議員の中からも不快感が表明される始末。

 久間防衛大臣のこの暴言は、単に政党間のあるいは政局がらみの問題のみならず、世界唯一の被爆国・日本の核兵器による犠牲者や、いまだにその後遺症に苦しむ被爆者に大変大きなショックを与えたことでしょう。

 しかもその発言の主が、こともあろうに国防の最高責任者。防衛庁が防衛省に昇格した初代大臣。「長官」が「大臣」になったことで“うかれている”のではないかと揶揄されたり、憲法第9条改正のための“隠し球”ではないかとうがった見方もあるようですが、むべなるかな。

 71日付けの中日新聞には、原爆投下直後の広島で救助活動に参加したある人のコメントが載っていました。「あの原爆でどれだけ多くの人が亡くなり、傷つき、今も苦しんでいるのか。でも、(発言の背景には)戦争を知らない世代で『しょうがない』と考える人が多いということがあるのでしょうか」。

 そう、確かにそれは言えると思います。久間大臣も大戦時の体験はほとんどないでしょう。安倍総理にいたっては戦後生まれで戦時体験は全くありません。ともに「戦争を知らない世代」。因みに、安倍内閣の閣僚についてみてみると、久間大臣出生の1940年以前に生まれた閣僚は全27閣僚中8人、約30%。「戦争を知らない世代」の閣僚が日本を動かしているといっても過言ではありますまい。

 そうしたジェネレーションに共通する史観で「戦後の見直し」という名の下に「戦前回帰」の風潮が醸し出されつつあるとすれば、日本の将来にとって非常に危険な潮目だと思うのは私一人ではありますまい。安倍晋三総理の目指す「美しい国、日本」とは、戦前の日本をイメージしているのではなかろうかと思われてなりません。

 安倍総理の主唱する「戦後レジームからの新たな船出」のフレーズは、一見いかにも進歩的で改革精神に富んでいるようですが、私にはそのようには見えません。戦後秩序・体制から脱却するということは、“屈辱的な?反省”を取り崩して、美しい国・燦たる日本を取り戻そうというのが狙いのように思えてなりません。

 こうした動きは政治面のみならず、外交、歴史、文化、教育、財政等、あらゆる面で顕著になってきております。最近問題・課題・話題になっている例を見ても明らか。

米下院外交委員会で、日本の「従軍慰安婦」問題に関して対日謝罪要求決議が採択されました。他国の問題に関して決議を行うことは異例のこと。1993年の河野官房長官談話があるにも拘わらず、安倍総理が軍による「強制性を裏付ける証拠がなかった」と発言し、議論の火に油を注いだ格好となったようです。

沖縄戦の集団自決に関わる教科書検定問題も同じ流れの中。文化省の高校歴史教科書検定で「集団自決を日本軍が強制した」という部分を削除・修正する意見が発表された問題。沖縄県内は騒然となり、沖縄県議会は検定意見の撤回を求める意見書を全会一致で可決。日本兵から「毒おにぎり」を渡された、との県議会議長自らの証言も報道されています。

その他、教科「道徳」必修化問題も然り、9条を含む憲法改正問題も然り、国立大学の旧帝大集約化方針然り…。一連の動きは、復古調といいましょうか、右傾化といいましょうか、戦前回帰といいましょうか、戦後の民主化は行き過ぎだったというような思潮の流れが感じられてなりません。

久間大臣の発言にしても、講演翌日の71日の朝のTV番組では、「しょうがない」発言については訂正も陳謝もしていません。ということは、自らの発言は自分の信念に照らして間違いなかったと思っていたからでしょう。いわゆる本音はそこに。

ところが、数時間後には「不適切だった」と事実上発言を撤回し、陳謝。安倍総理からの厳重注意や、与党内からの圧力があったためと思われます。この陳謝、参議院選をにらんでの見せかけのものではないでしょうか。

いずれにしても、20万人の原爆犠牲者、そして今なお20万人の人々が原爆症に苦しんでいる被爆国の閣僚として、久間防衛大臣は全く不適格、資質を問われます。責任を取って即刻辞任すべきだと私は思います。

と同時に、戦争体験の風化がどんどん進み、それに伴って史実の改ざんがこれほどまでに意図的に企てられることに、改めて驚きと憤りを感じた次第。戦争の悲惨さを、戦争を知らない世代に確実に伝えていかなければならないと思うや切であります。もちろん非戦・平和の誓いを新たにしつつ…。

今から2500年前、釈尊は『佛説無量壽經』の中で兵戈(ひょうが)無用( むよう)」を説いていらっしゃいます。

  合掌 

2007.7.1 住職・本田眞哉・記》


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