法 話
(77)「価値観の転換」
善人なおもて往生をとぐ、 いわんや悪人をや。 しかるを、世のひとつねにいわく、 悪人なお往生す、 いわんや善人をや。 |
『歎異抄』第三条より
「価値観の転換」
愛知県市町村教育委員会連合会の定期総会と研修会が、去る7月6日岡崎市民会館で開催されました。私も教育委員の一員として出席させていただきました。総会終了後、「研修会」ということで、名古屋港水族館の内田至館長の講演を拝聴させていただきました。
「私が動物から学んだこと」という講題で、海洋生物の生態や不思議な能力のことなどについて話されました。そうしたなか、私が強く感銘を受けた言葉がありました。それは「神経は鈍感で、感性は敏感でありたい」。先生のおっしゃった言葉そのままではありませんが、そういった趣意だったと思います。先生が動物から学んだことから出た言葉だと思いますが、人間にも当てはまる、生きていくうえのヒントではないでしょうか。
折しも、渡辺淳一氏が著した「鈍感力」がベスト・セラーズになっています。今はちょっと下火になったようですが、ひと頃はものすごい売れ行きで、どこの書店でも平積みの山が見かけられました。本のカバーの帯には「今を生き抜く新しい知恵 渡辺流! 男と女の人生講座」のキャッチ・コピー。
一般的には「鈍感」より「敏感」の方がよい、優れている、といわれています。そりゃ「鈍い人」はダメで、「鋭い人」の評価が高いのは当たり前じゃないか、という声も。この差は天と地ほどあると思われています。「おまえは鈍だからなあ…」「あの人は鋭い、凄い人だ」などと言われようものなら、その人はきっと気分を害するでしょう。
ところが渡辺氏は本の中で実例を挙げて、鈍感力も捨てたものじゃない、否むしろ、鈍感力の底力で生き抜く力が養われると書いていらっしゃいます。一口で言えば、鈍感力のある人は「叱られてもへこたれない」。逆に、敏感君は「ナイーブであるが故に深く落ち込む」ことになるという。
キレのよいやつが優れていて、ニブイやつはダメだという今までの価値観の大転換といえましょう。本の扉に書かれた数行が私に強い衝撃を与えました。引用してみましょう。
それぞれの世界で、それなりの成功をおさめた人々は、
才能はもちろん、その底に、必ずいい意味での
鈍感力を秘めているものです。
鈍感、それはまさしく本来の才能を大きく育み、
花咲かせる、最大の力です。
今まで否定的だった「鈍感」の価値観が180度転換して、すべての能力の原点であるという“地位”を獲得したといってよいのではないでしょうか。このことは、単にビジネスの世界のみならず、家庭生活においても、「愛」の場面でも、あるいは国際社会の中でも共通していえることだと思います。
と同時に、「鈍感」に限らず、「既成概念」や「常識」にとらわれて固定化している価値観も、別の視点・観点から光を当てて見直す必要があるのではないでしょうか。今から800年前、鋭い感性をもってこのことを成し遂げた人がいます。その人はわが宗門の開祖・親鸞聖人。聖人は、私たちの生きざまに、仏さまの智慧の光を当てて価値観の大転換を成し遂げられたのです。冒頭の聖句はその一端です。
合掌
《2007.7.30 住職・本田眞哉・記》